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料理動画、マルコメのCM、豊かな食事

最近、在宅での仕事が忙しかったりしてどうにも食事をつくるモチベーションが湧かないときに、料理研究家・リュウジによる料理動画「リュウジのバズレシピ」のお世話になっている。

彼の料理動画にはいくつかシリーズがあるのだが、その中でも特にお気に入りは「虚無シリーズ」と呼ばれるものだ。もう、ほんとに食事を作る気がない時でも、わずかな労力で美味しいものが作れるので、ここ数ヶ月の私をかなり救ってくれている。

料理研究家・リュウジはふざけたようなノリを見せるが、動画の中でちょくちょく語られる話を聞いていると、料理に対するポリシーが強くあるということがよくわかる。

手間暇かけて作った料理も「虚無シリーズ」のような食事も、両方美味しいと言えることこそが豊かなのだ、という彼のスタンスには、私も心から共感する。

ちなみに、今日の昼は仕事の合間にこの「虚無丼」を作って、昼飯とした。美味しかったので、おすすめである。

さて。「虚無シリーズ」もとても美味しいが、たまには手間暇かけた料理をつくって家族と食べたくなる

手間暇かけて作られた食事。多くの人が「豊かな食事」であると信じているような食事だ。

この「多くの人が『豊かな食事』であると信じているような食事」を思うとき、最近の私が頭に浮かべてしまうCMがある。

マルコメが3年前に制作したCM「料亭の味 液みそ いつまでも一緒に篇」だ。

老夫婦ふたりの関係性の豊かさと相まって、ここで描かれている食事はとても豊かなものだ(もちろん、それを支えているのはマルコメの液みそだ)。

派手さはなく、贅沢さもなく、ささやかで慎ましやかな生活とそれを支える食事。現実にも十分ありそうな光景。

だが、もはやこのような「豊かな食事」は、ファンタジーの領域に足を突っ込み始めている

老後に向けてどれぐらいの蓄えをすれば、このような食生活ができるというのか。まだこれぐらいの年齢ならば働き続けてなければ難しいのではないか。

この老夫婦が住んでいるような海辺の傾斜地の居住地の道路インフラを、車椅子をスムーズに使えるぐらいには整備されているレベルで維持し続けることは可能なのか

あれぐらいの人口規模と思しき街に、CMの中で一瞬出て来るスーパーマーケットはいつまで存続が可能なのか

これだけの美味しさを支えるような質が高くバラエティに富んだ調味料を、日本の企業は庶民が買える値段でいつまで提供し続けられるのだろうか

少なくとも私がこのCMの男性の年齢になる頃に、このCMで描かれているような「豊かな食事」を、そしてそれを核とした「豊かな生活」を実現できるとは、今の社会経済を見ていたら、到底信じられない

加えて、この「豊かな食事」の非現実性の要因は、そういう経済的な背景ばかりではない。

料理の技術についても、だ。

このCMの中で、妻が足を悪くしてから台所に立つことを始めたという男性の作っている料理は、思いのほかちゃんと出来ている。盛り付けも丁寧だ。おそらく若い頃に多少は料理をしていたのではないだろうか。

あるいは、自分ではしていなくても、自分の親や妻など、周りでちゃんと料理をつくるひとがいたのだろう。そういうひとはいるだけでもなんとなく「料理をつくる」ということがどういうことか、わかるものだから。

だが、手間暇をかけた料理をする機会を持たないひとが増えていってしまった時、どうなるのだろうか。

最初に紹介した、リュウジのバズレシピの「虚無シリーズ」。これはこれで人の気持ちを救ってくれるものだ。加えて言えば、このようなレシピでも、料理の基本的な技術はちゃんとあったほうが美味しくできる。

それでも私はたまには手間暇かけた料理を作りたくなるのは、そういう料理が食べたいからだけではない。自分の料理の技術を一定のレベルには保っておきたいからだ。

リュウジのバズレシピの「虚無シリーズ」でも自分で台所にたてばまだいい。しかし、台所に立つ経験が皆無のまま歳を重ねていく人が大半になった時、くだんのCMのような「豊かな食事」は、やはり空想のものでしかなくなるだろう。

よくネタにされる「イギリスのマズい飯」。しかしそれは、産業革命の時代に低所得の労働者が、劣悪な労働・居住環境に放り込まれることで、伝統的な料理を作る機会を失い、料理の文化自体が損なわれていったからだ、という説を聞いたことがある。

私自身、日々の暮らしのなかで、ストレスにならない食生活を模索している。そのためには過去にこだわってばかりいても仕方ないとも思っている。これからも簡便な料理法も取り入れていくだろう。

でも、一方で私たちは、ある種の「豊かな食事」を急速にかつ不可逆的に失いつつある……そんな嫌な予感がどうしても振り払えないでいるのだ。


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