10クラ 第49回 エスプリをひとつまみ
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第49回 エスプリをひとつまみ
2023年1月13日配信
収録曲
♫クロード・ドビュッシー:ロマンティックなワルツ
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
「倦怠」を含む意味ではロマン主義と象徴主義は近しいものがある。ロマン主義といっても膨大な理念と思想とを含み、錚々たる文化人がこぞってその主張を展開させた。ひとえに括ることも難しく、その論議は今でも混沌とすることと思う。どこか諦観があり、孤独に「還る」という意味で、誇大表現と反するように連ねられたルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、非常に現実的な静けさを呼び起こす。思考すること、生を歩むということに、等身大で対峙させてくれるような文章である。この作品が、現在云われるところの「ロマンティック」を見つけることのできる最初の書、などと言われているのだから驚いてしまう。
音楽ではシューマンやベルリオーズこそ「ロマン」と思う。そこにはおどろおどろしいくらい、欲情もある。正直に曝け出された人間の姿である。ロマン主義ののち文学や美術で生まれてくるのが「自然主義」であり、エミール・ゾラの描くような、科学的根拠を以てして真実に迫る作品である。ここにも多くの名作はあるものの、複雑な人間-ましてや聖書にもあるように「変わりやすき人の心」などと辛辣に述べられてしまう「心」を描くことは、未だ科学を用いても人間には困難なことかもしれない。あるいは、明かしてはいけない一線、とも言えるかもしれない。
ドビュッシーはしばしば「象徴主義」であると自身も言うように、ボードレールやヴェルレーヌ、マラルメの流れに惹かれていくようになる。ヴェルレーヌはそのあるべき姿を「ニュアンスのみがある」と論じている。解明でき得ぬもの、する必要のないもの、それらを「ニュアンス」のみで「描き」もせず追い求めるー非常に精神的で、人間として説得力のある「理念」である。
ドビュッシーが『ロマンティックなワルツ』を発表したのは28歳頃であり、この「ロマンティック」は独特のニュアンス、エスプリ(精神)を感じる。決して「若いころのの軽い作品」ではない。懐古主義と反骨精神が常にドビュッシーにはあったように思う。「目指したいもの」が既に存在するものであれば、真似事をせず、あえて反するもののような立場を取ったりもする。結果的にそれは「独立」を行くようでいて「更に囚われてゆく」というループにはまり込む。彼は生涯その葛藤と隣り合わせに過ごしていく。それはワーグナーが良い例である。ドビュッシーは一生涯、ワーグナーの呪縛から離れることができなかった。
私はこの、人間臭い部分が出るほど魅了されてしまう。誰しもが迷い、もがき、必死に生きている。その環境から生み出された音の輝きに希望を見る。一筋縄ではいかない、人生をかけた葛藤-その精神が既にここに、ひとつまみ。
2023年1月13日配信
収録曲
♫クロード・ドビュッシー:ロマンティックなワルツ
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
「倦怠」を含む意味ではロマン主義と象徴主義は近しいものがある。ロマン主義といっても膨大な理念と思想とを含み、錚々たる文化人がこぞってその主張を展開させた。ひとえに括ることも難しく、その論議は今でも混沌とすることと思う。どこか諦観があり、孤独に「還る」という意味で、誇大表現と反するように連ねられたルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、非常に現実的な静けさを呼び起こす。思考すること、生を歩むということに、等身大で対峙させてくれるような文章である。この作品が、現在云われるところの「ロマンティック」を見つけることのできる最初の書、などと言われているのだから驚いてしまう。
音楽ではシューマンやベルリオーズこそ「ロマン」と思う。そこにはおどろおどろしいくらい、欲情もある。正直に曝け出された人間の姿である。ロマン主義ののち文学や美術で生まれてくるのが「自然主義」であり、エミール・ゾラの描くような、科学的根拠を以てして真実に迫る作品である。ここにも多くの名作はあるものの、複雑な人間-ましてや聖書にもあるように「変わりやすき人の心」などと辛辣に述べられてしまう「心」を描くことは、未だ科学を用いても人間には困難なことかもしれない。あるいは、明かしてはいけない一線、とも言えるかもしれない。
ドビュッシーはしばしば「象徴主義」であると自身も言うように、ボードレールやヴェルレーヌ、マラルメの流れに惹かれていくようになる。ヴェルレーヌはそのあるべき姿を「ニュアンスのみがある」と論じている。解明でき得ぬもの、する必要のないもの、それらを「ニュアンス」のみで「描き」もせず追い求めるー非常に精神的で、人間として説得力のある「理念」である。
ドビュッシーが『ロマンティックなワルツ』を発表したのは28歳頃であり、この「ロマンティック」は独特のニュアンス、エスプリ(精神)を感じる。決して「若いころのの軽い作品」ではない。懐古主義と反骨精神が常にドビュッシーにはあったように思う。「目指したいもの」が既に存在するものであれば、真似事をせず、あえて反するもののような立場を取ったりもする。結果的にそれは「独立」を行くようでいて「更に囚われてゆく」というループにはまり込む。彼は生涯その葛藤と隣り合わせに過ごしていく。それはワーグナーが良い例である。ドビュッシーは一生涯、ワーグナーの呪縛から離れることができなかった。
私はこの、人間臭い部分が出るほど魅了されてしまう。誰しもが迷い、もがき、必死に生きている。その環境から生み出された音の輝きに希望を見る。一筋縄ではいかない、人生をかけた葛藤-その精神が既にここに、ひとつまみ。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/