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『物語に見る信じ込み』スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

トム・ホランド版スパイダーマンの3作目、ノー・ウェイ・ホームが2022年1月に公開されました。この作品にはいくつかの信じ込みと共に、かなり重大な情報開示が含まれているので合わせてお伝えしたいと思います。

*ネタバレを含むので、作品をご覧になってから読まれることをおすすめします。

ーあらすじー
ピーターがスパイダーマンだという記憶を世界から消すために危険な呪文を唱えたドクターストレンジ。その結果ドックオク、リザードなどの強敵を呼び寄せてしまい、マルチバースが現実のものに。
ストレンジはピーター、MJ、ネッドに協力を求め、彼らを各々のユニバースに戻そうと試みるが、次々とスパイダーマンに襲いかかるヴィラン達。その脅威は恋人のMJ、ネッド、メイ叔母さんにまで。
最大の危機にさらされたピーター。このユニバースを守り、愛する人達を守るために彼に突き付けられる「選択」とは。

「悪人」というレッテル

前作ファー・フロム・ホームでは、そういう設定で偽物が登場したのと対比されるかのように、このノー・ウェイ・ホームでは本当のマルチバース(並行宇宙・パラレルワールド)が展開するお話になっています。

ドクターストレンジが登場して展開する本作は、身バレしてしまったピーターが、それを取り消してもらおうとして時空の歪みが発生してしまうというお話になっています。

その結果、最初のトビー・マグワイア版スパイダーマンと、その後のアンドリュー・ガーフィールド版アメイジング・スパイダーマンの世界の敵キャラクターがトム・ホランド版に乱入してくるという展開になります。

ドクターストレンジは、彼らを捕まえて元の世界に送り返すことをさせようとしますが、彼らが元の世界では死ぬ定めにあることを知ったピーターは、メイに諭されて送り返す前に何とか彼らを治療しようと試みます。

彼らは「悪人」のはずなのに?何故ピーターは彼らを何とかしようとするのでしょうか?

キリスト意識あるいは仏陀の悟り

「ダークナイト」や「ジョーカー」あるいは最新の「スターウォーズ」三部作等をご覧になった方は印象に残っているのではと思うのですが、悪者として登場するキャラクターが「悪」と呼ばれるようになるまでには、様々な苦しみを体験しています。

逆を言えば、最初から「悪人」だった人はいないということでもあります。メイは、自分の施設にやってきた不安げなノーマンを何とか助けてあげたいという思いで接します。

そこには、悪人をただ排除するということではなく、どうやって一緒に共存していくかという考えが根底にあることが見て取れます。しかし、その恩を仇で返すかのように、グリーンゴブリンとなったノーマンによって、メイは殺されてしまいます。

ノーマンを救おうとしたメイを殺されたことで、ピーターは怒りにかられます。ノーマンを殺したり、元いた世界にただ送り返すこともできたはずですが、最終的にピーターは何とかノーマンを含めたヴィラン達を助けようと奔走するのです。

「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉が聖書に残っていますが、これがキリスト意識、あるいは仏陀の悟りとも言うべきものですね。悪を悪としてしまったら必ず対立が起こり、憎しみと復讐の連鎖になってしまう。勧善懲悪的なお話の中には、対立を超えていく発想が入っていません。

一介の高校生ピーターとしてではなく、大きな役目を担うスパイダーマンとして、この理不尽な行為を「赦す」ことがこの映画の核心の一つになっています。これは、スターウォーズの「ダークサイド」にも通じるものですね。

自分の苦しみを乗り越えて、求められる役目を果たすことができるかどうか?が問われています。この苦しみの意識を超えていくために自分の内面を観るというのが、セッションで行っていることになります。

自分だけ、自分の世代だけ、この宇宙だけではない

人間の意識は、随分と狭くなっていて、今この瞬間自分だけ良ければいいという考えが幅を利かせるようになってしまっています。自分の好きなことだけやってればいいとか、引き寄せの法則等はその代表的な例ですね。

七代先まで考えて物事を決めるという世代を超えたネイティブアメリカン的な発想や、三方良しといった広く社会を含んで商売をするといった考え方はどんどん薄れていってしまっています。

スパイダーマンは、何故自分とは関わりのないはずの別の宇宙の、しかも悪人を助けようとしたんでしょうか?それは、自分の存在するユニバースだけではなく、パラレルワールドを含めたマルチバース世界の調整をするのが彼の役目の一つであるということを意味しています。

「アべンジャーズ・エンドゲーム」でアイアンマンがやったことも、「君の名は」で三葉がやったことも実は同じです。別の宇宙の悪人を助けるという「選択」によって二項対立を超え、全体が良くなる方向に進んでいく世界線に自分の存在するユニバースも、隣り合ったユニバースも変わっていくということなのです。

これは決して映画の中だけで起こっている出来事ということではなく、我々の持つ意識状態が反映され日々の選択・行動につながり、それが向かう未来、世界線を決めているということです。

そして同時に、スパイダーマンのようにパラレルワールドの調整を実際に行って、我々の住むユニバースの破局を回避するために動いている知られざる人達がこの世界にはいるということなのです。

エゴに基づく行動で将来世代に持続不可能な地球を残し、引き寄せによってパラレルワールドに迷惑をかけ続ける眠りこけた人類で居続けるのですか?という我々自身への問いかけがなされていることに、気づく人が増えていくことを願っています。

日本的な自己犠牲的献身

物語のクライマックスで、時空の裂け目を抑えきれないドクターストレンジの姿を見て、ピーターは自分がスパイダーマンだということを皆が忘れてしまう呪文を再び唱えてもらうことを選択します。

それは、自分の支えになってくれたMJやネッドも含め、誰もピーターがスパイダーマンだということを知らない世界になってしまうということです。しかし、それ以外に時空の崩壊を止める方法がないため、ピーターはそれを受け入れます。

上のキリスト意識の話にも繋がりますが、このユニバースを存続させるために、自分自身の幸せはおろか、存在そのものも差し出すという自己犠牲的献身をピーターはすることになるわけです。

こうした利他、利地(その場所のため)、利世(次の世代のため)の考え方は、西洋的な合理主義にはあまり見られない、日本人や一部の少数民族に見られるものですね。

これは、西洋的な自己を中心とした価値観が行き詰っていること、これからの新しい時代の雛型になる考え方は日本のような和を以て貴しとなすという価値観がベースになっていくということを示しています。

消える存在

上の呪文のせいで、ピーターはだれも自分をスパイダーマンだと知らない孤独な世界に出ていくことになります。ここに重要な情報開示の一つがあるんですが、認識されることによって存在が強固なものになっていくということです。

つまり、お互いの存在を認識することでこの宇宙は成り立っていて、認識されない者は存在しなかったことになってしまうということなのです。

それは同じユニバースに存在する他者が自分のことを知ってくれているということでもあるし、それと知らずに他のユニバースや、過去・未来の自分が今ここに立っている自分を成り立たせているということでもあります。

今、ここで自分が選ぶ行動のひとつひとつが、自分自身だけでなく周囲に存在する別のユニバースの自分や他の現象に影響を及ぼしている。トム・ホランドのピーターはそれと知らずに、周りのために自分を捧げ、そして誰からも認識されなくなるのです。究極の自己犠牲的献身だと思いませんか?

自分の本来性とお役目に目醒めたいと思っている方、セッションのお問い合わせは下記まで。
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最後までお読みいただきありがとうございます!!


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