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ブラームス7つの小品op.116の3番Capriccio/記憶の中のあこがれの音楽との再会

ブラームス7つの小品op.116の3番Capriccio

★ラジオで知った、忘れられない歌との再会のエピソード
昔聴いた歌。耳に残り何十年経っても忘れられない歌。TBSラジオ「たまむすび」の「竹山ガム買ってきて〜」(聴者から寄せられるさまざまな謎を、番組スタッフとリスナーたちの協力で探求し解決してくれるコーナー。現在のタイトルは「竹山ガムテープ買ってきて」)が、なんと60年前に聴いた忘れられない曲を探している女性の願いを先日叶えた。

女性は60年前ラジオでたまたま、その曲を一定期間聴いただけ。題名も知らない。レコードも存在せず、音源も残っていないようで、ラジオ局も探す術がなかった。
それが、4ヶ月経過して、ついに歌の正体がわかったのである。ラジオのスタッフおよび、リスナーたちが力を合わせ探した成果であった。当時の音源は残っていなかったが楽譜が見つかり、新しい録音でその歌を聴けたのである。

第三者ながら、私はもうれつに感動、自分のことのようにしみじみとかみしめた。

ザルツブルクで聴いたブラームスのピアノ曲。でも題名を知らない

実は私にも似た経験がある。聴いた記憶があるが、その曲の題名は知らない…。ラジオの女性と同じである。ただ、作曲者がブラームスであることだけは知っている。私の耳に残っている音だけが頼りだった…。

その音の記憶は、いまから40年前のオーストリア、ザルツブルク。私は日本人のための音楽セミナーに随行し、10日間、参加者のピアノのレッスンに、毎日まる一日同席していた。参加者は7名。受講生が各々1時間のレッスンを受ける間、ピアノの横に座り、先生が話す英語(時にはドイツ語)の意味を参加者に伝えるのが仕事だった。とはいえ、音楽という媒介があるから生徒と先生のコミュニケーションはスムースで、四六時中通訳する必要はない。1時間のうち半分以上の時間はピアノを聴く、それが仕事、という誠に贅沢な時間を過ごした。

その時に聴いた曲が、今も忘れられぬブラームスの小品であった。怒濤の感情を表現するような激しいフレーズ、嵐のような前半と後半部に、ワクワクさせられた。そして雄大な海原を思わせる中間部。強烈に印象に残っている。たぶんその時作品名を知らされただろうし、楽譜も見たはずなのだが、覚えておらず題名を知らないまま時は過ぎていった。

音楽探しは難しい

その曲をもう一度聴きたい一心でこの夏調査(少しおおげさ?笑)を始めた。

音楽を探す場合の手がかりとして、頭の中の音だけで実に心許ないが、口ずさんで聴いてもらう方法がある。しかし、ブラームスの音楽である。ブラームスは単音メロディの美しさも定評があるが、ベートーヴェンのように、和音の組み合わせをベースにした緻密な曲を展開する達人である。単音メロディだけではあまりに情報が少なすぎる。ピアニストの妻にも尋ねたことがあるが、結局わからなかった。私の歌の再現力が乏しかったのかもしれない。

次に、ブラームスのピアノ曲を片っ端から聴く、という方法をとってみた。小品のひとつだから、たぶん順番に聴けば出会えるに違いない。こういう音楽探索に便利なのがAppleMusicである。ブラームスのピアノ曲で検索すれば数多の候補が現れる。その中から意中の音楽に出会える期待があった。

しかし、無造作に音源を聴くだけではなかなか出会えないことを知る。どんなに文化普及に使命感を抱くレコード会社であっても、すべての音楽を網羅しているわけではない(後で述べるように、この曲はブラームスのp.116の中の1曲だが、抜粋版には収録されていないものがある)。

最後の手段。ブラームスのピアノ曲の楽譜を調べることにした。私は素人である。譜面を見ただけで頭に音楽が鳴る、なんていう才能もない。けど、音符の種類やリズムの動きはビジュアルに追うことができる。つまり「それっぽい曲」のアタリを付けることができるかもしれない。いざ出陣!とは大げさだが、妻の所有するブラームスのピアノ曲の楽譜を調べたのである。

そしてこれぞという作品に当たりをつけ、再びAppleMusicで音源を探し聴く。この作業を繰り返した。その結果、この夏、ついに長年恋い焦がれていた曲に出会えたのである。まるで昔あこがれていた心の恋人に再会したようなトキメキ。
それは、ブラームス7つの小品op.116の3番 Capriccio だった。

ブラームス7つの小品 op.116の3番 Capriccio

長い探求の旅を終え、長年恋い焦がれたピアノ曲の正体が作品116の第3曲であることがわかった。小品であり、きっとかなりマニアックな曲だろう、と勝手に思い込んでいたのだが、とんでもない。この曲はブラームス晩年の傑作ピアノ小品群のひとつ。録音も数多くAppleMusicを探してもぞろぞろ出てくる。根強いファンも多いに違いない。

作品が生まれた背景を知りたくなったのだが、ブラームスの伝記類はほとんど所有していない。頼りはネットだが、ブラームスがなぜこの曲を作ったか、その時どういう心情だったのか、どんな気持ちを音楽に込めたのか等、核心に触れた情報、は見つからなかった。CDに解説が付いているかもしれないがCDは所有していない(なにしろつい先日まで曲名すら知らなかったのだから)。とはいえ、海外のサイトなどで見つけたことを以下に書こう。

この作品はOp.116。1892年夏に作曲されたという。ブラームスは当時59歳。「すべてやり尽くした。音楽で語るべきことはもう、ない」と、事実上引退状態(特にピアノ独奏曲は10年以上も書いていなかった)だったが、突然彼はピアノ曲を創作し始めた。そのひとつがこの作品116であった。

原題は"Phantasien"、7曲で構成されている。
I. Capriccio ヘ短調
II. Intermezzo イ短調
III. Capriccio 変ロ短調→変ホ長調→変ロ短調
IV. Intermezzo ホ短調
V. Intermezzo ト長調
VI. Intermezzo ホ長調
VII. Capriccio ニ短調

3つのCapriccio(奇想曲)と4つのIntermezzo(間奏曲)
ブラームスの心境は音楽そのものに込められているのだろうから、題名はさほど重要と思えないが、妙にミステリアスで、意味深に感じるのは私だけだろうか。Capriccioには「気まぐれ」という意味もあるそうだから、おそらくそのものズバリ、ブラームスが気まぐれに、というか「自由に」創作した作品群を間奏曲で繋いだもの、と私は信じている。

気まぐれに書かれたとしても、そこはブラームスの音楽である。緻密で一片の隙もない聴き応えのある曲ばかりである。バリエーションも豊かで飽きさせることもなく、全部聴いても25〜30分ほど。

私の最もお気に入りは、当然長年恋い焦がれた3番カプリッチョである。ドラマチックな音の嵐で激情を表現する前半、大海原を航海するような雄大で力強い中間部、そして再び絶望のどん底へ落ちていくような冒頭フレーズの再現。最も印象的だった中間部を、あんなに激しい感情を込めた音楽が包んでいたとは本当に驚いた。

第1曲のカプリッチョもシンコペーション多用による神経質、いやヒステリックといっても良い厳しい音楽である。奏者右手と左手のリズムが交差する複雑な曲想で冒頭から聴き手を戸惑わせる。第7曲に至っては、さらに激しい感情の起伏で、執拗に私たちを哀しみ、絶望の世界へと追いやる。

間奏曲も決して安堵の世界ではない。第2曲は曲調こそおだやかでシンプルだが、もの悲しく、やるせない。第5曲のはうちひしがれてとぼとぼ歩くようなリズムに悲しみのメロディが添えられ今にも倒れそうである。ときおり遠くには光が見えるが、それも消えていく。

しかし、怒り、悲しみ、絶望だけではない。安らぎや希望もある。それが間奏曲第4曲であり、第6曲である。7曲を通して聴くと、このつかの間の暖かい音楽に安堵するに違いない。op.116を全曲録音でリリースしていないピアニストも、しばしば第4番のみをCDに収録させている。人気の高い作品なのだろう。

今日は、作品の断片だけを紹介したが、各々の楽曲についてはいつかあらためて書こうと思う。

【私が聴いた音源】
ピアノ:Anna Vinnitskaya
アルバム Bach - Brahms
ブラームス 7つの幻想曲より
III.Capriccio in G Minor(Allegro passionato)



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