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一首評:三田三郎「ワイドショーだよ人生は」より

パーティーで失言をした大臣のその時はまだ楽しげな顔
三田三郎「ワイドショーだよ人生は」(『鬼と踊る』収録)より

この一首にある音的な仕掛けはおそらく、上の句での「失言」と「した」で共通する「シ」音、それから「失言」と「大臣」で共通する「ン」音であろう。上の句がリズムよく読めるようになっている。

さて、リズムに乗りつつこの短歌を読んだ時に、私はある古い舌禍事件を思い出していた。サントリー社長(当時)・佐治敬三が起こした「東北熊襲発言」である(詳しくはWikipediaなどを参照してください)。

1988年にある報道番組で首都機能移転問題が扱われた時に、講演会か何かで(近畿の経済人である)佐治が仙台市や東北への差別発言をする様子が流れた。ちょうどリアルタイムでその番組を見ていた私は、「失言」と言う言葉の意味もまだよくわからない子どもながらに「あれ?今のって、言っちゃいけないことでは?」と感じ、ざわっとした。ところが、テレビの画面の中では佐治は愉快そうに得意そうに話し続けているし、聴衆も笑っている。(今でいうところの)共感性羞恥ともちょっと違う、なんとも居心地の悪い感覚が私を襲う。

後日、この舌禍事件はサントリー製品の東北での不買運動に発展し大問題となっていく。そのニュースが聞こえてくるたびに、私は放送を見ながら感じた「なんとも言えない居心地の悪さ」を思い出していた。

その「居心地の悪さ」は、当事者が気づいていないところで状況が悪化していくダイナミクスを神の視点的に見ながらぞわぞわしている感覚もしれない。あるいはそういう、見えないところで実は自分に端を発する悪いことが進行している状況に心当たりがあり、それに対する恐怖かもしれない。

ともあれ、この歌は、その時の感情に名前をつけてもらったような気持ちにさせてくれるものだった。

追記(2021年9月29日 22:38)
音的な仕掛けにもう一つ気づいたので書いておきます。

下の句の「楽しげな顔」。ここは別に「嬉しげな」でも「愉快げな」でも意味的にはそんなに変わらないわけですが、「TANOSHIGE」と「KAO」で、母音だけ拾うと「AO」音が続く「楽しげな」が、音的に一番気持ちがいいですね、やはり。作者は意識的か無意識的かわからないですが、ちゃんと選んでいるのだと思います。

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