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自然農に関わる日々 意識探究への道②

ご覧いただきありがとうございます。前回は登山中の事故によってそれまでの人生とぱったり断絶されてしまった出来事についてのお話でした。今回はその後に関わることになった自然農についてのお話です。

自然農を知ったのはアニメ

自然農なるものがあるというのを知ったのは2001年のこと。当時地上波で放映されたアニメ「地球少女アルジュナ」がきっかけでした。原発問題から石油による支配、環境汚染、心の問題、学校や会社という呪縛、出産に関することなど、この作品だけで数多くの解説ができる程大きな影響を受けたのですが、その中で取り扱われていた大きなテーマの一つが自然農でした。

主人公である樹奈が、信州の山に放り出されて出会った世捨て人の爺さんから色々なことを学ぶのですが、その爺さんがやっていたのが、殺さず、耕さず、肥料もやらない自然任せの農業、自然農だったんですね。

取材先には川口由一さんのところが入っていましたが、モデルになったのは「わら一本の革命」で有名な福岡正信さんだということを後になって知りました。どちらも自然農の大家として知られる人になります。

「道楽もんが一人おるだけで、10人やそこらは食べていくことができる」という言葉が衝撃的で、ずっと意識の中に残っていましたが、自分がやっている海外の環境の仕事とは分野が幾分違うので、いずれやってみたいと思っていたのでした。

安曇野での偶然の出会い

家にいて、ただ本を読んだりする日々にも段々と飽きてきて、ちょっと外に出てみようと思って参加したのが茅野で行われたタイニーハウスをつくろうツアーというものでした。10平米以下の小屋には建築確認がいらないということで、そういう家をつくろうというのがその頃流行り始めていて、それを実際につくるお手伝いをするというツアーでした。

そのツアーの帰りに泊まろうかなと思って、雑誌でたまたま見つけた安曇野の宿が当時「シャロムヒュッテ」と呼ばれていたセルフビルド宿だったんです。行く前はあまり分かっていなかったんですが、自然農やパーマカルチャーを教えたりということもやっている宿でした。

実際にそこでやっていることを、泊まった翌朝に見せていただいてその面白さに気付いて延泊、その後一旦帰ってからスタッフとして戻ってくるというのを滞在中に決めてしまったんです。定職についていて週末しか休みがないという状況では、とてもそんなことは決められなかっただろうと思います。

宿でもありながら、一緒に暮らすコミュニティの場でもあったシャロムヒュッテには、当時主に若い人達が結構集まって暮らしていました。やることは主に、自然農の田畑をして作物を育てること、宿をすること、そしてランチを出すお店をやることでした。

自然農では、小さいながら、森林農法、炭素循環農法、MOA農法、福岡さんの粘土団子の畑などがあり、少量多品目で色々な野菜を育てていました。宿の朝夕食はその野菜を使ったベジ料理で、スタッフも一緒に食事をするというスタイルでした。ご飯が美味しくて毎日酵素玄米をおかわりしていたのを覚えています。

種取りもしていて、翌年植えるための種を次いでいっていました。小さいながら田んぼもやっていて、丁度稲刈りの時期だったので手刈りから稲の束ね方、ハゼかけの仕方まで、色々と実践的に学ぶ機会になりました。

色々な実験をしている場でもあったので、今では割と良く見るようになった軽トラキャンパーとか、上で見たようなタイニーハウスサイズの小屋があったり、コンポストトイレ、古着・古本のリサイクル市、小麦やその他色々な物の量り売りなど、先進的なころが色々行われていました。

パーマカルチャーとピザづくり

シャロムヒュッテで一番面白く、わざわざスタッフで戻ってこようと思った理由がパーマカルチャーでした。Permanent + Agriculture or Cultureでパーマカルチャー(持続的な農業or文化)と呼ばれていますが、自然の地形などを上手く利用して効率的に作物や家畜を育てる手法として知られています。

空間設計の手法でもあり、キーホールガーデンやスパイラルガーデンなど、場所ごとに適切な植物を植えていく造園的な要素も含まれています。当時つくっていたのがアースオーブンと呼ばれる粘土でつくるオーブンでした。

アースオーブンは、一般的なレンガを用いたオーブンと違って、材料が簡単に手に入って誰でもつくることができるというのが特徴で、最近ではそういう窯を庭に作ったりしている人もいたりします。盛った砂の上に粘土を貼り付けて乾かし、砂を抜いた空洞部分が窯となるというシンプルなものです。

行った時にはオーブン自体はつくった後で、その傍につくるかまどと、オーブンを覆っている屋根の上に小さな棚田や畑をつくる活動をやっていました。

屋根に降った雨で作物が育ち、落ちてきた雨水をアースオーブンの熱で温めて温水にして使い、さらに流れていった水をためる池からポンプで汲み上げて再び屋根に回すという小さな循環系をつくるというもので、その発想が面白く非常によくできた仕組みだったので、ワクワクしながら作業をしていたのを覚えています。

他にも、大きなレンガの窯でピザを焼いてランチに出すということもしていました。小麦粉を練って膨らませ、1次、2時発酵を経て種をつくり、薪を燃やして温めた窯で畑で採れた野菜を使ってピザを焼くというものでしたが、これが中々の重労働。

朝は早いし、練る作業にはかなりの力が必要で、薪を組んだり燃やしたりも、一つ一つ自分で調整しないといけないので加減が結構難しいのです。最初はピザの生地を伸ばすのも上手くできず大変だったのですが、出来立てのピザは非常に美味しく、朝早くからの苦労も吹き飛ぶ程でした。

それまで一日のかなりの時間をデスクワーク、パソコン作業に費やしてきていた仕事とは打って変わって、毎日違うことをやっている日々というのはとても新鮮で、夜遅くまで喋って朝も早いのに、しんどくて耐えられないと思うことがない充実ぶりでした。

結局その年の12月のクローズまでいたのですが、その後はまた別の展開が待っているのでした。

つづく

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