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5月23日 満月の夜 思考回路はショート寸前

5月23日は射手座の満月━花や月やと綺麗に書き出したのにショートどころか散歩して活性化


花々が美しく咲き乱れる、この季節を待ち遠しいと思うアメリカの先住民によって名付けられたそう

今お花屋さんでは芍薬が美しい姿で並んでいる

花瓶がないのでおうちに一緒に帰ることはないけれどその豪華絢爛な佇まいと華やかな色に目を奪われてしまう

ちなみに4月はピンクムーン、6月はストロベリームーン

満月にはこういった名前と星座のテーマがあり毎月ではないけれどたまに見てみたりする

詩・物語など文芸、美術・工芸・音楽など芸術、宇宙・科学など学術分野など多岐にわたり取り上げられる量や場面から見ても興味深い存在であると思われる、月

それ自体が姿・形を変えるわけではないのに毎日空を眺めると見える位置や大きさ・明るさ・色も同じではないのでついついその姿を探してしまう

きちんと勉強すればどこの空に何時頃どんな姿で現れるかというのはわかっていることであろう

顔見て話さないという油断から『わ〜、そんなことも知らんの?!』とバカさ加減を晒していく

知っていることは大声で、知らないことはだんまりで、あとで必死に調べるが、『そんなことも知らずによく今まで無事に生きてこられたね』と自分で思うことも沢山ある

こういうとき決まって思い出す場面があり、本当に下らない下品な話ではあるが、長年抱えたモヤッとを手放したい

何年も前、どこに行っても男性議員の不倫─美人議員の妻が妊娠中・育休にも関連─の話題でうんざりしていたとき、またその話題になったのだが、30代なかばぐらいの男性が『そいつのあの政治家の娘と結婚して離婚して、今度はこんなんして、よくやりますよねえ』から関係ない議員の下品なエピソードなどを語りだし最後に『そいつも絶倫四天王と言われてましたしね』と言った

いま、ここで、それ言わなあかんかったん?

習い事の教室という場で、たまたま子どもこそいなかったが色んな人がいたのでギョッとし、危うく舌打ちしそうになった

ギョッとし舌打ちしそうになったのは、ここで口にする言葉ではないのではないかという認識だったから

それくらい良いでしょ、という場面もあるけれど、手を止めずに出来る程度のライトで愉快な会話を楽しんでおられたこの場面ではないなーと思った

お酒を飲んだりして楽しい場なんかでそんな話をするくらいで顔をしかめたり嫌悪感を持つことはないし、独自の思考に偏りがちな私はもっと引っかかったり気になることはあれど、気にならない話題・分野である

『美人に嫌われたくはない』けれど、そうではないからかいやすい私を、明らかにロックオンで困らせたり嫌がる顔見たさに執拗に絡んでくる人を除いては

詳しくどういう意味かを調べたのではなく、今はもうあまり見かけないが本屋さんやコンビニ、電車の釣り広告のスキャンダラスな週刊誌の見出しで見かけた言葉だから、どこでも口にするのは適切ではないのかもしれないと“察した“言葉

けれどここで間髪入れずに1人の女性が『絶倫て何ですか?』と誰にという事無く尋ね出した

今、ここで、説明すんの?

全員が目を合わせないように、一斉にやらなくていい作業を熱心に(するふり)し始め、もともと話の輪に加わっていなかった私も教える側だったので、道具を片付けたり(するふり)してバックヤードへ避難したが、そんな雰囲気もなんのその、手当たり次第しつこく尋ねていた

いたたまれなくなったのか、その場にいるいちばん”偉い人“が不自然に話題の転換をするというパワープレーで地獄の時間は強制終了となった

この人から振った話題だし責任とって回収したのね

それはさておき、あらためて携帯で調べると1番に〈同じ人間仲間(=倫)から飛び抜けて(=絶)すぐれていること。抜群。〉と出てくる

その女性はなぜ皆に無視されたのか、首をかしげたかもしれないが、あの雰囲気や周囲の人間の態度で『もしかしてあまり言わないほうが良い言葉なのかしら』という考えには至らなかったのだろうか

あの場でその言葉を発した男性にも、納得するまでやめようとしない女性にも恐れ入る

見て見ぬふりするのは攻撃と同じと言われがちだが、本当に危ない場合では保身に走るのが当然の心理である

この言葉だけでは性的な意味合いはないが、転じて使われているうちに使うことに躊躇いを感じる言葉という認識になった(私個人の認識です)のだと思う

当時小学生のお子さん(男の子)がおられたその女性は、『あれどういう意味?』『これはなんのこと?』と問われればしっかりと調べて教えてあげるのだろうか

釣り広告をじっと眺めては『ジロジロ見ない!』、お化粧した男性に目が釘付けになる私に『こら!』と耳を引っ張り、テレビで“見せたくない”内容や場面になると無言でテレビを消した母

誰にも教えてもらえないけれど尋ねにくい事は顔色や雰囲気を見て、尋ねることをやめ何とか自分で知ろうとした

知りすぎてもいけない、知らなさすぎてもいけない

いけないというのもその場その時その人間関係などによっても変わってくるし、だいたい誰がその判断をするんやということにもなってくる

そうやってケース・バイ・ケースとかTPOとか持ちだすと、どちらが良いとか悪いとか成功か失敗かとか道徳か不道徳とか実のところはきっと誰にもわからないし決められないし、これと言った答えがひとつではないというものになるのだと思う

何においてもそこらじゅうに自然と転がっている『学び』の機会を自身の物差しやフィルターだけでむやみやたらと避けたり、遮ってしまわないようにはしようと思うが、大人が”学ぶ“際には自分が納得するためだけにむやみに他人を巻き込んだりしないようにということも頭の隅に置いておかなくてはいけない

質問や疑問を投げかけるときは自分の方で準備万端整えてからでないといけないことも、ある

くだらないけど、気になってたことを真面目にちゃんと書いてスッキリした

色んなことを避けて、やらずに来た私もそれを見つめ直し、今後に向けて考える

今夜の満月に相応しい過ごし方

5月23日満月『復元力』『回復力』がテーマ
今までのやり方を見直し手放したり調整する
さらなる飛躍にむけて休息したり準備する










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