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最近のわたしについて。


2022年 9月15日

産声をあげたのは、探しあぐねた愛だった。



妊娠がわかってから、本当に色んなことが度重なって
我ながら忙し過ぎる妊婦だったと思う。

つらいこと、かなしいこと、しんどいこと
たくさんたくさんあったけど
でもすごく、自分でも驚くほどに穏やかで
歓びや豊かさが溢れ出すような日々だった。


足るを知る。

足りないと思うものがあれだけあったはずなのに
今、足りないものが無いどころか
充分過ぎるくらいに、全てがここに在ると思える。


でも同時に
それはもう語り尽くせないほどの不安や葛藤、苦しみがあった。

そしてそれは今も、消え去ったわけではない。
きっとこの先も、消え去ることはないのかもしれない。

けれど今のわたしはそれをも
抱きしめていきたいと思っている。

いつの日か、その痛みも苦しみも
わたしの美しさになり、宝になっていくことを
ちゃんと知っているから。





妊娠がわかったのは
noteに一つ前の文章を投稿したすぐ後のこと。
自分にとっても予想だにしない、突拍子もない出来事だったけれど
それも必然的なタイミングだったんだろうと
全ての辻褄が合っていっているように思う。



解放、原点回帰。
答え合わせ。

産後のわたしを言語化するなら
この三つに尽きるだろう。

(答え合わせというのはさっきの通り、起きる全ての辻褄が、わたしの中で合っていってるという意味で。)


新しいわたしに成っていくというより
"元"のわたしに還っていく感覚。

わたしは、今のわたしを知っている。
でもきっと、知っているわたしより
より良くなっていることも。


生まれるときに持ってきたもの。
持っていたもの。
大人になる過程で、この世界では不必要なんだと
失くしていってしまったものを
失くすしかなかったものを
取り戻していっているような、そんな感覚。


自分に戻っていく。
わたしがわたしになる。


わたしのテーマはずっと、
愛と希望と、共存。
今はそれに加えて、解放も。

やっと全てが本当の意味で深まって
ひとつひとつのテーマをとても近くに感じる。


出産と共に、体の中の重たいものが
全て出たのかと思うくらい
ましろが出してくれたのかと思うくらい
不思議なほど、体も心も
どんどん軽くなっていって
どうでもいいと思うことが増えて
それらを自然と手放したら
大切なものはより大きくなっていった。

妊娠する前、ほんの少し前の感情や記憶が
まるで前世のもののように遠く
懐かしささえ感じたり。



わたしはずっと、自分にたいして
嫌になるほど完璧主義だったし
それゆえのリスクヘッジ先行思考。

決断するのはわりと思いつきで、直感型だけれど
実行までの準備は念には念を
石橋を叩いて渡る極みのような人間だった。

それが少しずつ変化してきた途端の妊娠。
だからこそ、出産や子育てに関しては
あえてほとんど知識や情報を入れず
その瞬間感じるままに、身を任せてみようと思った。

そう思い切ることは
わたしにとってはかなりのチャレンジで
ある種革命のようだったけれど
冒頭でも書いたように、妊娠中のわたしは
気持ち的にはゆったりと
しかしやることは次から次へとやってきて
とにかく忙しく過ごしていたので
知識や情報を固める余裕がなかったことも相まって
考える暇もなく、予定日より少し早くに
突然きた彼女からの合図によって
すんなり革命には成功していた。



そんな、革命も兼ねることになった陣痛から出産までを
凄まじく押し寄せる波に意識が遠のきながらも
不思議と鮮明に覚えている。


今までの人生の中で
これほど必死になったことがあっただろうかと思った。

これほど恐怖を感じたことがあっただろうか。
これほどの恐怖と、歓びと、覚悟が
目に見えるようにはっきりと、
自分の中に混在したことがあっただろうか。


浅くなる呼吸をなんとか深める。
次にくる波へのとてつもない恐怖心と
痛みとも思えないほどの凄まじい感覚に
閉じてしまう目をどうにか開ける。

見なければ。この瞬間を。

もうすぐ生まれるのは
紛れもなくわたしの方だと確信を持った。
今までの人生が走馬灯のように
頭の中を駆け巡る。

涙がとまらない。
痛み?恐怖?不安?
違う。そんなものじゃない。

ただただ溢れる。
感情と、始まりと、終わりと
体や心に溜まっていたものが
とめどなく溢れていた。

ぐしゃぐしゃになるほど必死なのに
どこか冷静で。


恐ろしいほどの波が押し寄せるたび
海を割るほどの、大陸を動かすほどのパワーが
この場所に、わたしに、
一身に向かってくるような
わたし自身が放出しているような
猛烈にどこからか込み上げてくる、湧き上がってくるなにかに
ただひたすら集中した。

そして気づいたらもう、恐怖なんて無かった。



am 6:39 彼女の声を聞いたその瞬間に
わたしはこの世界に、光を見出した。


はじめましてを言おうと思っていたのに
彼女の声を聞いたとき
赤い顔で泣く彼女を抱いたとき
はじめてではないと、そう強く思った。

わたしはきみを、きみはわたしを
どこかでずっと、知っていたのかもしれない。


わたしのもとにきてくれて、ありがとう。




当然のように
自分の中にすっきりした気持ちと、気づきと
出産と共に出し切った恐れや苦しみ。

必死になることがダサいと言われる時代で
必死でやることの素晴らしさと
自分の核を見つけた。


ましろが出してくれた重圧。
産後、体重と共にするする落ちていった鎧と
嫌なもの。

もう要らないもの。

思考のしがらみや足枷
重かったものが全て外れて
すごく気持ちが軽やかで、健やか。




妊娠や出産に続いて
わたしにとってすごく重要だったのは
命の始まりと同時期に、命の終わりにも触れたこと。

命の始まりと終わりを同時期に感じて
けしてネガティブなイメージではなく
ああ、終わりと始まりは
やっぱり繋がっているんだと
不謹慎なのかもしれないけれど
感じずにはいられなかった。

終わりは始まり。
この世界の全ては、ひとつの円状に繋がって
循環していること。

なんとなく、ぼんやり意識の中にあったことを
明確にしてもらったような
確信に変わっていくような
まさに、わたしを表す言葉として出した、
"答え合わせ"のようだった。

すごく大きな別れだったのに
不思議なくらい、なにかが吹っ切れたように気持ちは晴れやかで
渡されたバトンに清々しささえ感じるほど
広く澄み渡っていた。



わたしが解き放たれた途端に
不思議だとしか言いようがないことが
本当に度重なって
必要なものが、まるで待っていたかのように
引き寄せられるように集まってきてくれた。

けれどこれは、もともと持つ"運"だとか
"上手くいくタイプ"とか
そんな安易なものではなくて
絶対的に、わたしが積み上げてきたものの結果なのだと
そう感じられて、感じさせてもらえて
より救われて、うれしくて
認められるような、讃えられるような
祝福されるようなあたたかさが
当たり前なんかじゃなく、なによりありがたかった。


かなしい気持ちになるたび、落ちていく。
水の中に、体がどんどん沈んでいく。

そんな感覚を、小さい頃から持っていたけれど

いつか読んだ本の中に
"落ちて落ちて、とことん落ちて
底に着くことを、落ち着くというのだ" と
書いてあったことをふと思い出す。


もがいて苦しんで、何度も腐って
でも、ちゃんと腐り切ったから
新しい芽を出すことが出来て。

種を蒔いてから、どれだけ芽が出なくても
途方もないように感じたり
無駄なのかもと塞ぎ込んでも
陽が射す日も、雨の日も、風の日も
どんなときも、大事に守ってきたから
今こうして、豊かさを知ることが出来て
それが自然と、わたしの幹になっていった。


全部が、少しずつ違う。
あの頃望んでいた豊かさではないだろう。

なのに
これでよかった、これがよかったと
今、心底思えているのは、
豊かさのかたちはひとつだけだと
そうでなければ価値が無いと
わたし自身が思い込んでいたことに
やっと気づいたから。

あの頃知らなかった、知る由もなかった豊かさを
今のわたしは持っている。

だからこそ思い続けたい。伝え続けたい。
わたしへ、そしてあなたへ。


わたしたちは、もう全て持ってる。



たとえチグハグでも、無意味だったと感じても
紡いでいった先で
ああこの瞬間のためだったのかと
気づく瞬間にきっと出会う。

その瞬間に、気づける自分でいたいのだ。


色んな糸で、色んな向きで
外からはチグハグに、歪に見えるかもしれない。

でもその全てを紡いで纏ったら、美しかった。


無理矢理繋ぎ合わせたことが
間違いだったのかもしれないと
歪に織り交ぜられた糸を見て思ってばかりだった。

でもそれは
人間の、わたしの、美しさだった。



今までもしつこいほどに
希望を見てほしいと願い伝えるあなたは
紛れもなく、かつてのわたし。

ねえ、だから
心配しなくていいよ。

傷だらけ、傷跡だらけ
それも抱いて、生きてみたら
それはきっと美しさになる。


正しい道だけを選ぶべきだった。
そうかもね。それもあり。
でもわたしは、これがいい。

要領悪く、散々遠回りをして
草木掻き分けて進んだ道で見た景色
そこで出逢ったものたちが
今のわたしを彩って、守ってくれている。

それこそが、わたしにとって
紛れもない宝なんだ。




これまでのわたしは
10代の頃よりだいぶマシにはなっていたけれど
窮屈さと不自由さを、どこか感じ続けていた。

でも今わかることは

わたしがずっと
なんとなくずっとかなしかったのは、
誰にも愛されていないからじゃなくて
誰のことも愛していないからだったということ。


幸せとは?愛とは?
一生繰り返し続けると思っていた自問自答。

性善説、性悪説。
人間の根本はどこにあるのか。

人はどこからきて、どこにいくの?

そんなことを、誰に問われたわけでもなく
誰に話すわけでもなく
ただただ一人、考え続けてきた。

なんのため?
それはまだ、わからない。

でも、それもまた良い。
いつか目を閉じるとき、きっとわかるだろうから。

そんな風に思える今が
なんだかとても、心地良い。






この生活を、ずっと知っていたような
この今を
こうなることを
ここに還ってくることを

わたしはずっと、知っていたような
不思議な感覚。


知らない光を、知っていることに気づいた。
信じていたことを、もう一度信じる。

わたしがわたしになる。

開け放たれた扉に
待っていたかのように
必然のように入った。
こわいものしかなかったのに
解き放たれたら
こわいものはもう、何一つ無かった。

必要なものは、全てここに。




今までは見せてこなかった部分。
葛藤や苦難、それらを超えている過程を
最近意識して見せているのは
見せる必要があると、今のわたしが思い始めたから。

わたしがこれから先やっていきたいことや
伝えていきたいことに説得力を持たせるためにも
見せていくことは重要になると思っているし
超えた後の結果だけ見せるのと
超えるまでの過程や
その中での気持ちも含めて見せることは
届き方も響き方も、絶対に違う。

今まで見せていないものが多かったのは
誰かからより良く見られたいからとか
そういう類のものではなくて
ただ単に、必要がなかったからで。

本来のわたしは
見せることも見られることも好きではない。
だから見せないでいることは
わたしにとってはごく自然なことだった。


けれど
葛藤や苦難を抱えて
それでもその先にいこうと出来る人の多くが
抱えているものを進んで語ろうとしないことに
もどかしさを感じることもあった。

共感し合えたり、超えるための方法や術を
教えてもらえる機会が少ないことで
余計に抱え込んでしまったり
これだけSNSが普及する今の時代でも
同じようなものを抱えてる人を見つけることが
すごく難しいとも思っていた。


だからこそ
良いも悪いも、発信し続けることで
いつか誰かに届くなら
誰かをそっと、守れたら
顔も知らない誰かに認めてもらうことより
それは遥かに意義があると
本当に本気で、そう思うから。

手紙を書くような気持ちで綴っているし
わたしが発信する理由は
"見せたいから"ではないということは
これまでもこれからも変わらない。


とはいえ、見逃したくない瞬間だらけ
毎日時間が足りない今の生活の中で
わたしの想いを明確なかたちにするのは
もう少し時間がかかります。

良いかたちとして出したいからこそ
その意味により多くの意義を感じてほしいからこそ
時間をかけて、つくっていきます。


ただ、これまでの
そして今の葛藤たちについての内容や詳細を
書くか否かについては、まだ決めていません。

書きたいとも思っていないし、
書きたくないとも思っていない。

書くかもしれないし、書かないかもしれない。
どちらにせよ、時に任せようと思っています。
タイミングがきたなら、そのときはまた
読んでもらえたらうれしいな。





ここに至るまでの道中は
けして平坦なものではなくて
試練の如く降りかかる全てに耐え忍ぶことは
容易なことではなかった。

でも何故か、当然のように対峙し
越えようとしていて
どこか平然としている自分がいた。


人生一の希望と歓び、そして試練。
それら全てを言語化することはすごく難しくて
今の全て、なにをどこまで書くべきかも考えながら
何度もストップしたり書き直したり
始めてから書き上げるまでに
思ったよりかなり時間がかかったし
今まで以上に時間をかけて向き合った。


それゆえ随分と長くなってしまったけれど、
ここまで読んでくれたあなたに向けて、おわりに。




わたしは、誰かが思っているよりずっと
平凡で、自然体で、シンプル。

山を越え谷を越え、強くなって、弱くなれた。
わたしは平凡な凡人。
その平凡な凡人であり続けたいとも思うのだ。


自分の無力さに絶望し続けた日々。
それが今や
ひとりじゃなにも出来ないことが
こんなにもうれしくて、心地良い。


ファッション、髪型、メイク諸々
この先わたしの容姿が変わったとしても
わたし自身はきっとブレない。

たとえばわたしの容姿が変わっていったとして
それを見て離れていく人が大勢いたとしても
繋ぎ止めようと、好きになってほしいと思わない。

恐れてすらいない。

きっと
重要な人じゃなかっただけ
縁がなかっただけ

ただ、通りすがっただけ。


道すがら、好きになってくれたらありがたい。
でもそうじゃなくても、気にも留めない。

通りすがりの人を全員
覚えていられないでしょう。


縁があったなら、それは最高だけど
そうじゃなくても、それはそれ。
大したことじゃない。

バッグの中じゃなく心の内に
豊かさと愛をたくさん持って

わたしはこれからも、心のままに。



"着のみ着の儘"

わたしにとっては、

"気のみ気のまま"

目的地は決めてない。
今はもう決める気もない。

だから、迷わない。


これまでの、これからのわたしへ。
そして、あなたへ。

新生 結ばれる(める)

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