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"SCIENCE FICTION" 収録曲から辿る宇多田ヒカル25年の軌跡

 デビュー25周年を記念したベスト盤『SCIENCE FICTION』のリリースと、『Laughter In The Dark Tour 2018』以来6年ぶりとなる全国ツアーの開催を発表した宇多田ヒカル。

 ベスト盤に選出された26の楽曲に焦点を当てながら、25年間の活動を振り返っていく。

1st "First Love" (1999)

Science Fiction収録曲:2曲
 -Automatic
 -First Love

 『日本の音楽史上一番売れたアルバム』、『制作当時15歳』といったセンセーショナルな肩書きなど無くとも、聴けばその良さはすぐに伝わる。鮮烈デビューを飾った"Automatic"は、20年以上経った今聴いても新鮮な魅力に満ちている。R&Bでもあり、ポップスでもあり、結局そのどちらでもない独自の音楽のようにも思える。J-POPにおいて、日本語と英語が混在する歌詞は珍しくも何ともないが、ネイティブな発音にしてみたり、英語をわざと日本語っぽく発音してみたりと、メロディに対していかに言葉を上手く乗せるかということへの並々ならぬこだわりを感じる。"First Love"は、2018年の新曲『初恋』と並ぶことによって一層、宇多田の音楽活動における象徴的な楽曲となった。感傷的ではあるが甘美な言葉に終始しない、見事なバラードである。


2nd "Distance" (2001)

Science Fiction収録曲:2曲
 -Can You Keep A Secret?
 -Addicted To You

 サウンド面では前作のR&B路線を踏襲しつつ、時折ロックテイストを強調しているのが印象的な2作目。"Can You Keep A Secret?"もそうだが、言葉が持つ"意味"よりも"音"を重視した作詞で、文章の途中であえて言葉を区切るなど、前作以上に言葉へのこだわりが感じられる。アルバムタイトルの通り、人と人との距離やすれ違い、人を理解するということについての歌が多いが、"Addicted To You"の歌詞にもそのテーマが如実に現れている。詩的な表現ではなく、くだけた話し言葉を多用したりと、宇多田らしい遊び心溢れる歌詞も本作から徐々に見られるようになる。

3rd "Deep River" (2002)

Science Fiction収録曲:4曲
 -SAKURAドロップス
 -traveling
 -Letters
 -光

 10代最後のアルバム。本作から、作詞・作曲だけでなく編曲にも参加。R&B以外の多様なジャンルからの影響もミックスし、ジャンルレスで混沌としたサウンドに仕上げている。冒頭の『SAKURAドロップス』も、どこか"和"のテイストが感じられる独特なサウンドメイクで掴みどころがない。この曲もそうだが、全体を通じて歌詞から英語が減っており、日本語という言語が持つ独自の響きに焦点を当てた歌詞になっているように思う。"Traveling"は、後の傑作『BADモード』で見せたディスコ要素の礎とも言えそうな軽快なハウス・ビートが印象的だが、難解かつユニークな歌詞も魅力的だ。ラテン調のリズムが特徴的な"Letters"は、弧を描きながら上昇していくかのようなメロディラインも面白い。マイナーコードで暗めのトーンの曲が多いアルバムだが、ラストは『』という多幸感溢れるナンバーで締めてくれる。何重にも重ねたコーラス、アコースティック・ギターの柔らかな響きが魅力の代表曲。




4th "Ultra Blue" (2006)

Science Fiction収録曲:1曲
 -Colors

 前作から、共同という形で編曲に参加し始めたが、本作からは宇多田が単独でクレジットされるようになった。エレクトロ・ポップと呼ぶべき、シンセの音色を前面に押し出したサウンドメイクや、より具体性を持たせたリスナーに寄り添うような歌詞が印象的なアルバムだ。前作リリース後、Utada名義としての1stアルバムで海外進出を試みていることもあり、あらためて日本語で曲を作ることの意義みたいな部分もより強く感じられる。幻想的な音色が印象的な"Colors"もそうだが、サビで一気に視界が開けるような楽曲展開が本作には多く、そこはJ-POP的とも言えるが、陳腐さは微塵も感じさせない。つくづく、洋楽と邦楽のそれぞれのエッセンスが見事に調和した音楽だなと感じさせられる。

5th "Heart Station" (2008)

Science Fiction収録曲:3曲
 -Beautiful World
 -Flavor Of Life -Ballad Version-
 -Prisoner Of Love

 前作で素の自分を解放し、より自由度の高い遊び心溢れる歌詞を書くようになったが、本作でその傾向はより顕著になった。誰にも真似できないような技術で、誰もが身近に感じるような内容を歌う。その絶妙なバランス感覚こそが宇多田ヒカルの最大の魅力だと思う。サウンド面では、軽快なダンスビートの"Beautiful World"をはじめとして打ち込み主体の楽曲がほとんどだが、凝りすぎないシンプルなアレンジとなっており、何も考えず気楽に聴けるという意味で本作は究極のポップソング集であり、活動休止前の集大成と言っていいだろう。ストリングスが柔らかい響きを与えている"Flavor Of Life -Ballad Version-"はキャリアを代表するバラードの一つだし、ドラマティックなメロディラインが秀逸な"Prisoner Of Love"など、人気曲が目白押しの作品となった。

"Single Collection Vol.2" (2010)

Science Fiction収録曲:1曲
 -Goodbye Happiness

 2009年、"Heart Station"と同時並行で制作していたというUtada名義の2ndアルバム"This Is The One"を発表。翌2010年、活動休止と同時にシングル集の第2弾が発表され、5曲の新曲が収録された。そのリードトラックである"Goodbye Happiness"は別れをテーマとした切ない雰囲気の楽曲ではあるものの、別れを肯定して次へ進もうというポジティブな響きがあるアップテンポでポップなナンバー。宇多田自身が監督を務めたMVの明るさからも、前向きな気持ちで活動休止へ向かおうという意図が感じられる。

6th "Fantôme" (2016)

Science Fiction収録曲:3曲
 -道
 -花束を君に
 -二時間だけのバカンスfeat.椎名林檎

 約6年間の"人間活動"を経て30代となった宇多田は、その間に母・藤圭子との死別、初となる出産を経験。『私にとって音楽そのもの』だと語る亡き母への思い、死生観が読み取れる内容の歌詞が綴られ、宇多田自身のパーソナルな面に焦点を当てた人間臭い作品となっている。中でも、冒頭の『』はその思いが力強くストレートに綴られ、アップテンポなポップナンバーとして昇華されている。サウンドプロダクションの面では、打ち込み主体の従来のスタイルから、生バンド主体の編成へと変化。特に『花束を君に』では打ち込みを完全に廃し、ピアノとギター、ストリングスのみで音数を最小限に抑えたシンプルな味付けとなっている。プログラミング主体という自己完結型のスタイルだったのが、他者の演奏を信頼して委ねてみよう、という心境の変化もあったという。それは他のアーティストとの活発なコラボレーションにも表れており、『二時間だけのバカンス』では、かねてから親交のあった椎名林檎をゲストボーカルに迎え、妖しい雰囲気漂う楽曲に華を添えた。

7th『初恋』(2018)

Science Fiction収録曲:2曲
 -あなた
 -初恋

 前作に引き続いて生バンド編成を主体とした作品。更に磨き抜かれたソングライティングとサウンドプロダクションによって、インディーロックのファンまでをも取り込み、その地位をより盤石なものとした。母親としての目線で書かれた『あなた』は、当時2歳だった息子へのラブレター。ストリングスとブラスの温かな響きが、愛息へのストレートな思いを一層彩ってくれる。表題曲『初恋』には、ベースやドラムなどのリズム楽器は一切登場せず、ピアノとストリングスのみで構成された、清廉かつ流麗なナンバーとなっている。この曲は、約20年前の名曲"First Love"に対するアンサーソングでもなければアナザーストーリーでもない。デビューから一貫して、人と人との繋がりというテーマを宇多田は歌い続けてきた。その結果、たまたま"First Love"と『初恋』という2つの象徴的な楽曲が誕生したというだけのことだ。


8th『BADモード』(2022)

Science Fiction収録曲:5曲
 -BADモード
 -君に夢中
 -One Last Kiss
 -Time
 -Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-

 直近2作の生バンド路線から一転し、打ち込み主体へと回帰。現行のポップミュージックを代表する大物ミュージシャンを迎えて制作された会心のアルバム。A.G.Cookがプロデュースを務めたのは、激しく動き回るベースラインと、シンセによる静謐な音色のコントラストが鮮やかな『君に夢中』と、必要最小限の音数に抑えた前半から、後半にかけて陶酔感溢れるクラブ・ミュージックへと変貌を遂げる"One Last Kiss"の2曲。どちらも、足し算と引き算のバランス感覚が巧みな、職人芸が光るポップナンバーだ。小袋成彬がプロデュースした"Time"は、ビートも変則的なら、メロディも振れ幅が大きい、非常にトリッキーなR&Bナンバー。圧倒的な歌唱力が無ければ、この曲を制御することは出来ない。そして最も話題を呼んだのがFloating Pointsことサム・シェパードによるプロデュースの2曲。まずは表題曲の『BADモード』。固有名詞を用い、コロナ禍のムードを直接的に反映した歌詞が印象的なナンバーで、ポップで軽快ながら、後半は新しいメロディが目まぐるしく現れ、次々と場面が切り替わるような展開が圧巻である。アルバムのラストを飾る"Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-"は約12分にも及ぶ超大曲で、間違いなく本作のハイライト。陶酔感の強い軽快なハウス・ビートにいつまでも身を委ねていたくなる。宇多田本人も『今までで一番好きなアルバムかも』とツイートしているが、本作が新たな最高傑作として刻まれたのは間違いない。

新曲(2023〜2024)

Science Fiction収録曲:3曲
 -Gold 〜また逢う日まで〜
 -何色でもない花
 -Electricity

 再びA.G.Cookとタッグを組んだ『Gold 〜また逢う日まで〜』にしても、『何色でもない花』にしても、楽曲の後半から突如エレクトロな音像が現れる展開が大胆かつ鮮やか。これから公開されるであろう"Electricity"は現時点で詳細不明だが、こちらにも大いに期待したい。

 前回のツアーに続いて、今回もチケット当選した。ベスト盤のタイトルがそのままツアー名になっているので恐らく、キャリアを総括するようなセトリになるのだろう(『BADモード』から多めにやってくれると嬉しいが)。

 この25年の間に宇多田が様々なライフイベントを経て歌詞の内容も変化してきたように、私たちリスナーにも各々のライフイベントがある。自分自身の人生を楽曲に投影しながら、じっくりと味わうように聴きたい。

 そして、『人と人との関わり』という不変のテーマのもと、様々な角度から時代を切り取る鋭い視点での創作活動に今後も期待したい。


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