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一首評集

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歌人・虫追篤によるnote記事の中から、一首評をピックアップ。
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#短歌

一首評:來る「短歌ください」第190回 自由題(『ダ・ヴィンチ』2024年2月号掲載)

もし私がコーヒーミルで遺骨を砕いたとしたら、そのとき私の手にはどんな感触がのこり、耳には…

虫追篤
5か月前
8

一首評:近藤かすみ「雲井通」より

鉄道の改札口のほとんどが自動改札機になって久しい。そこを通り抜けるたびに、空港での手荷物…

虫追篤
5か月前
2

一首評:近藤かすみ「水滴」より

「やのあさって」とは、今日から数えて3日後のこと、つまり「明後日の次」の日を指す。「しあ…

虫追篤
5か月前
4

一首評:田中有芽子「私は日本狼アレルギーかもしれないがもうわからない 【あ】行」…

一瞬のSF。 一瞬、破調に迷うようなうた。でも、 あしたはい/ちじかんがよん/じゅうごふん…

虫追篤
8か月前
5

一首評:藤原建一「2017年11月4日 日経歌壇」掲載歌

マスメディアによる報道の特質を端的に表しているうただと思う。 このうたが日経歌壇に掲載さ…

虫追篤
8か月前
2

一首評:藤原建一「2020年9月19日 日経歌壇」掲載歌

不穏。どこまでも不穏。 作者が「山なか」のひとけのない沼に来て、その沼に釣竿が浮いている…

虫追篤
8か月前
1

一首評:藤原建一「2023年8月5日 日経歌壇」掲載歌

よく知っていたはずのものから新たな美を見つけ出すようなうた。 「絵の中の物音に耳を澄ましをり」と上の句まで読んだところでは、読み手の頭の中にはなんとなく、印象的な音が聴こえてきそうな古今東西の絵画が浮かぶはずだ。 例えば、ルノワールの『ピアノを弾く二人の少女』。例えば、ブリューゲルの『雪中の狩人』。例えば、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』…… しかし、続く下の句で出てくる絵画の名前、フェルメール『牛乳を注ぐ女』に読み手は少し驚く。牛乳を注いでいる様子は確かに記憶

一首評:我妻俊樹「十月」より

最近、我妻俊樹の短歌がとても好きで、氏のTwitterで発信される新作も楽しみにしている。 読…

虫追篤
8か月前
2

一首評:三田三郎「最敬礼」より

なんか急にわかっちゃった気がして、この一首評を書き始めている。いやもしかしたら、わかっち…

虫追篤
1年前
3

一首評:藤原建一「2022年8月27日 日経歌壇」掲載歌

急に「死者」に出会ってしまった時の居心地の悪さや心のざらつきにフォーカスが当たる短歌。 …

虫追篤
1年前
1

一首評:藤原建一「2022年4月23日 日経歌壇」掲載歌

誰もが感じるような不安と、神経症的な妄執、そして正常性バイアス……これらの間をそれこそ揺…

虫追篤
2年前
5

一首評:木下龍也「雲の待合室」より

この人は生き延びれただろうか、と思う。 この短歌を最初に読んだのは、穂村弘編『短歌くださ…

虫追篤
2年前
7

一首評:三田三郎「自律神経没後八年」より

これは、字余りと位相の異なる言葉の混在による演出が効果的にはたらいている短歌なのではない…

虫追篤
2年前
9

一首評:渡辺松男「鏡と時間」より(その2)

この短歌自体が誘う虚構の強さと、連作の中で位置付けられるからこそ見えてくるイメージ……そんなことを考えさせられる短歌だ。 「鏡」という単語が上の句、下の句で1回ずつ出てくる。「鏡」という言葉や存在にいやがうえにも目が向けられるようになっている。 「大きなる鏡」というものがどういう鏡なのか、どれぐらい(何と比較して)「大き」いものなのか、具体的なことは言及されていない。されてないが故に、各々が頭に浮かべる普遍的な(しかし身近な)鏡が想起される。 歌全体が作り出すイメージは