【ドラゴンのエッセイ】 「生きづらい」と思っている/思ったことがあるすべてのみなさんへ

 自殺者というのは、10代から20代の若者がその割合の多くを占める、というのをさまざまなニュースで耳にする。この世代は上の世代に比べて環境の変わる頻度が高く、それにうまく対応できなかった結果自殺に繋がってしまうのではないか、という専門家の話もテレビで聞いたことがある。
 なぜいきなりこんな話を始めたかというと、俺も元自殺志願者だからに他ならない。学校と家で生活している分にはよかったが、一歩外に出れば「税金泥棒」、「この世界のゴミ」などと罵声を浴びせられる。思春期にその経験は辛すぎるし重すぎる。
 でも俺は、今日もこうして生きている。たまに人生終わりにしたいと未だに思うが、生きている。
 今回の記事では、俺と同じ思いをしたことがあるすべてのみなさんに、少しでも「今日1日くらい生きてやるか」と思ってもらいたくて書くものだ。正直言って自殺を完全に否定できるほど俺は強くない。でも俺は、周りで不必要に人が死ぬのだけは嫌だ。そんな少し矛盾した思いを一気に書き連ねる。最後までお付き合い頂けたら嬉しい。

 まず大前提として、みんな心の底から死にたいと思っているのではないと俺は信じている。本当は生きていたいけれど、死ぬより他に楽になれる道はないと思うから「自殺」という選択肢しか見えなくなってしまう。
 よく2時間ドラマなんかで犯人が「罪を償うために死なせてくれ!」とか言うシーンがある。それに対して主人公やその仲間たちが「死ぬことは償いにならない。死んで逃げるな」というふうに説得する。
 あえて2時間ドラマを例に出したが、説得する側の「死んで逃げるな」という台詞はすべての人間に当てはまるものだと思う
 少なくとも俺は、「逃げる」ことを悪だとは思っていない。死を考えるほど追い詰められる状況が日常的に発生するようなところからは、一刻も早く逃げた方がいい。大事なのは「死ぬことで逃げてはいけない」ということだ。逃げる方法は他にいくらでもある。

 例えば人間関係を苦にしている社会人だったら、会社を休むことを考えればいい。学生だって同じことだ。学校を休んでしまえばいい。自分の大切なものや積み重ねてきた努力、果ては人格まで否定され続けながら毎日通うべき場所などこの世界には存在しない。
もちろん、このような考え方ができないからこそ思い悩むのである。俺もそうだった。しかし、ずっと頭に居座っていたあるネガティブな考えが、負のスパイラルから脱却させてくれた。

その言葉とは「あんたがいなくても社会は回る」というものだ。俺はこの言葉の意味をずっと「自分は社会にとって不必要な人間だ」と解釈してきた。しかし、それは違うということに、気付いた。要は逆転の発想である。
 これから書くことは俺の実体験である。これを読んでいるあなたも想像してみてほしい。
 あなたが学校や職場でいじめを受けたとしよう。耐えかねてその場所へ行けなくなったあなたは「自分がいなくても学校や会社は困らない。どうせ自分なんて役に立たないし、自分は社会に必要ない存在だ」と思うようになる。
 この考え方はある意味で正しいが、ある意味では間違っている。よく「この世界にいらない人はいない」という言葉を聞くことがあるがこれは「この世界に絶対必要な人間もいない」という意味でもあるように俺は思う。
 学校の生徒会長だって会社の社長だって、総理大臣や大統領でさえも「絶対にこの人じゃなきゃダメ!」なんてことはあり得ない。任期が終われば別の人になるし、特に現代は不祥事なんて起こそうものなら、すぐ交代させられる時代だ。
 何が言いたいかというと、確かにあんたがいなくても社会は回るが、それは誰がいなくても社会が回ることと同じだということだ。もっと単純に言えば、あなた1人が社会なんていう大きなものを背負う必要はないということだ。例えばいじめっ子の方が消えても社会は回る。

 こう考えると、逃げることへの罪悪感が薄れはしないだろうか? そもそも逃げることは罪ではない、と言った意味を理解してくれたのではないだろうか。
 ここまでラフに考えられるようになったらあとは簡単だ。実際に逃げればいい。逃げた後のことは考えず、とりあえず危険な環境から去ることだけを考えよう。行動さえ起こしてしまえばあとはどうにでもなる。せっかくスマホがあるんだから、自殺の方法より逃げ出す方法を検索した方がずっといい。世の中にはたくさんの制度がある。もちろんその制度を利用しても現状は変わらないかもしれない。だが、その可能性を知らずに死んでしまうよりはずっといい。

 自殺を考える人には、もうひとつ共通点があると思う。「自分の存在は害である」と思い込んでしまうことだ。つまり「いなくてもいい人間」ではなく「いてはいけない人間」だと考えてしまう。俺もそうだった。自分には人権なんてなくて、それが当たり前だと決めつけてしまっていた。しかしもちろん、そんなことはない。
 考えてみてほしい。あなたには、恋人はいないだろうか? いないとしたら、大切な友人は? とにかく誰でもいいから、あなたが大切だと思う人のことを想像してみてほしい。
 もしあなたが死を選んでしまったら、その大切な人まで人生が狂ってしまうかもしれない。もしかしたら、その人まで死を選んでしまうかも。
 自殺を考えるほど追い詰められているあなたの根本にあるのは、「他人に迷惑や心配をかけたくない」という思いではないだろうか? もしそうなら、自殺という選択肢がいかに他人に迷惑をかけることかということに思いを巡らせてほしい。死んで迷惑をかけるくらいなら、ボロボロになっても生きて、心配をかける方がいい。
 ちなみに、うちの母がこう言っていたことがある。
生きている意味なんてのは、観たいテレビを観て、会いたい人に会って食べたい物を食べて、寝たい時に寝る。それだけでいい
 悩んでいる側からするとバカみたいな台詞だが、突き詰めたら人生の意味なんてこれだけで十分なのかもしれない。

 最後に、ここまでの文章を読んでくれたあなたへ。
 実はここまでで、もう2200文字を超えている。一行も読み飛ばさずにここまできたあなたは、おそらく考え方が少し変わったのではないだろうか。そうだったら俺はとても嬉しい。

 もし途中で面倒になって読み飛ばしてしまったあなたには、謝罪をしたい。俺の文章が退屈だったということだろうから。でも最後にこれだけは伝えたいので次の段落だけは飛ばさずに読んでください。

 俺は今でも、3日に1回くらい生きているのが嫌になる。朝起きて「今日も生きてんのか俺は」と思ってしまうことも少なくない。それでも何とか毎日生きている。無職で社会参加も出来ていないが、「生きることを頑張る」という気持ちでいる。
 これを読んで少しでも心が軽くなったと思ってくれたあなた。ぜひ一度、俺と話してみませんか? この記事のコメント欄でもいいし、誰かに見られたくないのならTwitterのDMでもいい。フォローはいつでも大歓迎です。俺の方も、親以外の誰かと話すだけで心が軽くなったことがたくさんあります。いつでも気軽に声をかけてください。時間は保証できませんが、必ず読んで返事をします。
 ここまで読んでくれたみなさん、ありがとうございました。俺は、読んでくれたみなさん1人1人のことが大好きです。ご縁がありましたらまたお会いしましょう!
 以上、ドラゴンでした🐉

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