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ハイドンのことを、少し語ります

ハイドンって誰?

10年ほど前に閉店してしまいましたが、昔よく通った中古CDの御主人とお話をしていたとき、ちょっとしたきっかけでハイドンの話題になりました。

「うちの店に来る高校生たちに、『ハイドンって知っている?』 と質問すると、皆、目を白黒させていますよ」と、おっしゃっいます。

ヨーゼフ・ハイドンは、モーツァルトやベートーヴェンに強い影響を与えた重要な作曲家にもかかわらず、現代話題になることは少ないように思えます。

「パパ・ハイドン」というあだ名を良く聞きます。やさしい父のようにいつも笑みを絶やさず、大きな心で人を受け入れた。とってもいい人ともっぱらの評判です。一方で「交響曲の父」と「弦楽四重奏の開拓者」と呼ばれる音楽界の重鎮。古典派音楽の確立者。18世紀後半の欧州における作曲家の大スター。こういうハイドン像は思いの外強く、いつの間にやら神棚に祀られてしまったのかもしれません。

CD店にやってくる高校生たちは、吹奏楽やオーケストラなど音楽系部活の生徒たちです。それなのに、彼らの頭にはハイドンは名前さえもインプットされていないのです。その代わり20世紀の作曲家の名はよく知っているようです(彼らが部活で演奏する曲目の傾向を示しているといえるでしょう)。まあ、20〜21世紀で同時代の音楽の作曲家の方に夢中になるのは、ごく当たり前のことではあるのですが…。少し寂しくなります。

彼らのように目を白黒させないでしょうが、ハイドン・ファン以外には、ハイドンは古典派音楽の基礎を築いた音楽家。偉い先生ではあるけれど、実際に聞いてみる気にはならない。そんな感じかもしれないですね。


モーツァルト、ベートーヴェンと共に成長

ハイドン 生1732年~没1809年
モーツァルト 生1756年~没1791年
ベートーヴェン 生1770年~没1827年

1782年、ハイドン40歳の時、26歳のモーツァルトは傑作弦楽四重奏を次々書きはじめ、後にハイドンに捧げました。ベートーヴェンは12歳。でも既にボン宮廷オルガニストとして働いていました。
1786年、30歳のモーツァルトは16歳のベートーヴェンに会いました。ハイドンは44歳です。
1792年、22歳のベートーヴェンは、50歳のハイドンに師事するためウィーンへ留学しました。モーツァルトは前年35歳で亡くなってしまいます。

14歳年上のハイドンはモーツァルトからの弦楽四重奏曲献呈を喜ぶだけでなく、刺激を受け、新たな弦楽四重奏を書き上げます。

38歳年下のベートーヴェンは最初ハイドンを尊敬していたものの、とおりいっぺんの指導しか受けられない不満でいっぱいでした。ハイドンはその頃ロンドンでの活動が主体となっていたこともあり、ベートーヴェンに関わっていられない状態だったのでしょう。

が、実はハイドンはベートーヴェンを弟子以上の存在、つまり切磋琢磨し合うライバルと見なしていた。と思えなくもありません。(学術的裏付けはありません。私の勝手な想像です。)

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの化学反応

音楽の歴史をひもとくと、ハイドン~モーツァルト~ベートーヴェンという順番を意識します。生まれ順はその通りです。でも、実際は、ハイドンがいて、ハイドンがモーツァルトとベートーヴェンの生涯と重なり、ハイドンが触媒役を果たしつつ、三人の音楽が微妙に共鳴し合いながら生まれた、つまり化学反応が起きた、といえるのではないでしょうか。(モーツァルトの音楽はベートーヴェンの音楽に影響を与えたと思われますが、逆はなさそうです。なぜならベートーヴェンが本格的に活躍したのはモーツァルト亡き後だからです)

なぜこういうことを書くかというと、ハイドンの作品を聞いて、古めかしいという感覚が私には全くないのです。モーツァルトやベートーヴェンと比べてみても、その後の作曲家たちの音楽と比べても色あせていません。もちろん、ひれ伏すような威圧感もありません。

私は巨匠ハイドンではなく、同時代の現役作曲家ハイドンの音楽を徹底的に聞いてみたくなりました。


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