見出し画像

6月18日 川越と新河岸川

みなさん、こんにちは。しょうたろうです。

今日は川越が小江戸と呼ばれる理由が川にあるというテーマでお話します。

川越市というのは埼玉県南部に位置する人口35万人の都市です。東京から電車で40分ほどと近いためベッドタウンとしての性格も持ち、また伝統的な街並みが保存されている「小江戸」の街の1つでもあります。

川越の名前は知っている方でも小江戸の街並みが川と大きく関連していることを知っている方は少ないのではないでしょうか?

話は江戸時代に遡ります。
川越には川越藩という藩があり、埼玉県の中でも非常に大きな藩でした。この川越藩と江戸との間で人やモノの行き交いが発生し、主な交通手段として新河岸川が利用されました。

新河岸川は川越市から南東に流れ、東京都北区辺りで隅田川と合流する河川です。この川は川越藩により整備され、川越と江戸を結ぶ大動脈として活躍していました。

この新河岸川を使った物流によって川越の商人は大きな利益を上げます。彼らの財力によって川越の街は大きな発展を遂げます。

しかしそんな川越に不幸が襲います。1893年明治26年に川越大火と呼ばれる火事が発生し、当時木造であった川越の街はほとんど焼けてしまったのです。

しかしそんな火事の中、偶然にも焼け残った建物がありました。その建物は漆喰で塗り固められた蔵造りで、木造住宅が燃え盛る中びくともしませんでした。

そこで川越の人々は蔵造りで街を立て直せば火事に強い立派な街ができると考えました。蔵造りは通常の家屋と比べて非常に高コストですが、当時非常に財力のあった川越の人々は一致団結し、蔵造りで街を復興させました。

そうしてできた蔵造りの街並みは100年以上経った現在でも残り続け、江戸から名前を変えた東京から今日も多くの観光客を集めています。

先日訪れた川越の街は市街地をぐるりと新河岸川に囲まれていました。
新河岸川の内側には蔵の街や旧城跡、神社などが立ち並び伝統を感じる一方、新河岸川の外側は国道沿いにチェーン店が立ち並び現代の生活感を感じます。

今はもう船を浮かべることのなくなった新河岸川は今でも私たちの生活を見守っているのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?