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書くことがないと言い続けてたら一生書かなくなりそう


書くことがないから書かないだと僕の性格上全く書かなくなりそうな気がした。こういうときこそ毎日更新してた1年間を思い出すのだ。

確かに無理矢理書いたものなんて見せられても、だらしない身体をした人の水着姿ぐらい見苦しいかもしれない。でも何もしないと何もしてない日で終わってしまうし、何でもいいから行動するぞと思って散歩に出かけるだけで何か新しい発見が見つかるかもしれない。新しいものが見つからない場合でも“見つからなかった”ことが収穫になる。馬鹿みたいなポジティブ思考でいれば時間を無駄にしたと感じることもない。こんな思考になることなんて、家の前に100万円落ちるぐらいの出来事がないと無理だけどな。

どこかで話したかもしれないし、何回か前のnoteで書いたかもしれない話をするのだけれど(確認しないよ、面倒だから)
1年半違う土地に住んでたからか、元々人を遊びに誘うタイプの人間ではなかったか忘れたのだが、人への誘い方を忘れてる。
この友達と何年か前はよく遊んでたけど、何して遊んでたっけ…?って思うことで気軽に誘えなくなってる気がする。
いやそんなことないだろと思う友人もいるかもしれないが、それはこれを読んでるアナタが誘ってくれたり、声をかけたら必ず時間を作ってくれるからだ。そんな人なかなかいないもの。

会いたい人はたくさんいるのに、「この人にはどう声かけたらよかったっけ…?あと仕事変わって忙しくなっただろうし、誘うのやめた方がいいよな…?」って考えるようになってしまった。
推しや友達はいつまでも居るわけではないのに。
こんなマインドだから、最近人と無性に喋りたいときはいつも飲みに行ってる店に行き、会話欲を解消してる。

この会話欲はだいたい満たされるのだけれども、やっぱり気軽に話せる友達と話した方が楽しいよなって思うんだよな。いつも行ってる店でも中には誰も知ってる人がいないことがある。そうなると楽しさよりも気疲れの方が勝つことがある。

こんな感情でモヤモヤしてても「いつまでも居ると思うなよ、推しと友達」という言葉を胸に置いて気になる人には声かけないとな。多分ご時世的に誘うの遠慮してる人もいるだろうし。

改めて宣言しておくと、僕は上記のような考え方なので、誘っていただいたら予定が合って金があれば行くのでどんどん誘ってほしい。あと僕から声をかけることも増えると思う。でも会いたくねえなこいつと思ったら普通に断って頂いて構わないのでよろしく。断られたぐらいでへこたれない。

書くことがないとか言いつつまあまあ書いてるじゃない。自分のこういうところが好きだったりする。

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