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留学🇩🇰Part3

今日はデンマークでの私と、コロナ禍のデンマークについて振り返りたいと思います。

移動


移動はバスか電車でした。途中からは日本人の先輩から購入させて頂いた、自転車で移動していました。大雨が降った際、ハンドルが曲がってしまい、修理のためにドライバーを買うという、無駄な出費もありました。


物価が高いので、基本的に自炊していました。米もありますが、炊飯器もなく、よく分からなかったのでパン、パスタ、サラダをメインで食べていました。計量カップもなかったので、目分量でクレープを作れるようになりました。
また、全体的に量が多く、1000gのヨーグルト(フルーツ入り、美味しい)は衝撃的でしたが、それを一晩で食べてしまった自分にも驚きました。
最寄りのスーパーでクレカ2つ使えなくなるというハプニングも起きました。考えられる要因はまだ未成年で、クレカの上限が低かったのと、海外で使われていることを不審に思ったカード会社が止めてくれたことです。原因はわからないですが、日本に帰ってきたら使えるようになったし、別の場所だと使えたので未だに謎です。

その他


洗濯機は寮の下に共有のものがあったのですが、最後まで使い方が正解だったのか分からないような使い方をしていました。
また、麻薬?みたいなものも流行っていたみたいで、私の知り合いも誘われたらしいし、私も多分そうかな?と思われる人に声をかけられたこともありました。危なかった。


コロナとデンマーク


日本より流行るのは遅かったですが、デンマークの人達(というか外国の人たちはみんな?)マスクをしないので、流行り始めたらあっという間に広がり、感染者は直ぐに日本を抜きました。こんな中でもマスクをしたらコロナ患者と思われるという考えから、マスクをしない人達ばかりでした。

日本でマスクが買い占められている頃に、デンマークでも既にマスクは売り切ればかりでした。あのマスクたちはどこにいっていたのでしょうか。
また、日本でトイレットペーパーが買い占められていた頃、水も、トイレットペーパーも、パスタ類も、肉も、野菜もスーパーではほぼ売り切れでした。だから私はトルティーヤのシートとりんごジュースを買いました。

デンマークの対応は早く、直ぐに国境が閉鎖されたり、留学に行って1ヶ月程度で学校が休校になったりしました。ロックダウンも厳しく、スーパー以外はほぼ閉まってしまったので、ほとんどお土産も買えませんでした。空港のお店も空いておらず、暇でしょうがなかったです。

国境が封鎖されてから、まわりの日本人留学生達が、学校からの帰国命令によりどんどん日本に帰っていきました。私はまだデンマークに来て2ヶ月経たないぐらいだったし、残るつもりだったので、日本に帰る人から食料や日用品を譲り受けました。しかし、足掻きも虚しく、日本国内に入国できなくなる可能性や、日本に帰れたとしても実家に帰れなくなる可能性などを踏まえ、私も緊急帰国することになりました。デンマークに行って2ヶ月弱、ほぼ学校も休校で、思い描いていた留学生活とは程遠い形で幕を閉じました。みんなから応援してもらっていたのに、自分がやりたかったことを何も成し遂げれなかったこと、何も得られずに帰ることへの申し訳なさ、悔しさ、悲しさが大きかったです。しかし、生きてさえいればまたデンマークに戻ることも出来ると思い、最終的には帰国を決めました。そしてこの時に、いつどんなことがあるか分からないから、明日死んでもいいって思えるぐらい、今日を大事にしようと感じました。
大学の先生も密に連絡をとって下さり、英語ができない私の代わりに飛行機を探してくださったり、大学にかけあって早めの判断をしてくださいました。そんなこんなで帰国の2日前に緊急帰国が決定したので、大慌てでスーパーにスーツケースを買いに行き、パッキング&食料消費の爆食い大会&どうしても消費しきれない食料をデンマーク人の友人に配り回るイベントが発生しました。

コペンハーゲン空港ではトラブルもあり、英語も出来ないので、色々なところをタライ回しにされましたが、何とか飛行機に乗れました。
コペンハーゲン空港からミュンヘン空港の飛行機はスカスカでしたが、ミュンヘン空港から羽田空港は日本人で満員でした。ミュンヘン空港で防護服を着ている警察官を見て、大変なことになっていると実感しました。無事に帰ってこられて本当に良かった。

また、一生忘れないであろう出来事もありました。デンマークのコロナ感染者が日本を上回った頃、道やお店の中を歩いていると明らかに避けられたり、ジロジロと見られたり、なにか私のことをヒソヒソ話しているような人達が散見されました。きっと私がアジア人の顔だったから、コロナを持ってきたと考えたのだと思います(あくまで推測ですが)。初めて差別されるような対象になり、明らかに差別ともとれる行動をされたことにショックを受けると共に、今まで教科書でしか学んでいなかった『差別』という言葉を、初めて自分事として考えることが出来ました。みんながみんなを思いやれる世界になって欲しいと強く思いました。
こういうことを経験して、自分の当たり前が他の人の当たり前ではないということを強く思いました。


やっぱり沢山書いちゃって、長くなってしまいました。本当に一生忘れることは無い、貴重な経験だったと思います。
緊急帰国ではあったものの、少しの期間だけでも留学に行けたことを感謝しなきゃいけないなと思います。(コロナにより、決定していた留学が取り消しになった友人が沢山いました。)

皆さんも、どうか自分の命を1番大事に、生きて欲しいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
あなたの明日が素敵なものでありますように!

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