【短編小説】あべこべ


1

「時間よー! 早く起きないと遅刻しちゃうんじゃないの?」
 目を覚ますと、まだ午前7時だった。休日のこの時間に起きるというのは、上田夢香にとっては珍しいことだった。とはいえ自力で起きられたわけではない。夢香は普段なら、昼前まで寝ていたいタイプだった。
 眠気を我慢して早起きしたのにはちゃんとわけがある。今日は、デートなのだ。だから母の春香に頼んでまで起こしてもらった。待ち合わせは10時。家の近所のカラオケだとはいえ、うかうかしているとメイクもせずに男と会うことになりかねない。
「お母さん、起こしてくれてありがとう。一緒に朝ごはん食べよう?」
 春香とゆっくり朝食なんて久しぶりだった。夢香はカラオケで働いているので、昼夜が逆転してしまうことも少なくなかった。体調を気遣ってくれる春香の言葉が嬉しくもあり、煙たく感じてもいた。
「あんた、久しぶりの休みなのにデートなんて、身体は大丈夫なの?」
「大丈夫だって。普段めちゃくちゃハードワークなんだから、こういう時くらい息抜きしないとね」
 春香はまだ不服そうだったが、娘の恋愛自体には前向きであることは態度から想像できた。仕事ばかりでプライベートがないことをずっと気にしていたから、恋愛については応援してくれているのかな、と夢香は想像した。
「ところで、お相手はどんな人だっけ?」
「この人だよ」送られてきた射進を見せた。
「うーん。あんまりイケメンとは言えないわね。まあ、夢香がいいって言うなら私は別にいいんだけど」
 春香は言いづらそうだったが、彼女の言っていることは概ね夢香と同意見だった。相手の男性は剛史というのだが、お世辞にもイケメンとはいえなかった。もっとも、本人もそれは自覚しているらしい。『俺はブサイクな引きこもりだから、女の子にモテないんだ』とよくこぼしていた。その度に『私は剛史のこと、好きだよ』と返信していたのだが、彼はそれでも自信を持てないようだった。
「最近は、恋愛にもいろいろあるんだね」春香の目が、少し遠くを見ていた。
「ネット恋愛も悪くないよ。ヤりたいだけってパターンもあるっていうけど、そういうやつは初めましての時からそういうオーラガンガンだからすぐ分かるし」
 その点、剛史は明らかに心配がなかった。夢香が少しだけ誘うようなメッセージを送った時も、彼は思いっきり動揺していた。お互い好き同士だとずっと前から分かっているのに、『緊張するんだ』と言って呼び捨てするまで1年近くかかった。あれは間違いなく童貞である。女の勘というやつだ。
「初デートはいいけど、いきなり密室で2人きりっていうのはねぇ」と春香は最後まで心配していた。しかし夢香としてももう25歳になる。悠長に構えていたら恋愛なんてできなくなってしまう。それに、夢香は剛史と付き合いたいと考えていた。春香も最終的には認めてくれた。ただし、門限は19時に設定された。

2

 待ち合わせ場所のカラオケ店は、夢香が働いているのと同じチェーン店だった。といっても、夢香の勤務先とは別の店舗である。「社員割引がきくから」と夢香が提案したことだ。ちなみに、初デートはカラオケがいいと言ったのは剛史だった。
『お話するのにもいいし、緊張しすぎて話せなかったらとりあえず歌えばいいから』というのが理由だった。夢香も同意見だったので、従ったのだ。聴いてきた音楽でその人の性格は大体分かる、というのが彼女の持論だった。
 時計を見ると、9時半をすぎたところだった。まだカラオケ店はオープンしていない。少し早く着きすぎたな、と思いつつ、剛史に電話してみる。
「ごめん、私もう着いちゃった」
「俺ももう着いてるよ」剛史の口調は当然と言わんばかりだった。夢香は最初こそ驚いて言葉を失ったが、「相変わらず心配性なんだから」と笑った。
 いつもそうだった。夢香が数日メッセージを返さないとすぐに『体調大丈夫?』というメッセージが来た。
 そういえば、待ち合わせは緊張しすぎてかなり前から待っちゃうって言ってたっけ。デートが決まってからあまり連絡を取らなくなったのですっかり忘れていた。
「今、どこいるの?」
「俺はもう、中入っちゃった」
 普通は待ち合わせって、外でするもんじゃないの? それに、まだカラオケ開いてませんけど? たくさんの疑問が浮かんで、すぐには言葉が継げなかった。夢香の一瞬の沈黙をどう受け取ったのか、剛史は「入ってくれば分かるよ。サプライズがあるんだ」と言った。
「入るってどこに?」
「店の中だよ。開いてはないけど鍵はかかってなかったから、建物の中に入っちゃったんだよね」
 そう言われてドアを開けてみる。「準備中」の札はかかっていたが、確かに中はもう明るかった。もう客の来店を拒む時間ではないらしい。彼は、並べられた椅子に座っていた。オープン待ちの客が彼しかいないせいで、少し寂しげな雰囲気をまとっていた。
 剛史のファッションは至って普通だった。もちろん部屋着ではないが、かといって完全なよそ行きという感じでもない。リアクションに困る格好だった。
 しかしそれはファッションに関しての話だった。彼が座る椅子の傍らには、見たこともないような杖が置いてある。松葉杖と同じような構造だが、痛々しい印象はない。全体的に青く輝いていて、ファッションの一部かと思うほどかっこよかった。目を引くにはこれだけで十分だった。
「それ、何?」と尋ねようとしたが、彼の第一声は、「夢香、やっぱりすごく綺麗だね」だった。
「写真や映像だと人間の魅力は十分に伝わらないっていうけど、あれって本当だったんだね! 写真で見てた時の10倍は綺麗だよ! 綺麗すぎて、ものすごく緊張しちゃうかもしれない」ここまで一呼吸で言い終えると、途端に顔を真っ赤にして黙ってしまう。彼は夢香と同年代のはずだが、その様子はとても幼く見えた。
「やり取りしてた時の印象そのままだね! そんなに照れられるとこっちまで恥ずかしくなっちゃうなぁ」言いながら、恥ずかしさよりも微笑ましさの方が勝っていた。
「だって俺、彼女いたことないし。今日が人生初デートだし」
 この言葉は嘘ではないと彼女は直感した。女に慣れている男は、緊張しているふりをしていても饒舌なものだからだ。剛史はさっきからどぎまぎしっぱなしで、見ているこっちにまで緊張が感染るほどだった。
「そういえば、さっきのどういう意味? サプライズって、もしかして何か用意してくれたの?」
「あ、それなら」剛史はバッグの中を探り始めた。とてもカラオケしにきただけとは思えない大荷物だった。「これ、プレゼントしたくて持ってきたんだ」
 差し出してきたのはキーホルダーだった。夢香が好きだと言い続けていたアニメキャラクターのものだ。
「これ、高かったんじゃないの? 昔のアニメだし」
「いや、そうでもないよ。やっぱり通常モードだし。戦闘モードだったらとても俺じゃ買えないけど、これくらいなら」
 そうは言っていたが、これはこれでレアな代物だった。テレビでは放送していなかったシリーズのグッズだったから。
 彼は女心を理解してくれるかも。そう思えた。だから会話が途切れたところで、思い切って尋ねてみることにした。
「ねえ剛史、その杖、どうしたの? 怪我してるの?」
「ああ、これね。やっぱり気になるよね」剛史としてもこの質問は予期していたようだ。それでも少し考え込んでいた。
「言いたくないことなら、無理には聞かないけど」
「いや、そういうことじゃないんだ。どう説明すれば分かりやすいか考えてた。実は俺、足に少し麻痺があって」
 マヒ。ポケモンでしか聞いたことのない単語だ。夢香がそう伝えると、彼は初めて思いきり笑った。
「広い意味で言うとその認識で合ってるよ。つまり、俺はこの杖、クラッチっていうんだけど、これがないと歩けないんだ」
 逆に言えば、クラッチさえあれば日常生活を送る上で支障はない、とも彼は言った。
「それに、不自由なのは足だけなんだ。だから一般企業でお世話になっているし、健常者とあまり変わらない生活を送っているよ」
 そこまで話したところで、剛史は立ち上がった。オープンの時間が来たらしい。
「ここから先はルームで話そう。それとも、障がい者と遊ぶのは嫌?」
 夢香の気持ちに変化はなかった。拒否する理由はない。受付を済ませ、ルームに案内してもらう。その間、剛史は妙に人目を気にしているように見えた。オープン直後、しかも平日の午前中だというのに、明らかに学生と分かる集団が何組かいた。学校の創立記念日とかそういうことだろうと解釈した。
 しかし夢香には、彼がどうして人目を避けたがるのかさっぱり分からなかった。学生たちがやたらと剛史の方を気にしている理由もこの時は見当がつかなかった。

3

「夢香は賢い女性だ。俺のことを見た目で判断しなかった」部屋に入るなり、彼はこう言った。賢いなんて言われたのは初めてで、素直に照れてしまった。
「どうして見た目で判断しないことが賢いことになるの? 当たり前のことじゃん」
「そういうふうに考えてくれる人ばかりなら、差別も戦争もこの世界からなくなるのにね」彼は呟いたが、その言葉は何となく夢香に向けられたものではない気がした。それから少し語気を強めてこう続けた。
「俺が今まで出会ってきた大半の人間は、俺の杖を見るなり俺をいじめのターゲットにした。こいつならいじめても大丈夫、だって俺たちより下等な生き物だから。そんな空気をいっぱい感じた」
 胸が締め付けられた。夢香もかつていじめの被害者だったからだ。彼らがどんな理不尽な理由で弱者を食い物にしていくかは、夢香も嫌というほど知っている。
「でも、友だちくらいいたでしょ?」
 この質問にも剛史は力なく首を振った。
「俺の味方をしてくれるやつはいたんだよ。でも、今度はそいつがいじめられるんだ。しかも俺の目の前で。どうしたら俺が一番傷つくか、あいつらはよく知ってる。せっかく仲良くなったのに途端にいじめられるんじゃ、俺には離れるっていう選択肢しかなかった」言い終わる頃には、彼の表情は暗くなっていた。なんとかして話題を変えなければ。そう思って夢香は曲を入れた。年代は少し古めだが、アップテンポで盛り上がる曲。伝説といわれたバンドの、少しだけマイナーな曲だった。すると剛史の表情がパッと明るくなった。
「夢香もこのバンド好きなの!? ってか、女子がこの曲歌うと思わなかったよ! イメージアップだな」と、曲名に引っかけたジョークまで飛び出した。夢香としては剛史を試すつもりだったのだが、ここまで喜んでくれるとは思っていなかった。
 そこからは交互に曲を入れていった。アイドル、バンド、ボーカロイドとジャンルは多岐に渡ったが、剛史はすべての曲を知っていた。夢香の方も、剛史の入れた曲で分からないものはなかった。

4


 2人は狂ったように歌い続けた。剛史がカラオケ好きだというのは前から知っていたし、夢香もずっと一緒に歌える、音楽の趣味が合う相手を探していた。久しぶりに大きい声を出せたことで、アドレナリンがたくさん出たのだろう。2人は最低限のジュースだけを飲み、ポテトをつまむ程度の食事以外はずっと歌っていた。最初の重苦しい空気が嘘のように、あっという間に4時間が過ぎていた。小休憩を入れようという話になったのは、お互いの喉が潰れ始めたからだった。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
「じゃあ、その次俺行く」
「え? 待っててくれなくても大丈夫だよ?」
「いや、2人とも部屋空けるのは安全面的にどうかと思うし」
 剛史はタバコも吸わない。夢香としても、トイレにバッグを持って行くのはなんとなく嫌だった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。なるべく早く戻るね」
「焦らなくて大丈夫だから、ごゆっくり」彼は笑顔で見送ってくれた。その笑顔は、少しだけこれまでの笑顔とは違うような気がした。少しホッとしているように見えたのだ。
「気のせいだよね」心の奥で湧いた嫌な予感を拭うために、夢香は少し大きめの声を出した。カラオケの騒音の中で彼女の声はかき消されたが、嫌な予感は一向に消える気配がなかった。

 剛史は緊張していた。自分の計画は上手くいくだろうか? 上手くいったとして、彼女はどういうリアクションをするだろう?
 夢香が席を外したのは5分程度だったが、剛史にはその時間が永遠に感じられた。とても辛い永遠だった。やがて彼女の気配が近づくと、彼は急いで額の汗を拭った。

5

 それから1時間ほどして、2人の喉にもついに限界が来た。10時から歌っていたので、よい子ならもうおやつの時間である。しかしアドレナリンのおかげか、空腹はそれほど感じなかった。
 カラオケの料金は、剛史が全額支払ってくれた。夢香は最後まで「割り勘でいいって」と抵抗したが、彼は「社員割も使わせてもらったし」と譲らなかった。もともと夢香は、誰かに奢られるというのが好きではなかった。しかも彼からはプレゼントまで受け取っている。これ以上剛史にお金を出させたくなかった。しかし、
「誰かにプレゼントを渡すのも、デートでお会計全部出すのも、俺の夢だったんだよ。俺の夢、叶えさせてよ。今回だけ。ね? お願い」
 こんなふうに言われてまで割り勘にしようと粘ったら自分が悪者になる気がした。事実剛史はお金を払う時、とても嬉しそうだった。
「じゃあ、今日はこの辺で解散しようか。プレゼントありがとう! 大切にするね」
「ごめん、ちょっと待ってくれるかな?」口調は優しかったが、目はとても真剣だった。夢香も思わず姿勢を正す。
「俺は、あなたのことが好きです。ずっと一緒にいたい。だから、俺を夢香の彼氏にしてください!」
 驚きはさほどなかった。「初めて直接会えた時に付き合うかどうか決めよう」というのが、1年前からの約束だったからだ。それでも少し違和感があった。
「彼氏にしてくださいって、どういうこと? 普通はさ、俺の彼女になってって言うんじゃないの?」

 剛史はパニックになった。今の告白が彼の精いっぱいで、夢香のことを最大限に尊重できる言葉だと思っていたからだ。
 彼は自分の障がいにコンプレックスを感じていた。学生時代からずっといじめられてきたし、女の子からは避けられ続けた。面と向かって「あんたなんか男とも思ってねーんだよ」と口汚く罵られたことも何度もある。
 俺なんて、恋愛できる身分じゃないんだ。
 彼がそう結論を出すまでにさほど時間はかからなかった。
 そんな剛史の卑屈な考え方を変えてくれたのが夢香だった。彼女は差別という言葉とは無縁だった。健常者と同じように扱われたいと努力してきたことが、彼女に出会って報われた気がした。だからこそ、あんなことを思いついたのだ。夢香と絶対に恋人になるために……。

 だからこそ、夢香の反応は意外だった。剛史には自信があった。絶対に彼女を怒らせていないという自信だ。
「普通はさ、俺の彼女になってって言うんじゃないの?」
「……俺が、そんなこと言ってもいいの? 障がい者だよ?」
「だからさ、障がい者だとか関係ないじゃん。私は今日、剛史と一緒に歌えて、話せて楽しかったよ。あなたが私のことを好きでいてくれてるのも伝わった。でも、そんな告白じゃ私もOKできないよ」
 雷に打たれたようなショックだった。剛史は自分を恥じた。健常者と同じように扱われたいと望みながら、剛史のことを一番否定していたのは剛史自身だったのだ。
「夢香、ごめん。俺、今まで間違った生き方をしていたんだと思う。明日、もう一度会えないかな。そこで改めて正式な告白がしたいです」
 そっぽを向かれることを覚悟した。しかし夢香は微笑んでこう言った。
「剛史、今いい顔してるよ。明日仕事夜からだから、明るいうちなら時間作るよ。楽しみにしてるからね。近所の公園で会お!」
 剛史のテンションはマックスになった。そのせいで、夢香の財布に仕込んだサプライズのことはすっかり忘れてしまっていた。

6

 嫌な予感は的中した。
 自分の財布の中身を確認した時、夢香は複雑な気持ちになった。
 現金が増えているのだ。お札3枚、金額にして2万5千円である。
 今日の所持金は数千円だったはずだから、学問の神様が財布にいるわけはなかった。だから確実に増えている。しかし夢香は、どういう感情を抱けばいいのか分からなかった。
 一瞬、ラッキー! と素直に喜んだ。常に金欠な夢香にとって、2万5千円は無視できない臨時収入だった。
 しかし最終的にはやはり、気味が悪いなと思った。どこの誰かも知らない第三者が自分の財布を開けてお札を入れている姿。想像するだけで悪寒がする。
 これは母に相談するべきだろうか。けれど心配はかけたくなかった。じゃあ警察か? いや、お金を奪われたのならまだしも、入れられたのでは事件性は薄いだろう。真剣に取り合ってくれないかもしれない。
「もう、どうしたらいいか分かんないよ」つぶやきながら、無意識のうちにスマホを取り出していた。この状況下で助けを求められるのは、剛史しかいなかった。
 しかし画面を見た瞬間、夢香の不安はみるみる萎んでいった。
『よかれと思ってやったことです。ごめんなさい。明日すべて説明します』
 犯人は剛史だったのだ。不思議と怒りは湧いてこない。彼のことだから悪意でやったのではないだろうと思ったからだった。

7

 翌日、2人は喫茶店にいた。あいにくの天気だったからだ。今回も剛史が奢ってくれるというので、夢香は一番高いデミハンバーグオムライスを頼んだ。昨日のことがあるので、ためらいは一切なかった。剛史が頼んだのはフレンチトーストだ。
「さて、じゃあ説明してもらいましょうか?」注文を終えた瞬間に切り出した。できれば料理が来る前に核心を突きたかった。「財布にお札入れたの、剛史なんだよね?」
「そうだよ」彼はあっさりと認めた。「びっくりしたよね。ごめんなさい」
「びっくりというより、ちょっと気持ち悪かったよ。どうしてあんなことを?」
 予想できた質問のはずなのに、剛史は表情を歪めて考えている。「ここで話さないなら私、もう剛史とは絶交するけど?」
 絶交という言葉は、剛史に深く刺さったらしい。彼は深呼吸をして、語り始めた。
「夢香に振られるのが怖かったんだ。昨日が初めてのデートだったけど、メッセージのやり取りをしていた時からずっと俺の心は決まってた。だから今日、正式に告白しようと思っていたんだ」
 夢香は反応に困っていた。それが分かっていたから、夢香としても急きょスケジュールを空けたのだ。もちろん告白も受けるつもりだったのに、あの事件である。
「でも俺、昨日の時点では、絶対振られると思ってたんだ。障がい者だからって、勝手に負い目も感じてたし。だからせめて、俺のいい評判を流してもらえたらと思った」
「いい評判?」
「剛史とデートした後は、なぜかお金が増えてるぞって。人間誰しもお金はほしいでしょ? 俺とデートしてくれる女性が増えるかなって」
「バカじゃないの!?」思わずテーブルを叩いて叫んでいた。周りの客の視線が一気に夢香に集まる。店員までこちらに来てしまった。しかし夢香は、剛史が謝ろうとするのを遮って言った。
「すみません。彼氏に突然、借金があるって打ち明けられて。ちょっとだけ席外してもいいですか? すぐ戻るし、それでも心配なら代金は置いておきます」
 そこまで言われれば、店員としても引き下がる他なかった。「借金」という単語も効果があったらしい。「お戻りになったら、声をかけてください」とだけ言い残して、そそくさと去っていった。
 剛史は明らかにパニックになっていた。というよりも、状況が飲み込めていないという顔をしていた。
「とりあえず外で話そう。ついてきて」
 剛史は言われた通りにした。ふと外を見ると、雨は上がったばかりらしかった。綺麗な虹が出ていた。

8

「じゃあ改めて。剛史、あんたバカじゃないの?」
「ごめん。怖がらせてしまったことは謝るよ」
「そうじゃなくて!」夢香の感情はどんどんぐちゃぐちゃになっていく。しかしその感情の正体に彼女は気付きつつあった。怒りと悲しみだ。もうそれをぶつけるしかなかった。
「昨日も言ったけど、私は障がい者かどうかなんてどうでもいい! 剛史だから楽しかったし、告白されて嬉しかったのも剛史だったからだよ。それなのにあんたは自分を信じてないし、姑息な手段まで使った。そうまでして私の気持ちがほしいなら、素直にそう言ってよ! 好きになった人が自分を信じられてないって分かった時の私の気持ち、剛史に分かる?」
 もう止まらなかった。決定的な一言を浴びせる。
「少なくとも、私は剛史のことが好き! 剛史は違うの?」
 感情に任せて一気に話したせいで、息切れがした。呼吸を整えて顔を上げると、剛史は号泣していた。
「俺、情けないね。自分が好きになった人のこと、もっとちゃんと信じればよかった。本当にごめんなさい。夢香はずっと、俺と正面から向き合ってくれてたんだよね。俺もそれに報いたい。正直な俺の気持ち、聞いてくれるかな?」
 あそこまで言ったのに、まだ彼は少し不安げだ。「いい加減にして!」と言ってやるつもりで、剛史の顔をもう一度しっかり見る。
 夢香は言葉を飲み込んだ。剛史の目が、今までとはまるで違ったからだ。彼は覚悟を決めている。
「俺は、夢香のことを世界一好きな自信がある。これから先ずっと一緒にいたい。だから俺を信じて、俺と付き合ってください」
 もう剛史に、ネガティブ思考は必要なかった。どんな人間でも、理解してくれる人がいる。それが分かっているなら、怖いことは何もない。
 言いたいことは全部言った。剛史はそれだけで満足だった。夢香から返事をもらうことまでは想定していなかった。
「これからよろしくね、私の彼氏!」
 あまりにも想定外すぎて、剛史はクラッチから手を離してしまった。もちろんそのまま転倒した。
 夢香は呆れながらも、剛史を抱き起こしてくれる。彼は思いきって、夢香に寄りかかってみた。
「告白成功した途端にこれ? 剛史って意外と甘えん坊なんだね」
 ボディータッチを拒否されなかったのは初めてだった。剛史はこの瞬間、彼女を一生守ろうと決めた。

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