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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 2   

第一楽章 シューマンの物語

1、恵まれた少年時代

ライプチヒから南に約70㎞、今は電車で二時間ほどのところにあり、古くから公園のように美しいと言われていたツヴィッカウは、音楽も盛んで、人々が心豊かに暮らしている静かで落ち着いた街です。

ロベルト・シューマンは1810年6月8日、街の中心にある聖マリア教会からほど近くにあるシューマン家の6番目の子どもとして生まれました。

「そうか、男の子か!」と、お父さんのアウグスト・シューマンも大喜びです。
「ほら、新しい弟だよ。」

そう言って、赤ちゃんのきょうだいを呼びよせました。赤ちゃんにはエドゥアルト、カール、ユリウスという3人のお兄さんと、エミーリエというお姉さんがいたのです。みんなおっかなびっくり生まれたばかりの弟をのぞきこんでいます。シューマン家は、前の年に生まれて間もない女の子を病気で亡くしていましたので、新しい家族が増えた喜びはなおさら大きなものでした。

一週間後に洗礼式が行われ、赤ちゃんにはロベルトという名前が付きました。

「ロベルト、どうかお前は元気に育っておくれ」
お母さんのヨハンナ・クリスティアーネはそういって赤ちゃんを抱き上げました。

「それにしても、何て美しい赤ちゃんなのかしら。まるで天使のようね」
名付け親の市長夫妻もそう言って目を細めています。

この市長夫人は、シューマン夫妻とはとても親しく、シューマン家の子供たちをまるでわが子のように可愛がって下さいました。病気がちなお母さんが子育てを十分できなくなると、幼いロベルトをしばらく預かって代わりに育てて下さったこともありました。その頃のツヴィッカウの町は、モスクワから戦争に負けて逃げてきたナポレオン軍に襲われたり、チフスが流行したりと大変不安定な状態でしたが、家族や周りの人たちの愛に囲まれて、シューマン家の末っ子ロベルトは、なに一つ不自由なく成長してゆきました。

 家族の愛とおなじように、いつもロベルトのそばにあったもの。それは本でした。

お父さんは、自宅の一階で弟と一緒に「シューマン兄弟社」という出版社を経営いて、本屋さんでもあった「兄弟社」には何と4000冊もの本があったのです。近所の人たちにとっては図書館の代わりになっていたほどで、自然とシューマン家の子どもたちも本が大好きになりました。
そもそも若い頃から本が大好きだったお父さんは、自分でも小説を書き、一方でたくさんの外国の古典文学をドイツ語に翻訳して出版し、文学の週刊誌を何冊も発行するなど、本の世界では広く名前を知られていたのです。

一方、お母さんはお医者さんのお嬢さんでしたが、やはり若い時から本が大好き。それもそのはず、お母さんの親戚にはレッシングという大変有名な作家が居たのです。
 
 まだ本屋の店員だった18歳の時に7歳年上のお母さんと出会ったお父さんは、結婚するためのお金を稼ぐために1年半で8冊の本を書いて、その儲けを元手に本屋さんを開きました。そして、めでたく結婚すると、その本屋さんをもっと大きくしようと、ロベルトが生まれる3年前に音楽も文学も盛んなツヴィッカウにやってきて「シューマン兄弟社」を開いたのです。働き者のお父さんのおかげで、お店はどんどん大きくなり、シューマン一家は豊かに暮らしていました。

 教育熱心なお父さんは、ロベルトが6歳になると(教会の)牧師さんが先生をしている小学校に入学させます。本に囲まれて育っていたロベルトは、知識も豊富で頭もよく、自然と他の子どもたちのリーダーになりました。その頃からギリシャ語、ラテン語、フランス語の勉強も始めていたというのですから、とりわけ賢い子どもだったのでしょう。

 ロベルトがもう一つ好きなもの。それはお母さんの歌う歌でした。お母さんはたくさんの歌を知っていて、ロベルトにせがまれると次々と歌って聞かせてくれるのです。
「お母さんはまるで生きた歌の本だね。もっともっと歌って」
そう言って飽きることなく歌を聞いているロベルトを見て、お母さんは息子に本格的にピアノを習わせてみようと思いつきました。

「そうだな。もしかしたらあの子には音楽の才能があるかもしれない。クンチェ先生に頼んでみよう」

と、やはり音楽好きのお父さんも大賛成。聖マリア教会でオルガンを弾いていたクンチェ先生がロベルトの最初のピアノの先生になりました。正式にレッスンを始めるとロベルトのピアノはどんどん上達して、小さな曲を作曲するようにもなりました。
「それは何の曲?」
 学校でロベルトがピアノを弾いていると皆が集まってきます。
「校長先生を音楽にしてみたんだよ」
「えー?すごい。厳しくてやさしい校長先生の感じが良く出ているね。
 じゃあ今度はぼくを曲にしてよ」
「うーん。君は元気でおっちょこちょいだからこんな感じかな」
「うわあ、すごいね!ロベルト」
クラスは笑いに包まれます。
こうしてクラスメートを次々と音楽にしていくロベルトは学校の人気者になりました。

 家では、お父さんが夕食のあとにロベルトのピアノを聞くことを何よりの楽しみにしていました。

「ロベルト、今弾いた曲は何だい?」
「クンチェ先生に習ったベートーヴェンという人の曲だよ。すてきでしょう?」

 まだ「新しい作曲家」だったベートーヴェンの曲をクンチェ先生は教えて下さっていたのです。
「ああ、これがベートーヴェンの曲なのか。噂通りなかなか良い曲だね。それに上手に弾けている。お前にはやっぱり音楽の才能があるのかもしれないな」

 お父さんは目を細めてロベルトのピアノに聴き入っていましたが、やがてその顔がけわしくなってしまいます。
「お父さん、大丈夫?また頭が痛いの?めまいがするの?」
 ピアノの手を止めてロベルトが尋ねます。
 働き過ぎがいけなかったのでしょうか?ロベルトが生まれたころからお父さんは神経の病気にかかり、それがすこしずつ悪くなっていました。

「ああ、大丈夫だよ」
 お父さんは少し弱々しくそう答えました。

「少し疲れたのだろう。夏になったらまたカールスバートに行って少しゆっくりしよう。そうすれば良くなるさ。」
「うん、そうだね。早く夏にならないかな」
 ロベルトは心からそう思うのでした。

  カールスバートというのは、あのベートーヴェンも休養に行ったことがある温泉地です。裕福なシューマン家は毎年夏に休養にでかけていました。
 お金持ちや音楽家が集まるこの避暑地では、連日のようにさまざまな音楽会が開かれており、ロベルトはそれを何より楽しみにしていたのです。
 特に8歳のとき、当時有名だったピアニスト・モシュレスの演奏を聞いたことはロベルトに大きな影響を与えました。

「なんて素晴らしい演奏なんだろう。
 ぼくもあんな風にピアノが弾けたらどんなに素敵だろう」
 その時の感動をロベルトは一生忘れることがありませんでした。

  その数日後、別の演奏会を聞きに行った時のことです。
 隣の席にすわっていたお母さんがロベルトにささやきました。

「後ろを見てごらんなさい。モシュレスが来ているわよ」
 ロベルトがそっと後ろを見ると、確かにそこにはモシュレスが座っているではありませんか。有名なピアニストをすぐ近くで見て、ロベルトは大興奮!この事もまた一生忘れられない思い出になりました。

 次の年に、ライプチヒでモーツァルトのオペラ「魔笛」を見て、大変感激したロベルトは
 「やっぱり音楽は素晴らしいものだな。将来はモシュレスのようなピアニストになりたいなあ。でも、お父さんのように作家になるのも良いかなあ」
 と、夢を抱くようになっていました。(続く)

★扉絵はツヴィッカウ

 

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