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ブランチとコヒーレント (6)

2021年10月のコヒーレント(2)

また、ねこさんが何か企んでいる。
先月Music Bar Cordaで一日店長イベントを行った。オムライス、おいしかった。しかしそれでは飽きたらなかったのか、今度は魚を振る舞いたいと、漁に出るらしい。

…漁?

ねこさんはビデオ配信サイトで毎日深夜近くに雑談やカラオケの配信をしていて、そこで日々ねこさんが思うことや近況を知る事ができる。

自分は仕事の大きなトラブル続きで睡眠時間は4時間も無い日が8月中旬からずっと続く状況で、仕事の合間の束の間の休息として、毎晩クタクタになりながらねこさんの声を聞いていた。学生時代、勉強の合間に聞いたオールナイトニッポンのような感覚。

そんな中、相変わらず気になるのにどう足掻いても遠いままの人、放送パーソナリティねこさんと珍しく共通項が見つかる。ウイスキー。

これまでに、バー以外で出会ったウイスキーが好きという女性は二人目。一人目はかつての同僚、二人目がねこさん。ウイスキーを好きという女性はかなり少ないと思う。かつての同僚は転職して今は疎遠になったが、以前はバーに行っては未知のウイスキーを試してバーテンダーさんと3人談義に花を咲かせていた。

嗜好品は、きっかけは様々も、その人に何らかの変化を与えるような出会いであったり、自分が変わりたいなど、何かを求めている時にその人に定着する。

そういう馴れ初め話をカウンターで話すのは、その人のひととなりというか、根本が見える気がして興味深い。そしてやっと見つかった自分との共通項。ねこさんにはどんな物語があったのだろう。

Music Bar Corda一日店長リベンジと称した2回目のイベントは、前日の早朝にねこさんが友達と二人で釣り船に乗り鯵を釣り、それを漬け丼にしてお客さんに振る舞うのだという。

漁の前日の夜、前泊している宿からねこさんとお友達がビデオ配信の画面の中で、お酒を飲みながらはしゃいでいる。明日朝早いのに元気だなあ、明日の朝、船の上でグロッキーになるんじゃないかと。

その後、漁の終わりにTwitterが更新され、釣果のツイートが出る。無事企画は進行しているようだ。またねこさんは忙しくて話しはできないだろう。
けど、明日は久々のご対面、しかもねこごはんだ。



イベント当日。キャストはアイドルでCorda発起人のたてみんさん、ナレーターやソロアイドルをマルチにこなす上石 菜月さん、元アイドルのますこ ちひろさん。

今日もテーブル席へ。菜月さん、ちひろさんと初めましての挨拶をして、一生懸命名前を覚えようとする。元々名前を覚えるのが苦手な上に、マスクをしているのでなかなか。

だけど、菜月さんの涼しげな目元、ちひろさんのほわんとした雰囲気は名前と紐付けやすかった。そしてたてみんさん。振る舞いの一つ一つがアイドルかと思ったらオタク風味が混ざっていて、一際のオーラを放っていた。
皆さすが人前に立つ人だけあって、自分の衰えた脳でも記憶に刻まれる。

ねこさんは下拵えした鯵を盛り付けて定食を仕立てていく。差し出された丼に乗る鯵は小骨が丁寧に除かれている。何十食分もこれやったのか、大変だっただろう。

鯵の素直な風味やねこさんの味づけは、つい1口が大きくなってしまう。お味噌汁は荒汁。味噌は控えめも、使っている具材の香りがわかりやすくていける。ものすごい手間を掛けて作られた食事が、ものの数分で自分の体に取り込まれてしまう。おいしい。食べ終わるのがおしい。

すごく正直なことを言うと、結婚直後の頃の嫁さんと味付けの方向性が似ている。

微かな磯の香りを口の中に残しつつ、さて、この後どうしようかなと思案する。メニューを見ると、本日限定ラミネートカード付きキャストドリンク、というものがある。

後で知った事なのだが、小型のインスタントカメラで撮った写真やラミネートカードはこういう業態ではよく見られる景品。これはビジネスであり、景品そのものに込められた思い出や価値だけでなく、お目当てのキャストさんを支援するという意味も含まれているそうだ。

この時の自分はそういう理解は全くなく、単純に、ラミカやチェキは、もらっても家での置き場所に困るな…と、オーダーは控える。純粋に、ねこさんご当人にしか興味が無かったというのが正しいのかもしれない。すまなかった。

客席は常に満席、ねこさんと話すことは叶わなそうだ。だけどお昼の時間からはだいぶ過ぎて、新たに来るお客は一旦落ち着いている。本能の欲求に忠実に従い、もう一杯頼んじゃおうかな。ということで丼の追加注文を受けてもらう。そのちょっと後、カウンターから「ごはん完売です!」との声が。あ、自分が最後の一つをもらうことに。

しばらくして、新たにお客さんが到着。「ご飯が売り切れちゃったんですよ」というキャストさんのお詫びに、到着したお客さんの「そうなんですか」と残念そうな声が聞こえる。

おいしいねこごはん。あわよくば独り占めしたい。けど「あれ美味しかったよね」って一人でも多くの人が思う方がいいよね、と、ねこさんに声を掛け、自分の追加オーダーをキャンセルして到着したお客さんへとお願いする。

到着したお客さんはものすごく遠慮がちに「ありがとうございます。一杯お礼させてください。」と申し出てくれる。ここは遠慮なくいただこう。

追って配膳されたガトーショコラを口に含みつつバックバーを眺める。スコッチウイスキーはものによるけど基本的にチョコレート系との相性が良い。ここはGlenlivetをストレートでいただくことに。

Glenlivet、どこにでもおいてある超正統派スコッチウイスキー。趣味を拗らせてる自分には、普通すぎて敢えてストレートで飲むボトルではなかった。けど、こんなきっかけで口にした一杯は、手作りガトーショコラの素朴な甘さと気分もあってかGlenlivetの素直さが際立って、とてもおいしい一杯になった。

その日の夜更け、Twitterの通知が来る。SNSで他の人と交流する事がほとんど無い自分には一大事だ、しかもねこさんから。
スレッドを辿ると、今日ねこごはんを譲った人の宛名の無いお礼ツイートに、ねこさんがこの人だよと自分をメンションで加えてレスしたものだった。ねこさんがつぶやく。

「ふたりともありがとう
酒好きに良い奴しかおらん」

酒好きに良い奴しかいないかどうかは議論の余地があるけど、こうやって時間を重ねていくのは心地良いな。
すっかり忘却の彼方にあった感覚だった。

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