【ドラゴンのエッセイ】私の人生と、親友の話②

 前回の記事が大変好評を頂いたということで、今回はこの連載の一番の山場であり、最終回である。
 前回、就労支援施設で出会った親友Nさんと出会った話を書いた。と同時に、人生最大の敵であるXと出会ったことも。前回の記事については、「初めてのドラゴン」というマガジンに入っているので、ぜひご一読ください。

Nさんとの会話

 Xの度重なるセクハラ行為を目撃、体験した私は、ついにスタッフさんに相談することを決意した。そして、その相手に選んだのがNさんだ。
 Nさんは同い年だったし、一番フランクに話せるのは彼女だろうという判断からだった。
 そこで施設長のいない日を狙って、彼女に切り出してみた。わざわざ施設長の不在を狙ったのは、この問題をどう扱うべきかを話し合うためだ。最初から施設長に報告してしまうと、それだけで問題が大きくなってしまう可能性がある。それは避けたかった。
 私は訊いてみた。「Xって、ハラスメントめいたことを平気な顔してやる時ない?」
 するとNさんの方も「何度か目撃しているし、実際に子どもたちからそういった話が出たこともあるよ」
「やっぱりか。どうしたらいいかな。大事にはしたくないんだけど、このまま黙ってるわけにもいかないよね。あなたにも被害が出るかもしれないし」
「もう出てるよ?」と彼女は言った。それ以上詳しく聞くことはしなかった。けれども、私はもう我慢の限界だった。
 結局その日は、2人ともXから受けた被害を列挙して終わった。一応「施設長には内緒で」とは言ったものの、おそらく伝わるだろうなとは思っていた。
 そして翌日の昼休み、私は施設長に呼び出される。
「Nさんから報告があったんだけど、Xがセクハラまがいのことをしてるんだって? ちょっと話聞かせてほしいな」

すべてを話す時

 施設長と話すことになった時点で、私が施設に入ってから2、3年が経過していた。Xによるセクハラやパワハラまがいの行為は入所当時からあったので、もう施設長にバレたのなら、と思って洗いざらい話した。やけに先輩ヅラをしてくることや、正論を武器のように振り翳すこと、さらにはたくさんの利用者に、あることないこと吹き込んでいたという事実。その結果利用者同士や利用者とスタッフさんとの信頼関係が崩れ、全体の雰囲気が険悪になっていること。
 私にとっては、セクハラやパワハラが一番強烈なエピソードだったが、こんな風に施設全体に迷惑をかけていた。若者の中で「サークルクラッシャー」という言葉が流行ったが、Xはまさに「施設クラッシャー」だった。

その後

 というわけで、その一連のクラッシャーぶりを施設長に暴露したのだが、ことはそう単純ではない。
 施設長いわく「スタッフが直接そういった行為を見ていなければ注意できない」と言うのだ。その理屈はとてもよく分かるので、反論もできなかった。現にXは、スタッフの前では絶対にそういうことをしない(特に男性スタッフや施設長の前では)。もうお手上げだった。
 結果、いわゆる泣き寝入りのような状態になった。万が一スタッフがXの横暴を目撃できたとしても、その場で注意するのが限界だからだ。「現行犯」が原則のため、「ずっと他の人に迷惑かけてるよね?」とは言えない。言えたとしても、本人に否定されたらそれ以上の追求はできないのだ。利用者はあくまで「お客様」なので、証拠もなしにお客様を疑うことはできない、という理屈だった。理解はできるが、納得はいかない。

 そんなどっちつかずの日々がかれこれ1年くらい続いただろうか。Nさんが施設を去ることになった。運の悪いことに、仲のいいスタッフが軒並み去っていくタイミングだった。理由は詳しくは聞いていない。ただ、「ドラゴン(私)のことが嫌いなわけじゃない」と全員が言ってくれた。私としてはそれだけで十分だった。ちなみにXは、スタッフ退職のタイミングと前後して施設を去る。その後の行方は一切知らない。

そして現在へ

 実はNさんが辞める前後に、私がTwitterを開設していた。もともとはジャニーズファン仲間を増やしたいという思いからだったが、少しくらいは「Nさんがフォローしてくれたらな」という思いがあった。
 そしていよいよ辞めるまであと数日といったタイミングで、「よければ自分のアカウントをフォローしてくれないか」と彼女に伝えた。「うん」とは言ってくれたものの、半信半疑ではあった。「所詮は利用者とスタッフ。その繋がりがなくなれば関係も途切れるだろう」と持ち前のネガティブ思考を発揮していたからだ。

 見覚えのないアカウントからフォローされたのは、彼女たちが辞めてから数日経った頃。「フォローしちゃった!」というDMを見て、大げさじゃなく泣きそうになった。同時に、彼女のことを1ミリでも疑った自分を恥じ、殴ってやりたくなった。
 これをきっかけに今では、Nさんを私の家に招くような仲まで発展した。ちなみに、友人を招待するという経験は人生で2度ほどしかない。

こぼれ話

 ここで少し、余談を。
 実は私、Nさんに一度だけ手紙を書いたことがある。いわゆるラブレターだ。そんな恥ずかしい物、書いたのは人生で一度きり。もう死ぬまで書かないだろう。
「親友」とタイトルにもあるように、結果は惨敗。せめて惜敗くらいだったと信じたい気持ちはあるが、あれは明らかに惨敗だった。

まとめ

 健常者と障がい者がフラットな気持ちで恋愛できることはあり得ないと思う。日常生活には大なり小なり絶対に誰かの介助が必要になるわけで、それを恋人にやってもらうというのは、いたたまれない気持ちになる。
 かと言って現状から、一切介助のいらない自立した生活を目指そうと思ってもそれは不可能だ。正直、無駄な努力と言っていいだろう。
 だから私は、彼女と恋愛関係になれなくてよかったと思っている。彼女のことは今でも女性として好きだし、それは多分向こうも分かっている。それでもお互い「気の合う友人」という距離感で付き合っているのが心地いい。まあ私は、一度くらい本気のデートをしてみたいと思っていたりもするんだけど笑
 私はおそらく、このままデートもキスもしないまま死んでいくのだろう。夜の営みなんて、もっての外なのだろう(相手も迷惑だろうし)。憧れ続けるのは辛いから、ある時から考えないようにしている。
 そういう意味でNさんには、かなり夢を見せてもらっている。障がい者である私と対等な友人として付き合ってくれ、多少のワガママも聞いてくれる。Nさんがこの世に存在する限り、私は彼女に恋し続けることができる。彼氏がいようが旦那がいようが、恋するのは勝手だから。
 ただ1人の親友をずっと大好きでいられる人生は、そんなに悪いもんじゃない。

 以上、ドラゴンでした🐉
 コメント、スキ、オススメ、お待ちしてます!
 それではまた次回!


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