フランス音楽への誘い vol.14 メシアン音楽と「増4度」の旅
序文
ある道を歩くとき、目的地が見えている場合と、いつ辿り着くかわからない場合、どちらがより発見が多いだろうか。
或いは物語を読み進めるとき、ひたすらに純粋無垢なヒロインと、悪女でありながら人間臭さを放つヒロイン、どちらがよりリアリティを帯びているだろうか。シェイクスピアの言い得た「緑色の目」の持つ色褪せない不気味さが、それを示しているように思える。
思えば私たちの人生は、未知の連続である。答えの見えた道を行く人はひとりもいない。昔も今もこれからも、人間は遥か昔から記された通り、迷える羊なのである。
フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908-1992)の音楽は、膨大な情報量と専門的な知識が多く必要になる上に、神学者、鳥類学者としての活動と、文学に精通した家庭環境が大きな影響を与えている。
しかしながら「感動」というものは、あるものに対する専門的な知識が無くとも感じ得ることのできる、というよりむしろ、知識がものを云うことを寄せ付けない何ものかであり、おそらくそれが何ものなのか、人間が解るときは来ないのではないだろうか。
ここで言う「感動」は、作曲者及び作曲者の描く世界観、音楽そのものに対するものである。
演奏家は作曲者の描くものに近づこうとするために多方面からアプローチしようと試みても、最終的に選択していくものは「主観」に基づいたものとなってしまう。その葛藤は終わることがない。
ただ願わくば…「私」という不純物を取り除いた音世界を構築する時間と空間の一瞬を、追い求めていける人生であればと思う。
「感動」は日常的に溶け込むものであり、堅苦しさも息苦しさもなく、それぞれの「個」の居場所となることを望んでいる。
そのために矛盾となるかもしれないが、できる範囲で噛み砕いて、メシアンという巨大な音楽家のことについて述べていきたい。
「増4度」を探す神秘の旅
こちらの短い動画は、メシアン音楽の「私流愉しみ方」のポイント①である。複雑なメシアン音楽の謎解き、近寄り方の1ピースとなれば嬉しく思う。
音程とは、音と音の幅、距離のことを言う。
音と音には度数があり、その度数を巡り、作曲家たちはメッセージを託してきた。たとえばモーツァルトやシューベルトのそれは「長6度」という形で「憧れ」を示し、シューマンの愛する恋人(のちに妻)クララを表すC-La-La(ド-ラ-ラ)の音型は見事に「憧れの6度」と一致する。
上の図は「全音」と「半音」を鍵盤上で示したものである。
鍵盤を見ていただきたい。2つの鍵盤の間に、他の鍵盤が入っていない関係にあるものを半音と呼ぶ。
例:ドとド#、シとシ♭、ミとファ…など
一方、間に鍵盤がひとつ入っている関係にあるものを全音と呼ぶ。
例:ドとレ、ソとラ、レ#とミ♭…など
そして音の度数は、同じ音名では1度、隣の音名なら2度…というように数えていく。
例:ドとド=1度、ドとレ=2度、ドとミ=3度
さらに全音や半音の関係を入れて、
長、短、完全、増、減…などでより詳細に表すことができる。なお「完全」は1度、4度、5度、8度で使用される。
例:ドとド=完全1度、ドとミ=長3度(全音と全音)、ドとミ♭=短3度(全音と半音)、ドとファ=完全4度、ファと高いド=完全5度…
今回タイトルにしているポイントの増4度は、完全4度よりももう半音分広がったドとファ#のような関係性にあるものを指している。
自然倍音列に基づく必然的吸引力
メシアンは最も好きな音程として増4度を挙げており、作品のなかでも多用されている。それは「自然倍音列」という、整数倍の周波数に並んだ音の共鳴に基づいている。
自然倍音列は、ドを強く弾いて伸ばしておくと、聴こえてくるものであるが、ド-ド-ソード-ミ-ソ-シ♭-ド-レ-ミ-ファ#…と並ぶ。
メシアン曰く「繊細な耳をもって聴けば自然と感じることができる」この音列のなかで「基音(ここでは最初のド)に必然的に強烈な吸引力を放つ」という理由から、増4度の下行する音程が好きなのだという。
祖国フランス音楽の系譜
さて、メシアンは今年没後30年というほど、最近の音楽家である。
フランスには、和声論を築いたジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)という偉大な作曲家がいて、バッハ(1685-1750)と並び後世に大きな影響を与えている。いわゆるバロック時代と分類されるところの作曲家は教会のオルガニストであったり王侯貴族に仕える身であった。多くの作曲家が宗教色の濃い作品を描いていたなかで、ラモーは人間の愛だとかなんだとか、ドロドロと壮大な人間ドラマをいち早く描いていた人物でもある。フランス文化の持つ「人間のドロドロ感」はもはやここから始まっていた…といっても過言ではないだろう。
ラモーだけではない。フランソワ・クープラン(1668-1733)もまた、それこそ「緑色の目」ならぬ色とりどりの「仮面」を使い、「女の嫉妬」を描いていたわけだから、フランスはなかなか凄い。
彼らの説いた和声論は機能性を発揮し、のちのちフランス近代と呼ばれる時代において再び輝きを増していく。
フランス近代音楽の革新的な幕開けとなったのはクロード・ドビュッシー(1862ー1918)の「《牧神の午後》への前奏曲」であるが、その冒頭のフルート(パンの笛)は増4度の下行である。増4度という生々しい響きの音型と官能美は、「印象主義」と呼ばれることを嫌ったドビュッシーの「象徴主義」要素が結晶している。
ドビュッシーとパン(牧神)については過去の記事を載せるまでにするが、メシアンもまた「牧神」に魅せられたひとりであった。
国も時代もまたいで
メシアンの興味は当然フランス音楽にとどまらない。
共感覚、神秘和音、宗教的楽曲、官能美…ときたら、ロシアのアレクサンドル・スクリャービン(1872ー1915)を出さずにはいられない。色彩と音色、香りを存分に生かそうとしたメシアンとスクリャービンの実験は、その独創的で神秘に満ちた和声に代表される。
あまりに心地よくない増4度という音程は「禁じられた音程」でもあり「悪魔の音程」と呼ばれながらも、ジャズの世界においても重宝され、いまやなくてはならない存在というほどファンの多い、中毒性のある音程なのだろう。
この音程を、あるときはカラスの不気味さに、あるときは壮大な海と太陽の光の物語に、あるときは神への賛美に、鮮やかな色彩を帯びて操るメシアンの手法に、魔法にかかるように全身で浸かってみたい。
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/