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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 17

第一楽章 シューマンの物語

16、春 交響曲の年

 こうして、クララの21歳のお誕生日から、二人が夢にまで見た新婚生活がライプチヒのインゼル通りにある新居で始まりました。

 記念すべきこの日に、シューマンはクララに「花嫁の本」と呼ばれる美しいノートをプレゼントし、新しい日記帳も用意しました。実は、シューマンもクララも、子供の頃からそれぞれに日記を付けていました。悲しいこと、嬉しいことを日記に語りかけ、特に離ればなれの辛い日々も日記を付けることで乗り切ってきたのです。

「これからぼくたちの人生は一つになるのだから交代でこの日記を書いていこう。ぼくたちは勤勉・質素・節操をモットーにしようと思う」
「素晴らしいわ!ロベルト」
 クララも、ようやく二人が夫婦になったのだという事を実感することができました。

 二人の新しい生活は順調にスタートしました。お料理やお掃除などの家事は初めての事ばかりで大変でしたが、それまでピアノだけの人生を送ってきたクララには、それが新鮮なことでもありました。
 シューマンはクララに家庭の事を中心に暮らしてほしいと願っていて、クララもまた愛するロベルトを支え、ロベルトのために生きて行こうと考えていたのです。シューマンが自分の部屋に籠って作曲をしている間にクララは家の事を片付け、ランチの前には二人で散歩にでかけます。散歩から帰ってくると二人でバッハの研究をしたり音楽について語り合ったり。時には音楽仲間が訪ねてくることもありました。けれど内気なロベルトは、せっかくお客様が訪ねてきてもすぐに自分の部屋に入ってしまうことが多く、お客様のお相手もまたクララの役目でした。
 そんなやさしいクララの愛に包まれて、シューマンはこの一年で142曲もの歌曲を作曲しています。彼にとって歌曲こそが愛そのものだったのでしょう。
 そして、この記念すべき「歌曲の年」の締めくくりに、二人はリュッケルトという詩人の「愛の春」という詩集から数曲を二人で分担して作曲することにしました。
「メンデルスゾーンとお姉さんのファニーが同じような事をやっているんだよ」「ファニーさんはフェリックスと同じくらい作曲が上手なのでしょう?私にできるかしら?」
 クララはなかなか思うように作曲できず苦しみますが、結局クララが3曲、シューマンが9曲を作曲して、翌年クララのお誕生日に出版されることになります。
 二人にとっては結婚の記念のような歌曲集になりました。(リュッケルトの愛の春より12の詩・作品37)

 幸せなうちに年が暮れて、新しい年・1841年がやってきました。
 シューマンは歌曲を作りながらも、今度こそ交響曲を作ろうと心に決めていました。立派な交響曲をたくさん作らなければ、彼がめざすベートーヴェンのような大作曲家にはなれないと思っていたのです。
 また、ピアノ曲や歌曲だけでは自分の思う音楽が表現しきれないとも感じていました。側にクララが居てくれることで、音楽だけに集中することができるようになったシューマンは、作曲への意欲がますます強まり、今までにない、けれどドイツ人らしい新しいタイプの交響曲を作りたいと意気込みます。そして、ベットガーという詩人の「谷間に春が花開く」という一節にヒントを得ると、1月23日からわずか一週間の間に立派な交響曲を書き上げました。

「春」(交響曲第1番作品38)と呼ばれているその交響曲は3月30日にメンデルスゾーンの指揮によって演奏されて、シューマンの代表作の一つになります。この演奏会では、クララも結婚後初めて舞台に立ってショパンのピアノ協奏曲を弾き、夫婦そろって大喝采を浴びました。それはシューマンにとって「芸術人生で最も重要な日」となりました。

 その後もシューマンは、この「春の交響曲」を手直ししたり、新しい交響曲やピアノ協奏曲などを手掛けたりと、多くの管弦楽曲の作曲に積極的に取り組みます。完成するのはもう少し後になるのですが、この1841年はシューマンにとっての「交響曲の年」とよばれるようになりました。

 そして、まもなく結婚一周年と言う頃、二人の間に待望の女の子の赤ちゃんが生まれ、マリエと名付けられました。
「マリエは天からの贈り物、そしてこれはぼくから君へのプレゼントだよ」
 記念すべき結婚一周年翌日、クララの22歳のお誕生日に、シューマンが送ったのは新しい交響曲のピアノスコアです。

「まあ、ロベルト素晴らしい交響曲じゃないの。はやくオーケストラがこの曲を演奏するのを聞きたいわ」
 クララにとって夫・ロベルトは何よりの誇りであり、彼女は誰よりもシューマンの才能を信じていたのです。

 しかし一方で、シューマンが作曲をしている間、クララは邪魔にならないように息をひそめていなければなりません。初め、シューマン家にはピアノは一台しかなく、シューマンが作曲で使っている間は勿論ですが、ピアノが空いていてもクララが音を立てれば作曲の邪魔になるので、クララは空しい思いでピアノをみつめていることしかできませんでした。
 しかも、生まれて間もないマリエの世話もあります。小さい頃から一日も休まずピアノを弾き続けたクララにとって、ピアノは身体の一部のようなもの。結婚したころは、シューマンを支えて主婦として暮らすことも考えていたクララですが、練習を休んでいると、自分にとっていかにピアノが、人前で演奏することが大切なことなのかを嫌というほど思い知らされてしまったのです。

 しかし、クララほどのピアニストでも、練習をしなければ、それだけ技術は落ちてしまいます。
「ピアノを弾かない私は私ではないの。また昔のように演奏旅行にでかけて、たくさんの人に私のピアノを聴いてもらいたい・・・。
このままではどんどん下手になってとてもピアニストとは言えなくなってしまう。けれど、ロベルトの邪魔はしたくないわ。あの人は本当に素晴らしい才能の持ち主なんだもの」
 と、クララは悩みます。
 
 一方夫であるシューマンもまた、クララの才能を認め、活躍させたいと思いながらも、やはり主婦として自分を支える事を第一にしてほしいと思うのでした。

※扉の写真は二人が新婚生活を送った家。この2階に住んでいました。いまはシューマンハウスと呼ばれて公開され、クララシューマン小学校も併設されています) 

 

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