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都市鑑賞趣味、黎明期

けっこう高レベルな田舎で暮らしている。見渡す限り田んぼと畑と山だし、めちゃくちゃ星がキレイに見える。
市街地まで車で片道一時間。
映画を見よう、買い物をしよう、あのお店でご飯を食べよう。何かしらの目的を掲げて街に出る。
道中、いつも観察する建物が幾つかある。ビルの二階から突き出された物干しに洗濯物がかかっていたり、コンクリの塀越しに紫陽花が咲いているのを見ると嬉しくなる。街に出る「ついで」に都市景観を楽しんでいた。

その「ついで」を目的に据えてもいいんだと気付いたのは、SNSで街歩き界隈と出会ってからだ。
「路上園芸」「在野の建築」「都市鑑賞」「トマソン」「路上観察」
私の中の「お、なんかえぇなー」に名前が与えられてカテゴリ化されていく。概念に名前がつく。ピントが合うまでの時間が短くなる。どんどんと自分の性癖が濃くなっていく。
「ついで」を「目的」にして街に出たのは2022年頃。
ごく最近手に入れた趣味だ。

好きだなぁと思っていた建物の前を、車で通り過ぎるのではなく徒歩のスピードで通り過ぎる。
磨りガラスの窓に透けて見える洗剤ボトルの色を横目で観察。
軒先に並べられた植木鉢が梅雨の時期になると紫陽花を咲かせ、夏には簾が垂れ下がる。室外機、自転車、郵便受け、屋上の物干し。
時には住民の姿を目撃したり、気配を感じることもできる。
車で通り過ぎるよりもより濃厚に、生活が見える。
自分の人生と関わることがないであろう誰かの日々の営みを感じると、嬉しくなる?安心する?尊い?萌え?言い表せないようなキューっとした感情がこみ上げる。
最近は「エモい」という言葉が一番しっくりくると思っている。

暗がりを空が照らしていた

市街地の交差点の手前。ビルとビルの間に少し奥まって、古い民家が建っていた。
日照権を奪われた暗がりに、灰色の瓦屋根の二階建て。コンクリート塀があって、より薄暗く見える。一階の庇は臙脂色のトタンで、二階の大きな格子窓は木製っぽい。町家のような風情を醸している。
家の前には車三台ほどが置けるスペースがある。市街地にしては珍しくアスファルト舗装されていない真砂土のスペースにはたまに車が停まっているけど、いつも違う車だから隣のビルの駐車場なのかもしれない。
赤い郵便受けが生活の匂いを放つけど、いつ見ても窓は締め切られており、私がその家の前を通る頻度では住民がいるのかどうかはわからなかった。
交差点の長い信号に引っかかる度、私の視線はビルの狭間のポツンと民家に奪われていた。

その民家も2021年頃には更地になり、低層だが現代的なビルになった。
更地になる少し前の夏頃だったと思う。
いつものように交差点で信号待ちをして、その家に視線をやった。
私の目は暗い民家を貫いて、空を見上げることになる。
二階の窓が開いていたのだ。
表の大きな窓が開いていて、更にその奥にある対面窓が開いていた。
いつも薄暗い印象だった気になる民家を、四角い青空が貫いている。
私の体は愛車の中にあるのに、一瞬、家を通り抜ける風になったかのような、窓と窓の間にある部屋の様子すら感じられるような感覚におそわれた。
思わず「うわぁ~」と声をあげていた。数秒後には青信号に従って通り過ぎていったのだけど、あの感動はなんだろうと我ながら不思議だった。
今思えば、家を解体するための作業中で窓が開けられていたのかもしれない。何にせよ、あの家はもうない。どんな人がどんな暮らしを営んで、対面窓を吹き抜ける風がどんなだったのか、あそこから見た空がどんなだったのか、知る術はない。

この衝撃は、私の都市鑑賞趣味の種だった。
SNSで界隈に触れ、自分に似た目を持つ人達の写真や言葉を浴びてどんどんと性癖が形作られていった。
「建物」×「生活」に震える魂を携えて、私は街を歩く。
そして時々、暗がりを照らした空色を思い出している。

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