【時評】実験者、砂漠こそ愛す-「得体の知れないもの」に出会えるか
実験者、砂漠こそ愛す-「得体の知れないもの」に出会えるか
深貝 理紗子
1.砂漠のなかの緑地計画
「不思議なことに人々はなにか、愛というものに恥じらいを持ちすぎている」と再三言いながら「愛」ある警鐘を唱え続けたオリヴィエ・メシアン(1908-1992)の死から30年が経った。常に社会と芸術の在り方を問い、危機と希望を、伝統と革新を共存させた『実験工房』を率いた詩人・瀧口修造(1903-1979)の死からは40年ほどである。『実験工房』といえば、ファシズムに偏っていた日本の戦後、ドイツ音楽やソ連の音楽に傾倒しがちな世のなかにおいて、メシアンやシェーンベルク(1874-1951)の「旬」を追いかけた芸術グループである。瀧口は「戦争という血だらけの空白」を経た自分たちとその後の世代に
「砂漠のなかの緑地計画は決して非現実的なものではない。激しい生活のなかで、夢を見よう」
と呼び掛けている。定期的に集まったメンバー(音楽家は武満徹(1930-1996)や園田高宏(1928-2004)など)の座談ではこのような言葉もあった。
「軍国というか国家主義的な面から見た巨匠というと例えばプロコフィエフでしょう。でもメシアンはもっと、人間そのものを描きたい気がする。ヒューマニズムというか。それを、愛、というのかな」
そして彼らはメシアンを「新しい時代の巨匠」と表現した。メンバーの誰もが、神学者であるメシアンのカトリック的な愛よりも、より人間味のある愛が作品を覆っていることを述べ、この作曲家の登場に「時代が変わってきている」という感覚を持ち得ていた。このような議論が日本で成されてからは50年前後経っていることになる。「平和ボケ」と自他共に認める日本でも、未だ渦中の新型コロナウイルス感染症、そしてウクライナ情勢による世界の社会不安から、だんだんと時代が変わり始めていると実感する。社会が不安定になった時、生活に直結するものが優先されることがほとんどであるが、果たして今、命に直接関わることのないとされる「文化」そして音楽の扱いはどのようになっているだろう。問いを重ね続けなくてはいけないという深刻さが自分のなかにある限り、意図を汲み取ってくれる人々がいることを信じ、希望を託さずにはいられない。
2.芸術と実験室
音楽は遥か昔から、さまざまな文化と関わり合いながら発展してきた。いつの時代も、生活や社会の在り方に一石を投じる-或いは自分自身の殻の打破のために「実験」を繰り返した文化人たちがいたことと思う。本来科学の用語である「実験」が実際に芸術の上に登場したのは文学者ジッド(1869-1951)と言われているが、それ以前から「実験」は行われている。その実験室を、人々は「サロン」と言った。フランス革命と二度の世界大戦を機にサロンの容貌は大きく変化している。芸術サロン発祥のイタリア、メディチの流れがフランス宮廷貴族に入った後、社会思想家が育まれ(反逆とも見受けられる)民主主義が広まっていく。この頃まではサロンの中心はどちらかと言えば美術や文学にあった。しかしながらジャコバン派の台頭から恐怖政治が始まる。言葉の危険性が高まったことも相まって、サロンの中心はより抽象的な表現を可能とする「音楽」へと移行する。ドビュッシー(1862-1918)の初期まではブルジョワの名残のサロンが存在していたが(貴族の庇護という流れを持つパトロン的サロン)、戦争の影が色濃くなってくるとカフェやキャバレー、書房などを中心に芸術家たちの屯するサークル的サロンが主流となる。パトロン的サロンの最後のサロニエールと呼ばれるアルマ・マーラー(1879-1964)は第二次世界大戦下、逃亡の先々で多少の手助けを行いながらアメリカへ渡り、文化財団という新しい形を生み出すことに貢献しているが、これは極めて稀な事例で、ドビュッシーやサティ(1866-1925)を筆頭に、芸術家の集まりは詩人のマラルメ(1842-1898)率いる『火曜会』や文学者や占星術師の集う『独立芸術書房』といった新しい視点での音楽活動を営んでいった。
たとえばマラルメの『牧神の午後』は音楽界にとっても大きな存在だ。物議を醸し出すことになったドビュッシーの『「牧神の午後」への前奏曲』は、当時破竹の勢いで芸術革命を沸き起こしていたロシア・バレエ団(=バレエ・リュス)のディアギレフ(1872-1929)とニジンスキー(1890-1950)によって特有の官能美を描き出し、近代芸術の金字塔となった。現代に至るまで、音楽はいつも他の芸術より一歩遅れて進歩すると言われている。ドビュッシーが最先端に成り得たのは、彼が音楽家仲間ではなく、文学者の仲間との交流が盛んだったことに大きく所以する。『牧神』は後にラヴェル(1875-1937)、デュカス(1865-1935)、ストラヴィンスキー(1882-1971)、メシアンへと紡がれるひとつの強力な「糸」と言える。
対して、ドビュッシーと親しかったサティはまた違った流れを紡ぎ出した。特に「家具の音楽」の理念はBGMという概念のほかに、「在る」とはなにか-という極めて哲学的な世界観を提示し、ダダイズムとシュールレアリスムの時代的背景をサティらしい軽やかな語法で音に投影している。これはリゲティ(1923-2006)やべリオ(1925-2003)、ジョン・ケージ(1912-1992)の環境音や必然的偶然性へと繋がっていくものでもある。必然的偶然性、となると、これまたメシアンへと通じてしまうのであるが。
実験室(サロン)と芸術、そして社会との関係性、さらには文化を扱う個々人は各々の生活と文化を「往来」または「混合」として捉えるのか、考察する余地があるように思える。そしてここに、期待を託してみたい。
3.無意識下の「家具の音楽」
エリック・サティの『グノシエンヌ第1番』を聴いた時、ふっと異世界へ誘い込まれるような感覚に囚われたことを忘れることができない。忘れるも何も、あの音楽をカフェや書店、テレビドラマのなかで耳にするたびにいつも新鮮な「妖しい誘い」を感じるのである。それはどこか不穏な響きでありながら、実に心地良く心身に浸透する。間もなく興味を持ったのが、サティが生涯掲げていた「家具の音楽」という理念である。「家具のように心地良く、生活を邪魔することのない」音楽。それは「聴かれることを求めず、ただ家具のように在る」ことを目的としながら、私のような者には「気にも留めないくらいの塩梅で大きな存在感を放つ」という矛盾さえ孕んでいる音楽に感じられる。サティはよく、こう言ったという。
「家具の音楽のない家に入ったらいけないよ」
-家、それは個々人の住宅だけでなく、共同体、自治体、街、世のなかをも指しているのではないだろうか。サティ特有のダダイズム主義(「主義」などという枠組みに収められることを何よりも厭いそうな作曲家ではあるが)とは如何なるものだろうか。諦観漂う時代のなかで「音による言葉」を自らの語法でしなやかに突き進んだ「変人」は、その耳障りとは対極の音響によって「破壊」という概念をも破壊してしまった。
サティによる音楽におけるダダイズムは、わかりやすいもので言えば小節線や拍子記号の排除ではないだろうか。『グノシエンヌ』はその代表的な例と言える。自由で既成の型にはまらない、それでいて他人に高揚感を求めるような扇動性を用いない曲調で、「音」に対しての問題提起を純粋に行っているように見受けられる。第一次世界大戦に煽られて音楽を政治利用するようなこともなかった。サティは生涯に渡り、自分の世界と「外界」の一線を越えようとしなかったように思う。自身の家に親族さえ入れなかったという私生活からも窺える。人はどこへ向かうのか、鑑賞とは何か、文化とは、音楽とは、生きるとは何か-聴きやすい小品によって「考えなさい」と皮肉るスタイルとでも言おうか。『グノシエンヌ』の譜面には、切れ切れのメッセージが記されている。「舌の上で」「頭を開いて」「外出してはいけない」などと、唐突に音符の上に記された言葉は奏者の解釈に託される。それも、これ見よがしの解釈や奏法ではなく、ただ「書かれていることを知る」という奏者の無意識下で行われる変化を引き出すための暗号のような位置付けで、極めて繊細な微粒子の次元での一瞬を創り出すことに成功している。
この「無意識下で行われる変化」に、音楽のみならず人として「思考」というものへの提言を与えられているように感じる。いかにもアカデミックなものよりも、ギクッとする言葉を投げかけられた時のような感覚だ。この点から見てもサティは「家具の音楽」の具現化を試みた時点で、生活と音楽が混合、直結していた音楽家と言えるだろう。生活そのものが「音楽」だった。そして音楽は生活から抽出した作者独自の言葉であった。多くの人は既存するものへの安心感と慣れから、斬新な価値観を受け入れるまでに時間がかかる。だからこそ独自の音楽語法を貫いた作曲家-今日広く親しまれている-は風当たりの強い時代を多かれ少なかれ経験している。その荒野を突き進み一貫した活動を続けた音楽家たちに心から敬意を抱く。発展とは云わば継続と衝突(=「実験」という衝撃)を繰り返して成り立っている。スピード社会、効率化、知っている世界の少ないうちから排斥を行いがちになる「現代の」ミニマリスト、そういったものが芸術の世界に及んでこないことを密かに心のなかで望んでいる。あまりに保守的かもしれないが、一朝一夕で成り立つような成長も文化も存在せず、目に見える結果を急ぐことは文化本来の「香り」を排除していくことと同義である。混沌としたもののなかから、これぞといった宝石を見つけることは文化の醍醐味であるが、「できるだけ物を置かない」「使わないものは全て破棄する」「こういうものは嫌い」といった極度の潔癖は人間の心の土壌、つまり文化の発するところを根こそぎ摘んでいるように思えてしまうのは偏見だろうか。人は誰しも成長の過程で多くの言葉をかけられ、多くの色を見て育っていく。太古の実験では、言葉を一切かけられずに育てられた乳児は弱々しく衰弱してしまったという記録が残っている。それほどインプットというのは大切なものであるのだろう。一見遠回りとも思える景色が、新鮮な驚きを運んでくることがある。その回り道なくして思考の泉に辿り着くこともなければ、宝物を見つける感動に出会えることもないのではないだろうか。
4.混乱による神秘の虹
発展は先代からの継続と敬意の上に成り立つことを指し示したのがオリヴィエ・メシアンである。それまでの音楽の変遷を緻密に研究し、自身の作曲活動にも後進の育成にもその蓄えを大きく生かしていった。たとえばメシアンは敬虔なカトリックの神学者であるが、宗教曲も完全に「神的」であるかと言えば、そうでもない。あくまでも「人間」から見た音楽であり、さまざまな種類の「愛」を含んでいる。宗教曲というとバッハ(1685-1750)の名が出ることと思うが、メシアンはバッハの「宇宙的」価値観を受け継いでいるところもあるように感じられる。なぜならバッハは、通常のミサの長さに収まりきらない2時間以上もかかるミサ曲を書いているのだから。死の前年に書かれたとされるロ短調ミサ曲などは、ミサで演奏されることを目的とするよりも、次代の生命体に対する長大なメッセージであり、バッハ最大の「実験音楽」であると言えるだろう。メシアンのカトリシズムはこの精神と似ているように思えるのだが、いかがだろうか。
オルガン作品に限らず、巨大なピアノ作品『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』などは多様な愛に溢れた傑作である。「イエスの鼓動」「神のテーマ」「喜びのテーマ」などと細やかに記されたモチーフは実に人間的だ。ひとつの物語を読んでいるような、雄大かつ特有の艶めかしささえ存在している。テーマ(またはその断片)を一音ずつずらして重ね合わせた音響などは複雑で未知の響きを構築する。自由度を高めるために小節線を削除し(サティと同様)短いモチーフの頭が再び強拍に来るタイミングを待つという辻褄合わせなどはメシアンお気に入りの言葉遊びならぬ音遊びで、拍子とモチーフの公倍数を探すような数学的必然性をも伴っている。その技法からは、聴衆を煙に巻く「必然的偶然性」というメシアン・マジックが織り成される。メシアンは奏者には謎解きを多大に求めるが、聴き手にはそれゆえのマジック的性質(メシアンはこのことを「混乱によって生み出される神秘の虹」と表現した)の効果を最大限求めている。聴き手に小難しいことは敢えて求めないのである。自然体で得る一種の非現実感が、メシアンの「コンサートホールに教会を持ち込む」という実験であったかもしれない。聴き手に小難しいことを求めない-これはいま再びスポットを当てられるべき姿勢ではないだろうか。メシアン・マジックは大いなる混乱かもしれないが、その得体の知れないものを言葉に落とし込むことができるのなら、「感動」と表して良いように思う。感動とはつまり、得体の知れないものなのだ。もちろん作品の背景や作曲家について、なにが革新的でどこが「その人」らしいのかなど、聴くのを愉しむために入れておきたい知識もある。ここだけは聴き逃さないでほしいという奏者の願いがあれば、それを示されることも無論面白いことだと思う。しかしメシアンに見るように、その一瞬に仕掛けられた何種類ものトリックを見破りながら音楽の全体像を把握できる人間がいるだろうか。メシアンは僅か半ページほどのスペースにあらゆるトリックを畳み掛けてくるのだ。私はその全てを、音の発されている瞬間ごとに情報処理をしていける脳を知らない。それでも-いや、それがゆえに感動するのだ。どれだけ楽譜を読み込んでいても、聴衆としてその場に居合わせたらいつでもメシアンの「混乱による神秘の虹」に取りつかれるだろう。それはなんと素晴らしいことだろうか。そして毎回新鮮な「混乱」を運ぶように作曲できるこの人は、やはり巨匠なのだ。知識があるから曲を理解できる、などというのは余りに小さな話題ということがわかるだろう。
少々最近の傾向で気になるのが、この点であった。リゲティの『100台のメトロノーム』を演奏会情報で散見した時、この実験に興味があるのか、それとも何か奇を衒ったことをしてみようというブランド的価値観なのか、引っかかるものがあった。もちろん好奇心があってのことと心得ているし、やってみたいことに対して他人が口を挟むなど余計なお世話だということもわきまえているつもりではある。しかしながら、その後くらいからやたらと近現代作品の発表において二番煎じ的演出が増えているように思い、懸念している。面白いことをしたいと思うのであれば、流行りや「今どきウケの良いコツ」などに躍らされることなく(惑わされることもなく)、作品へ最大限のスポットが当たると信じた自分の語法で発信をしてほしいと、生意気ながら思うのである。
メシアンの成した実験は極めて膨大だが、もう少し他の例も見てみよう。それは「音楽におけるオノマトペ」である。「鳥の声を採譜すると、それはもう自然に音楽である」と言うほどに鳥の声を数々の作品に取り入れたメシアンは鳥類学者でもあった。ピアノ作品群『鳥のカタログ』の美しさに魅せられた者は、生活のなかに溢れる「自然の音色」に触れるのが幸せで仕方なくなるだろう。『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』が長大な物語であったなら、『鳥のカタログ』は息をのむほど美しい色彩と香りに溢れたキャンバスである。カラス、ウグイス、スズメ、カモメ…あらゆる鳥たちが登場し、岩の上、低木、葡萄畑、道端などと居場所が記され、時刻や太陽の傾き、海や空の色までもが言葉と共に特有の音響で描かれる。カラスというと日本でもやや不吉の象徴と言われることがあるが、メシアンはカラスの音型に「悪魔の音程」と呼ばれる増4度の下行音型を潜めている。海を表す場面では、ラヴェルの『洋上の小舟』の旋律を加工して波の揺らぎを表現したものもある。とはいえ、メシアンはこのようなものを「わからないくらいに調理している」と述べてしまうような人であるので、果たしてどの程度知るべきか、知らなくて良いのか、その本心は皆目わからない。ただ、作品が自分の言葉として語られているにもかかわらず、先代の作曲家たちや民族的楽曲(インドの古代リズムやパプアニューギニアのダンスに代表される)、他の宗教的モチーフ(ヒンズーの響き)などの伏線を絶妙に取り入れていく手腕には驚きを隠せない。メシアンは「フランス流エスプリ」という言葉にまとめられることのある「揶揄」を作品に取り入れず、敬意と伝統を重んじる精神を持ち合わせていた。それもおそらく、愛から来るものなのだろう。程度こそあるが、人の大切にしているものを小馬鹿にする姿勢を私はどうも受け入れがたく、今でも健在のあまり良くないタイプの「エスプリ」には気品を感じない。仲良しごっこにも魅力は感じないが、悪口で繋がるような関係性もいただけない。つまり、文化において表現は自由であるが、批判で盛り上がるような一派があったなら、消滅への道も早いだろうと予測する。メシアンが一貫して守り抜いていたのは「人間」の還るべき姿と「自然」(つまり全能者によって司られている空間)への賛美であり、前の時代の頽廃的空虚と戦争による非人道的社会への対抗であった。レジスタンスとしての活動からナチスに囚われた期間は半年以上で、共に活動していたヴァイオリニストなどは釈放されることがなかったという。メシアンはヨーロッパで既に貴重な音楽家として評価を得ていたために収容所内での作品発表機会を得ることができていたというが、大変な栄養失調に悩まされたそうだ。名作と名高い『世の終わりのための四重奏曲』はその際書かれ、大勢の捕虜の前で初演された。囚われてもなお生きる方向への希望、神を信じ続けた作品を書いているところにメシアンの音楽家、宗教家、そして人間としての尊厳を想う。釈放後にはフランスの音楽院で再び教鞭をとり、ブーレーズ(1925-2016)やシュトックハウゼン(1828-2007)など独自の実験を成す生徒を見出し、自身も精力的に作曲した。メシアンのピアノ作品『4つのリズムエチュード』などは未知の島のリズム素材を用いることで大地の力強さを表すと同時に、人間的に生きるための抵抗-怒りを爆発させているようにさえ感じられる。戦争という危機を挟み、ますますエネルギッシュに生命を描き出している。このような文化における凶暴性は、人間らしく生を全うするための叫びである。
冒頭に書いたが、メシアンの死からはまだ30年である。「なぜ愛を恥じらうのか」という言葉に、どれだけ応えることができているだろうか。自然の営みから音楽を抽出したメシアンもまた、生きていることが「音楽」だったとするならば、生活と文化は同一線上にあったように思う。そしてその根底で「人間」であることが揺らぐことはなく、幻想-夢なるもの-が貧しくなることもなかった。
5.「新人」を追い続ける
多様化した現代で、さまざまな取り組みが成されている。まだまだと思えばそうであるが、進んだものを見ることも大切ではないだろうか。私は4年ほどフランスに住んでいたが、ほぼ毎週デモが行われていた。労働について、人種について、女性の権利について、ジェンダーについて、政治についてなど、多くの人々が参加していた。随分といろいろな制度が整っていると感じていたフランスは、このくらい積極的な活動の継続によって勝ち取ったもの―今なお勝ち取り続ける努力によるものなのだということを見せつけられた気分だった。日本はまだ時代錯誤で、という場面はもちろんあるが、随分といろいろな声を上げられるし、人それぞれという価値観はそこそこ浸透しているように思う。新型コロナウイルス感染症は不況を招いたが、個人事業主という立場への理解が広まった。フリーランスという立場の多い芸術関係者にとっては良い流れもあったのではないだろうか。瀧口修造は書のなかで美術家について「美術だけに没頭できる環境があるなら話は別だが、誰もが展覧会を出たら普通の生活に戻っていくのだ」と書いていた。この書き方からは、生活と文化は少なからず隔たりのあるもの、つまり「往来」とも受け取れてしまうが、少なくとも日本では絵を描く、彫刻を創る、だけでは生活基盤を作ることはあり得ないということだ。これは現在でも文化芸術全般同様である。パトロン的サロンが復活しない限りは今後もなかなか難しいことと推測する。とはいえ、王侯貴族に気に入られれば生活の安泰が保証されていたような制度に戻りたいなどと思うことは、民主主義の時代に生きられる奇跡を知らなさすぎている。まさかそのような人はいないだろうと思ってはいるが。
瀧口修造が『実験工房』のメンバーとの会話のなかで述べていたものに、「何を新人というか」という場面があった。新人の登竜門である賞を獲ることか?現大御所のルートに乗ることか?氏はいずれも否定している。そのようなことがあってはならないとさえ言っている。「既存の枠組み、レールのうえを歩いてくる者を「新人」と呼ぶことはできない」という言葉は、非常に力強く響くものがある。最後は何を「新人」と言うのかはわからない、という形で終わっているが、ここで議論された「新人」は一生涯冒険し、挑戦していこうとする全ての人に当てはまるように思った。音楽界において言えば、学校派閥、指導者派閥、コンクール派閥など「固定化された既存ルート」を見つけることは容易である。奨学金にせよコンクールにせよ、「推薦状」の存在があることがまた古めかしさを助長している。どこそこの入試ではこのような曲を弾くと良い、どこそこのコンクールでは過去○○年この傾向のプログラムが通りやすい-確かに目に見える結果を目指すのであれば一理あることかもしれないが、私は長年ここに違和感を覚え、何周も見てきた今、やはり違和感でしかない。芸術とは何か?「このように言っておけば人は喜ぶだろう」というコツを覚えた途端、芸術的精神は遥か彼方へ遠ざかると断言したい。ビジネスの面も無論必要である。理想論を追い求めて一文無しでは生活は成り立たない。しかし「傾向と対策」の参考書のような過ごし方や、セールスマンの如く仮面を被った言葉の後ろに「愛」なるものや「夢」なるものが純粋にあるようには到底思えないのである。「愛を恥じらうな」と言ったメシアン、「砂漠のなかで夢を見よう」と言った瀧口修造が、大人になるほど青臭くて口にすることが減っていくこの言葉を敢えて投げかけたのは、ある種「時代に染まるな」という警告ではないだろうか。そしてそれはサティの言うところの「家具の音楽のある家」を夢見ることに繋がっていくように思う。
「大衆」に知られなくとも、自分の世界を一貫して創造してきた人の言葉(音による言葉)には重みのある説得力が宿る。独自の語法で世界観を構築し、爆発させ、また一皮むけた表現を繰り広げる-そのような長く地道な仕事と創造物を見守り続けることこそ、文化の味をしめた愉しみなのではないだろうか。聴衆に専門的な理解を強要することもなく、「こうしておけば大抵喜ぶ」といった安易なスタイルに走ることも、正直必要ないと思ってしまうのだ。なぜなら聴衆は皆それぞれ、あらゆる体験や経験を重ねて生きている人間なのだ。空っぽじゃない。人々は「仮面」を見に来るのではない。さまざまな感情を併せ持った人間の、偽りのない温度で対峙し表出された音の一瞬―日々の感情の隙間にピタリと入り込む「得体の知れないもの」を体感する至福の時を求めているのだ。予想されない出会い、予期し得ない出会い、その瞬間があるから、音楽も生活もさまざまな色彩を放つ。いま、私たちは「往来」ではなく文化芸術も生活も一直線上に「混合」できる時代を自然体で受け止めている。それは『実験工房』の議論と実験が成されてから辿ってきた数十年の軌跡の賜物である。
最後に、武満徹の言葉をお借りしたい。その場に居合わせる全ての人間が、無意識下であっても能動的に「時間と空間」を彩っていることを気付かせてくれる。
「舞台があって、演者と聴き手の生のコミュニケーションを感じて初めて、自分の曲がどんな曲なのかわかるんだよね」
なんて素敵な言葉だろう。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/