【御礼】山手ゲーテ座
こちらでお礼を言うのが遅くなってしまいました。
お知らせしておりました3月13日の岩崎ミュージアム・山手ゲーテ座でのリサイタル、無事に終演いたしました。
大変な春の嵐のなか、ご予約いただいた全ての方がいらしてくださったこと、心よりお礼申し上げます。また、ライブやアーカイブでもたくさんの方々にお聴きいただけていて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
遠くの方々にも見ていただけたことも、とっても温かい気持ちになりました。
演奏を聴いて元気になった、と笑顔をいただけるたび、一番元気をいただいているのは、こんなふうに心のこもった方々に支えられている私自身だなと思います。
山手ゲーテ座でのシリーズにお声かけいただいてから、10年になりました。駆け出しのころから、留学期間中も、そして今のようなコロナ禍においても、いつも温かな応援をしてくださって幸せです。
これからも大切な場所としてお世話になります💕
あの舞台に戻るたびに成長していられるように、がんばりたいです。
コロナ禍では接触が制限されるようになりました。
友人たちとご飯に行ったり遊んだりすることは減りました。でも、なぜだか温かさは身に染みて感じます。
分野が違っても大変な時期、仕事や嬉しい忙しさ、喜ばしいこと、微笑ましいこと、なにか笑顔になれることがあれば、自分のことのように嬉しい。
全然違う分野と思っていても、なにか一緒にできないかとか、新しく挑戦したいようなコラボレーションも生まれると気がつきました。
私はなんでも、「人間らしさ」を感じるものが好きです。
そこに涙があるか。
そこに苦悩があるか。
そこに葛藤があるか。
そこに「矛盾」という一周回った「順接」があるか。
そこに熱さがあるか。
そこに収まりきらない感情があるか。
そこに貫きたい筋があるか。
そこに守り切りたい愛があるか。
そこに自己を越えた夢があるか。
音楽にしても、文学にしても、絵画や舞踊や演劇にしても、きれいごとを「破壊」した熱量の表現がないと人に何かを伝えることは難しいと思っています。
指導をしていても、相当の熱量で向かわないと伝わりきらないし、普段のコミュニケーションもある意味そうだと思う。
その「伝える」というベクトルは、もちろん外に向かうものもあるけれど、「制する」方向もそれ以上に大切に感じます。
いかに自分以外の人間や命あるものに対して、耳を澄まし、心を感じ、待つことをし、大切にしているものをリスペクトすることができるのか。敏感に移り行く機微を思うような生き方をしていきたいです。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/