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一首評:岡野大嗣『たやすみなさい』より
れすといんぴいすれすといんぴいすフタの上で液体スープ温めながら
カップラーメンをつくる動作のなかには弔いの所作があることを発見する短歌。
形の上では88677とかなりな破調(特に上の句)だけれども、下の句が77と定型に収まっていること、そして上の句の「れすといんぴいす」のリフレインが自然であることで、違和感はない。
「れすといんぴいす」……これはもちろん「Rest in Peace(安らかに眠れ)」のこと。「R.I.P.」とも略される弔いのフレーズだ。このフレーズがひらがなで繰り返されて、なにごとかと思っていると、カップラーメン(カップ焼きそばかもしれないが)を作っているシーンだとわかる。
さて、「フタの上」に「液体スープ」を載せる所作は、最近の液体タイプのスープのカップ麺ではよくやるものだ。
この所作を、しかし「れすといんぴいす」とつぶやきながらすると、それはあたかも、墓石をのせて弔う所作に変貌する。
漫画家・吉野朔実の『吉野朔実劇場 弟の家には本棚がない』のなかで、彼女が小学生の時に、「世界の本当にあった怖い話」を借りてきて読んだら、その本の中に怖いものが詰まっていると思うと怖くて眠れなくなってしまい、本を台所に持っていって、テーブルの上に本をのせ、さらにその上に漬物石をのせて、やっと安心して眠れた、というエピソードが出てくる。
そんな彼女の話に、彼女の友人はひとことこう言う。
墓石の起源ですね
カップラーメンの「フタの上」に何か重しになるものをのせて、中のものを閉じ込める……このうたを読むまで気づかなかったけれども、ここには実は墓石を置く所作があったのだ。
そこに気づくと、カップラーメンを食べるまでのあいだに、他にも弔いの所作が潜んでいる気がしてくる。箸をカップ麺の上に真横に置く。カップ麺の縦軸に箸の横軸……十字を切っているかのようなビジュアル。
そして、カップ麺が出来上がり食べようとする。その時にあるひとは「いただきます」と手を合わせるだろう。ここにも祈りの所作が現れる。
カップラーメンと弔い。距離が果てしなく遠い物事のようでいて、実は共通する所作がある。そんな思いがけない、でも気づいてしまえば、昔からそれを感じていたとさえ思う。そんな説得力。
ひらがなで書かれた「れすといんぴいす」は、弔いとおまじないの間をすり抜けて、日常の何気ない光景の中に弔いの時間を現出させる。
諧謔と死を行き来しつつ日々の景色や記憶を描く岡野大嗣にしか詠めない短歌だと思う。
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