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「はだし教育」の記憶

一昨日の夕方に降り積もった雪は、昨日は寒さで残っていたものの、流石に今日は溶けつつあるようだ。日陰の路面は変わらず凍っているようだが。

そしてふと子どもの頃を思い出す。ご多分に漏れずおバカな男子小学生だったので、真冬でも半袖半ズボンを貫き通そうとしていたりした(雪国・新潟なのに……)。寒さに強い奴がえらい、みたいな空気、ちょっとありましたよね。

さて、そんな記憶にくっついてくるようにして、あの頃の教育のひとつを急に思い出した。

そういえば、私が子どもの頃、やたらとはだしでいることが推されていたなあ、と。

いわゆる「はだし教育」というやつである。

「はだし教育」……当時のうっすらとした記憶を思い出していくと、「子どもたちが自然に触れる機会が減ってきている今(70年代末から80年代初頭のことです)、毎日はだしで生活させて、自然との触れ合いを取り戻そう」とか「はだしの機会が減って子どもたちに扁平足が増えた、はだし生活で扁平足を改善しよう」とか、そんなお題目のもとに、推奨されていたと思う。

それこそ、昨日今日のように雪の積もったグラウンドにも、はだしで飛び出していって遊んだりもしていたと記憶している。

子どもの頃の刷り込みというのは恐ろしいもので、最近でこそ足先が冷えるのが嫌で家の中では靴下を履くようになったが、30代ぐらいまでは「はだしでいることが一番自然」という意識が強く、家の中でははだしで過ごすことの方が多かった。

しかし、今になって冷静に考えてみると、あの「はだし教育」運動って、どれほどの科学的根拠があったのだろうか、と疑問にも思う。

今風の言い方をすれば、もしかしたらカルト的な何かが教育現場に入り込んでの流行だったのかもしれない。

そう思って少し調べてみたら、こんなサイトを見つけた。やはり時期的には、1970年代後半から全国的に流行していったようだ。私が子どもの頃は、その流行が爆発的に広がっていくタイミングだったのだろう。

さらに調べてみると、どうやら福島県白河市の一小学校校長が、直感的に効果があると信じて、提唱したところがスタートらしい。「科学的根拠」は後付けなのだろう。

そして、おそらくだが、この「はだし礼賛」の背後には、ローマ五輪・東京五輪でマラソン2連覇を果たしたアベベ・ビキラ選手の存在があったのだろう。「はだしの英雄アベベ」だ。

もちろんわたしたちの世代には、アベベはリアルタイムでもなんでもない。しかしわたしの親の世代にとっては、陸上選手のヒーローといえばアベベ(あるいは円谷幸吉)であり、はだしといえばアベベ、アベベといえばはだしであった。

アベベのローマ五輪におけるはだしでの力走は、はだしに対して、プラスのイメージを多くの人に抱かせていたに違いない。これは「はだし教育」に少なからず影響を与えたことだろう。

一応、子どもの健康への効果に科学的根拠はあるようであるが、足の健康的な成長にさして効果はない、という研究結果もあるらしい。

なにより、自分が子どもの頃はさして疑問に思わなかったが、いくらグラウンドが比較的きれいに整備されていた学校だったとはいえ、破傷風をはじめとする感染症にかからずに済んでよかったなあ、といまなら少し怖くなる。

上でも書いたように、おバカ男子小学生はだいたいロクでもないことをする。危険なところにも平気で行く。私はせずに済んだがはだしでガラスの破片や釘を踏み抜いた子どもも、当時にはいたのではないだろうか。

そして、もうひとつ思い出した。学校のトイレもはだしで入っていたはずである。衛生面ではかなり疑問が残る。

教育現場のことはあまり詳しくないが、時として、現場での思いつきがさしたる科学的根拠もなしにさもそれが「新しい教育理論」のような顔をして急速に普及することが、日本の教育現場にはままあるように思える。いや、それはあくまで「昭和の出来事」だったのだろうか。

それとも今でも「そういうこと」は往々にしてあるのだろうか。

……そんなことを考えていたら、ふいにひとつの謎が解けた。

私にはいくつか「繰り返し見る悪夢」があるのだが、そのひとつに、「水のうっすらと溜まった床のトイレに自分がはだしで入っていってそこで用を足さなければいけない」というものがある。

おそらく、子どもの頃、「はだしで学校のトイレに入った時の不愉快な感触」がいまだに脳に身体に記憶されているのだろう。

「はだし教育」……少なくとも今のわたしにとってはマイナスである。


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