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一首評:仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』より

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
(仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』収録)

この短歌は、ガラッと世界が変容する面白さが味わえる一首だと思う。

まず、上の句では、あたかも、夕方の赤い陽の光が低い角度から谷に差し込んできて照らし、(自然の)谷にある景色を浮かび上がらせているように詠まれている。この歌が詠まれたと推測される時期から考えれば、例えば『風の谷のナウシカ』における「風の谷」の情景も想起されるかもしれない。

ところが一転、下の句の冒頭で「PARCO」と出てくる。しかも三基。これだけで上の句の最後に記された「この谷」とは、自然の風景が満ちる谷などではなく、「渋谷」であることが明白になる。「PARCO」の記し方が、企業名の「パルコ」ではなく、ロゴの英文字の「PARCO」のままなのも、その世界の変容の鮮やかさに一役買っている。

ここで少しだけ当時の都市風俗に関する解説を。

PARCOはかつて、西武鉄道グループの流れにあるセゾングループ(この創業者が詩人でもある堤清二、筆名・辻井喬というのがまた趣深い)の一角をなす企業だった。そして80年代、PARCOは若者文化、消費文化、広告文化の象徴のような存在だった。

特に渋谷には、PARCOのフラッグシップ店「渋谷PARCO」が存在し、しかも(おそらくはこの短歌が詠まれた時期であろう)1980年代前半には、渋谷PARCOはPart1からPart3まで三棟建っていた(だから「三基」の「PARCO」で渋谷と特定されるのだ)。

ちなみにその後、渋谷の街のPARCOは四「基」まで増える(QUATTRO by PARCOが1988年に開業)が、経済状況の変遷や建物の老朽化・耐震問題などあいまって、現在は(Part1とPart3を統合しリニューアルした)一棟を残すのみとなっている。

短歌の話に戻ろう。下の句の冒頭「PARCO三基」で、描かれる世界は一気に華やかで賑やかな渋谷の街に変わる。が、その直後に「墓碑となすまで」と来る。喧騒からまた一気に静寂に移り変わり、歌は終わる。夕暮れの陽の光にPARCOだけが照らされ、赤く輝いている様子が頭に浮かぶ。渋谷という都市の墓標のように。その光景はとても「しづか」だ。

この変容を滑らかに接続しているのが「基」という助数詞だ。本来、ビルの助数詞は「棟」である。「基」も「人間ひとりの手では動かすことができない施設や設置物」に使われる助数詞であるが、「人間がその中で活動したり生活したりする空間を提供する目的」で建てられた施設には使われない。そして何より、墓の助数詞が「基」である(参照:飯田朝子『数え方の辞典』)。

すなわち、三棟の「PARCO」を「三基」と数えている瞬間にはもうすでに、作者にとっての「PARCO」は「人間がその中で活動したり生活したり」するものには見えてなかったのだろう。そして一気に「墓碑」という言葉に滑らかにつながる。ここの助数詞は、たった一文字・一音にも関わらず本当に効果的だ。

上の句から下の句への世界の変容、さらには下の句の中での喧騒から静寂への変容の鮮やかさが、この短歌の魅力だと思う。そして、そのように世界が見えてしまった作者の都市生活に対する感情にもまた、思いを馳せたくなる一首である。

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