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個性とか分類とか自己紹介書けない事とか

ひとりごとのようにnoteを書きはじはじめて1ヶ月が過ぎる

今さらながら自己紹介を書こうかなとか思ったけれど、あらためて書こうと思うと自分の多重人格者のような、あっちゃこっちゃ思考がとっ散らかるクセが出て全然書けない

保守的だけど、ミーハーで

ひとりが好きだけど、人といるとパワーを使い切るくらいはしゃいで涙するほど笑い続ける

涙もろくて驚くほど感情移入するけど、興味のないものや人への認識がもてないか薄い

あげればきりがないくらい、誰でもそうよ、とかみんな言わないだけで同じよ、と言われるような普通のことばかり出してきてはあれやこれやと考えているふうにしてしまう

書いては消し書いては消しを繰り返すので、まあまた今度となってしまうし、まあええか

取り立ててこういう人と言うことのない私だけど、桜咲くこの時期くり返し思い出す『個性』とか『普通』の事

大学生の頃、20〜30人の美術科に在籍していたが洋画とか日本画、デザイン、工芸、彫刻などの皆が思い浮かべる「いわゆる美術芸術」ではなかったので、入学式の科ごとのオリエンテーリングでも、黒や紺のスーツを着た私たち6人だけ雰囲気が違っていた

私も制作で1回生から研究室に籠もっていたが、美術棟にいつくその人たちはそれは個性的な派手で華やかな格好をして『私たちは型にはまれない』『普通には生きられない』と言っていたが、みんな口を揃えてそのように言い『個性的な』なりをしているので、その棟という小さい世界にいるとき私から見れば『型にはまれない』『普通ではない』という分類に自らを当てはめてかかっているかのような彼ら彼女らの方がよっぽどまともで多数派でスタンダードに見えた

それがいいとか悪いじゃなくて、今いる場所とかそういった事でどんどん変わることにいちいち頭を悩ませることも深く考えることでもないなと、今は思う

そういう私も、かっこつけてか、はたまたかっこつけてると思われたくなくてか、こだわり抜いて愛着を持って選んだものやことでも『こだわりとかないんですうー』と言ってしまうけど、これも『こだわりがない』という事にこだわりしばられているのだ


教授、といっても定年を過ぎ名誉教授だかだったある言語分野の史学の教授が、古人の学術書ではないプライベートの書簡から言葉を考察するような授業のとき『友人や知人、恋人、これはまあ妻ですな、や事務的なのも含めて今まで出した書簡はすべて控えをとっておりダンボール何十箱、他に別宅や研究室にも保管してある』と言っていた

見た目も思い切り変わっている教授で、遅刻は当然授業は延長(次の講義へは遅刻を余儀なくされる)、今でいうとモラハラセクハラパワハラは平気、と素直に尊敬という言葉を使うのは躊躇うが、これこそ個性的とか普通ではないという言葉が当てはまるような神々しささえ感じた

理解不能、常軌を逸する、正気の沙汰ではないと思えるようなことを、ごく自然な歯磨きや食事や睡眠のように何のためにとか目的はゴールはとか意識せず(多分)淡々と行い、昨日今日はじめたとて成し遂げられるものではない事をやり続けられるような人

いちばんこわくて、遠くて、魅力的

そういう事も思い出して、もう少しボソボソと書こうかなと、また投稿してしまう、わたし



今朝メモがてら書いていて、きちんとした調べの済んでいない展覧会とかの事を投稿してしまっていて、慌てて削除してしまったし、0時を超えてしまったので連続投稿は出来ませんでしたが、こうなったら気楽にまた書こうという開き直りが出来ましたので、もうちょっと書いてみよ



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