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【10クラ】第18回 なにがみえる?

10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第18回 なにがみえる?

2021年8月27日配信

収録曲
♫セルゲイ・ラフマニノフ:音の絵(絵画的練習曲集)作品39より 第6曲 イ短調

オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)


プログラムノート

音を聴いたとき、実在していない色の見える共感覚と、風味から記憶の蘇るようなプルースト効果は非常に似ている。

人によっては理解されないかもしれない「見えないもの」ではあるが、それを大切にして生きている人は素敵だと思う。

なにも神秘を語っているわけではない。
そもそも心というものは見えない。
思考も見えない。
声も見えない。
私たちは見えないものをたくさん持っている。

表面的な数字、チリほどに満たない面積から見た結果、それを合理的だと捉える価値観に身を置いたとき、自分はなんて無味乾燥な世界に存在しているのだろうと、立ち止まり、逃げ出したいと心底思った。私の逃げ場はいつも「流行らない」ものだった。

飾りに躍らされることを真っ当に厭うためには、いつも精神を研ぎ澄ませなくてはならない。
文化はそのために存在してきた。
偉大な文化人はまさに命がけだった。
直接的に人を助けることのできない文化人は、社会の腐敗した部分に惜しみなくメスを入れた。

それが本来の文化の在り方であるならば、日々学び、日々思考し、日々自問自答し、日々発信することを止めてはいけない。

自分を魅せたいうちは文化の真髄などわからない。そう言いながら自分の考えをさらけ出すという矛盾。その葛藤に悶々とした文人たちはみな、自らを「愚人」と呼んだ。偉人たちが挙って「虚無」に辿り着くのはここに所以する。

ロシア音楽を手に取るとき、「聖愚者」の存在がちらつく。神を知ったものは、なにも知らないことに気がつく。その骨頂の姿がそれである。

ラフマニノフの音楽は標題音楽であっても絶対音楽的な気品がある。
このふたつも対極と見なされながら混在し得る不思議を持っている。

ラフマニノフは稀有なピアニストであった。
それでも一番苦手としたのはピアノ作品の作曲だったという。

作品33と作品39、それぞれ9曲から織りなされる珠玉の作品群は、暗めの照明のなかに浮き上がるような絵画でもあり、静かな一人の時間に手に取りたくなる「暗号の詩」のようなものでもある。

難解な楽曲と思われる節もあるが、そんなときはターナーの絵でも見ると良いのではないだろうか。あの時代、ロシアもフランスの魅了したイギリスの画家の絵は、迸る音楽を生き物のように描き出している。

今回の39-6はまさに生き物である。
誰の目にも触れることなく、誰の手にも渡ることのない、それでいて強烈な存在感を残す、しなやかな生き物である。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/