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桜のように

2年前の「今日」
柔道家の古賀稔彦さんが
春風の中
桜の花びらのように
散りました
 
3月24日
今日は平成の三四郎と呼ばれた柔道家、古賀稔彦さんの命日。
彼が熊本県内のとある社会福祉法人に所属して
全日本の試合に出場していた時代、ボクは彼と出会った。
ボクも同法人の福祉施設で働いていたからだ。
 
彼との触れ合いは実に楽しかった。
施設の忘年会ではパンツ一枚になり
その鍛え上げた肉体でひょうきんなダンスを披露してくれた。
それはどこまでも優しくて爽やかなエンターテイナーぶりだった。
 
彼のオリンピックの出陣式で
ボクが司会を務めた時の打ち合わせ。
ボクは一つのアイデアを持ち掛けた。
「古賀さんの登壇の後、ボクを相手に背負い投げを披露するっていうのはどう?」
すると彼は
「背負い投げだとボクは本気になっちゃいますよ」と即答。
「きゃ~」即座にボクはその提案を引っ込めた。
そんなボクを彼は茶目っ気いっぱいに笑っていた。
 
そのオリンピック出場の後
彼は後進の指導者となりコーチの仕事などで海外へ出かけるようになった。
ボクは、時折ライブ配信されるテレビ画面の中に古賀さんを見つけると
その活躍が嬉しくてすぐメールを送った。
「古賀さん、今、ガム噛んでるでしょ」すると
「バレちゃいました?」すぐ返してくれた。
 
ボクが熊本県八代市で命をテーマにした
「ゆずり葉音楽祭」を開催する時なども
毎回、筆文字の自筆の手紙に金一封を添えて応援をしてくれた。
 
ボクが本を出したいと思い
その本の帯を書いて欲しいとお願いした時も即答で快諾だった。
その本が「ボクに咲いた言葉たち」だ。

「優しい人間になりなさい」
彼の柔道場「古賀塾」の教えの通り
彼は限りなく優しかった。
 
そして間もなくコロナ渦。
その影響でボクの音楽活動がまったく出来なくなった。
彼も塾生たちを道場に呼べなくなっていた。
ボクと古賀さんのメールのやり取りは励まし合いになっていった。
 
そんなある日、ボクが出したメールへの返事が来ない。
『なぜだろう。。。』これまでで初めてのことで戸惑った。
 
それからしばらくして彼からのメールが届く。
そのメールは
これまでのやり取りをしたポップな感じとは明らかに違っていた。
そして、その内容もボクには意味不明だった。
メールの最後の部分はこうだ。
 
「。。。私はゆっくりゆっくりゆっくりしてます😆
今までは土の時代と物欲などの時代らしく
12月22日から風の時代に変わり
人の優しさや人を許す心や
自分らしさとか自分を活かすとかなど
気持ちを爽やかに生きていく時代に変わりました。
私も覚醒して生きていきます😆。。。」
 
絵文字も使っていたから
深くは心配しなかったけれど、どこか気になった。
その後、訃報が届くことになる。
 
テレビで知ったという姉から電話が入った。
「古賀さんが亡くなったらしいよ!」
最初、何のことかわからなかった。
「えっ?古賀さんって?誰のこと?」
 
ボクにとってあまりにも突然の「別れ」だった。
 
あれから2年。
今でも、彼が最後にくれたメールを読み返しては
彼の心境を見つめてしまうボクがいる。

みなさん、こんばんは‼︎ 先日、『ボクに咲いた言葉たち』の本をプレゼントしてくださったむたゆうじさんが歌も作っているそうです😊🎶 よかったら聴いてください✨ むたゆうじさん、いつも応援してくださりありがとうございます✨ https://www.youtube.com/channel/UCyMRN-MCANSkDzr-F4n7YQA

Posted by 古賀塾 on Monday, June 8, 2020


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