「キャンセル」が危うくするもの:ひょうご人権総合講座からの講演取り消し依頼を受けて

1年以上前に引き受けすでに広報もされている(注)、ひょうご部落解放・人権研究所主催の「ひょうご人権総合講座」(2023年8月~12月)の「ジェンダー①(総論)講義(11月2日予定)」について、依頼取り消しの連絡を受けた(9月22日)。
取り消しの理由は、添付文書の通り(この文書は同研究所から公開の許可を得ている)、6月14日にWANサイトに掲載された「LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明」に対して私がSNS上に公開した「トランス問題と女性の安全は無関係か――『LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明』についてフェミニストからの疑問と批判」(2023年7月6日note公開)に問題があると、同研究所の協力者から批判があり牟田は講師としてふさわしくないと判断されたからということだ。研究所自体としては、「主張の適否を判断するものではな」く、「意見の違いは議論していく」立場だが、牟田を予定通り講師に加えると、その批判者からの協力が得られなくなり研究所運営に支障を来すことを懸念するためと述べられている。
この文書からだけでは、私の上記原稿に何の問題があったのか、それがどう講座全体の運営に支障を来すのか全く不明なので納得しがたく、具体的に理由を示してほしいと返信をしたが(9月26日付)、具体的な回答はまだ得られていない。

これはつまり、近年あちらこちらで行使されている「キャンセル」の一例ということだろう。この数年私は、それほど活発にではないが、トランスジェンダーに絡むテーマでSNS等で発言してきたが、今回こうしてリアルで差別的と認定されキャンセルの憂き目に遭おうとしているわけだ。これまであるポータルサイトで原稿を没にされたことが複数回あったし、講演や原稿依頼にしても私には見えないところで潰されたりもしているのだろうが、こうしてすでに予定が確定しており広報もされている講演をキャンセルされるのは初めてだ。ぜひ上記記事をお読みいただきたいが、これがトランスヘイトや差別とされるのは心外で、今回のキャンセルは納得しがたい。とくに主催者が人権擁護を旨とする団体であるところからも、理由不明確のまま、言論抑圧にすら見えるこのような行為を行うのはぜひ再考してもらいたいと思っている。

こうした「キャンセル」が意味しているのは何だろうか。誰かを「差別」的と決めつけ、その人物の言論を封殺すれば、それが人権の擁護や公益に資するのだろうか?
私はこれまでフェミニストとして主に女性差別に抗し、女性の尊厳を守るための発信を活字・ネットに限らず(決して十分ではないが)行ってきたが、女性に限らず人権の擁護を核心として考えてきたし、上記当該記事はじめこれまでの私の発信には、人を差別し人権を毀損するものは無いと信じている。もちろん、私の理解の不十分さや表現の拙さなどもあるだろうし、また、さまざまな立場の人との意見の違いも当然あるだろうから批判を受ける余地が無いなどと考えているわけではない。批判の中にはもしかすると差別的と考えるものもあるかもしれない。しかしそれでも私は、議論を通じてより広い理解、深い理解に向けたベースになりうるよう、論理的でひらかれたものとして書いてきたつもりだ。しかし不本意なことに、これまで私に対しヘイタ―・差別的と非難を投げかける人たちから、その理由・論拠をきちんと示されたことはない。今回のキャンセル文書でも、私の文章のどこが問題なのかは書かれていない。

つまりこのようなキャンセルが行っているのは、何が問題であるのか、何が差別なのかを明らかにし議論して差別をなくしていこうとするより、むしろ議論自体をブラックボックスに入れて隠蔽することではないか。しかしそれは差別をなくそうとする上でどのような意味を持つのか。
トランス問題にしろ、女性差別への抵抗にしろ何にしろ、既存の社会常識や秩序に抗し構造を揺るがそうとする試みや営為は、さまざまな疑問を掻き立て議論を呼び批判も受ける。誰もがすぐに納得するようなことであれば、そもそも異議申し立てする必要もないのだから、当たり前のことだ。その過程を経てこそ、思想が精錬され、既成の秩序の変革につながる新たな意識や常識が生まれ浸透していく。それなのに、何が問題であるのかを論ずることも無く「それは差別だ」と断じてキャンセルをするのは、その貴重なプロセスを自ら放棄することだ。中身を示さない、あるいはあいまいなままのブラックボックスの上には、人々にとって望ましい新たな社会秩序を生み出すことは不可能だろう。

私は、女性の権利もトランスジェンダーの権利も、ともに、あらたに構想され構築されるプロセスの中にあると思っている。今回私の講演をキャンセルしようとしているひょうご部落解放・人権研究所はじめ、人権派と自らを位置づけている人々、トランスジェンダーの権利を伸長させようと努力しておられる方々、そして一部のフェミニストたちに対しては、言論が封殺され議論なき排除がまかり通る状況は、変革の根を腐らせていくものだという危機意識を持っていただきたいと願うばかりだ。

おりしも9月27日、最高裁で性別移行に関する現行規定が違憲であるかどうかについて弁論が行われた。この判断は、申し立てを行った当事者の意図に関わらず、広く社会に影響を及ぼすものとなる可能性がじゅうぶんある。法廷の内外で、開かれた議論が行われることを期待している。

注 少なくとも9月28日時点では、同研究所HPに牟田の担当回を含めて掲載されている。同研究所は、私との合意抜きに予定を変更するなどは行わないと信じるので、あえてスクショではなくURLのまま掲載しておく。


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