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おもてなし=心の栄養

「おもてなし」という言葉がにわかに有名になったのは、言わずと知れた東京オリンピック誘致の滝川クリステルさんのスピーチだろう。
それまでに「おもてなし」という言葉は存在していたが、「おもてなし」=「日本文化」という方程式が人々の頭の中に根付いたのはこれ以降のことなのではないかと思う。

おもてなしと聞くと、人々はどんな想像をするだろうか。

Wikipediaによると、おもてなしとは「心のこもった待遇のこと。顧客に対して心をこめて歓待や接待やサービスをすることを言う」という意味らしい。確かに、例えば家にお客さんを招いたときは、いつもよりちょっといいご飯が出てきたり、お客さん用のちょっといい布団が出てきたりする家もあるだろう。他の国でも豪勢な食事が出たり、歓迎のパーティーを開いたりと、おもてなしのかたちは人それぞれ、国それぞれということ。

余談になるが、私は仕事柄ホームステイをすることが多く、その際にお客さんには「日本のおもてなしを期待しないこと」と伝えている。毎日特別待遇を受けることが現地の「おもてなし」の表し方ではなく、同じ時間を過ごすことがおもてなしの表し方なのであって、日本の感覚で行くとギャップがあるためだ。もちろん、日本と同様の待遇をしてくれるご家庭もあるが、それは家によって違ってくる。つまり、おもてなしのかたちには人と人、国と国との間での共通認識に違いがあるということだ。

さて、今回の記事のタイトルになっている「おもてなし=心の栄養」とは、かおるさんというおもてなしをこよなく愛する素敵な女性の言葉だ。先日かおるさんと何か企画を作れないだろうかと相談をしていた時のこと、そんな話になった。

かおるさんはご自身が茶道を長く修めていることもあり、茶道は総合芸術であり最高のおもてなしの表れ方と言っていた。茶事における時間と空間を共有する中で、相手に最高の時間と空間を過ごしていただくために心を砕くこと。それがかたちになって表れているのが「茶道」という一つのスタイルなのだ。

おもてなしとは相手に対してすることではあるが、かおるさん曰く、おもてなしをすることは丁寧に生きるということであり、それによって自分自身が元気になるとのことだった。

丁寧に生きるということ。

つまり、一つ一つの事柄に対して心を向けること。
それによってその事柄を通して相手とコミュニケーションを取ること。
そして相手が喜んでくれること。
自分も嬉しいという気持ちになること。
結果、自分の心にとって、栄養になるということ。

これらは、今の日本から失われてしまいそうな、とても尊い大切なことではないだろうか。

なんでもそうだが、ついついかたちから入りそうになる。おもてなし一つとっても「豪勢なご飯が出ること」や「ふかふかの布団が準備されること」など、そのかたちに対して、「これは良い」「これはいまいち」などと評してしまうことが多い。

けれど、一番大切なことは、その行為以前にその行為にどんな気持ちの「核」が入っているかどうかだと思う。「丁寧に生きる」という核がある行為が、相手にとっても気持ち良い、すがすがしいということに繋がってくるのではないだろうか。

忙しい毎日だと、なかなか一つの行為に「核」を入れるのは難しい。忙しいという漢字そのものが「心」を「亡くす」という意味を表している。昔の人はまさにこれを言い当てていたのかもしれない。

今、「マインドフルネス」という言葉が徐々に認知度を増してきている。
「今、ここ」に集中し、現実を俯瞰して見るという方法の一つだ。「今、ここ」に集中することによって、その行為一つ一つに核を入れるということに他ならない。

おもてなしもある意味で「マインドフルネス」と同じなのではないか。
一つ一つの行為に対して「丁寧に生きる」という核を入れること。その行為を通して相手が元気になること。自分も元気になること。それが、おもてなし。

これからかおるさんと一緒に季節のおもてなしを通して、丁寧に生きることのヒントを得られるような企画を検討していきます。
ご興味のある方、どうぞお楽しみに。

ちはや ふみ

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