俺と女神と小悪魔と 第3話「告白」

 読者の皆さん、久しぶり。佐倉龍一だ。
 前回は引っ張るだけ引っ張って山場は次回! なんていうまどろっこしいことをして悪かった。今回はその謝罪の意味も込めて、俺の人生で一番楽しかった1カ月の話をしようと思う。
 俺としてはめちゃくちゃ恥ずかしい。だってそうだろ? 今から綴ることは全部俺たちの青春の記録で、人生の絶頂の記録なんだから。
 あれから10年が経って、俺はアラサーと呼ばれる年代になった。だけどデートなんてものは、美月と離れてから一回も経験がない。あれが本当に、人生唯一の恋愛ってことにになるんだろうな。
 ってことで今回は、俺のノロケ話に付き合ってもらうぜ。ただ、ひとつだけ心に留めておいてくれ。
 何度も言うがこれは、ハッピーエンドのラブストーリーじゃないってこと。

第3話

 5月2日の放課後、俺たちは明日からの5連休の予定を立てていた。
「最終日は空けとこうぜ。ほら、悪天候で予定が変更になった時、予備日があればそこに延期できるし。計画通りにいったとしても、1日くらいゆっくりする日があってもいいだろ?」
 計画と言っても、この日は何時に集合しようかとかその程度の話だった。もともと予約が必要なところには行く気じゃなかったし、いざとなったらリーダーや田口先生の力を借りればよかった。
 現に明日、憲法記念日は、カラオケを貸し切れることになっている。リーダーが「龍一くん、誰かとカラオケに行ったことは?」と聞くので正直に「ありません」と答えた。俺にとってカラオケは、1人でストイックに歌を練習する場所だった。だが傍で話を聞いていた田口先生が「そんなのもったいないよ。せっかく若いんだから、こういう時こそ青春しなくちゃ!」と1人で舞い上がりはじめた。そのテンションにリーダーも乗っかって、あれよあれよという間にこうなったわけだ。
 美月は「カラオケ貸し切りって夢だったんだよ! さすがリーダー! 私のツボ分かってるじゃん」と喜んでいた。俺としては「カラオケデートなんてしたことないだろ?」と言わんばかりの態度をしたリーダーに多少ムカついたものの(それが事実だったので余計に)、美月が喜んでいるのでその気持ちは抑えた。

 今回のゴールデンウィーク、俺には2つの目的があった。
 ひとつは純粋に、美月を楽しませること。彼女は最初からずっと俺のためのプログラムに付き合ってくれている。いくら彼女自身が望んだこととはいえ、申し訳ない気持ちがあった。
 もうひとつは、彼女の秘密を聞くこと。前にリーダーに言われた言葉がずっと頭に引っかかっていた。
「プログラムの詳細については時期がくれば彼女の方から話してくれるだろう」
 そのために、美月と仲良くなることが不可欠だというのは俺にも分かった。今回のデートで、何か新しい発見を。いわゆる裏テーマというやつだ。
 そのためには、2人きりで話す時間をたくさん取りたかった。

「なあ、こどもの日なんだけどさ、中学の頃通ってた喫茶店に付き合ってくんない?」
「喫茶店? 遊園地とかの方がよくない?」言葉とは裏腹に、美月はどう見てもワクワクしていた。
「俺が生まれ育った場所ってやつ? 美月にも見てほしくてさ。それに、いくらプログラムのためとはいえこどもの日に遊園地を貸し切るってのはちょっとな。倫理的にダメな気がする」
「カラオケの貸し切りはいいのに? 龍一の言う倫理って何よ」
「カラオケを一店舗貸し切っても、他の人が悲しむことはないだろう。カラオケなんてそこら中にあるし。でも遊園地は違う。夢の国に行きたくて生きてる人だっているし、遠くからも大勢人が来る。そういう人たちをガッカリさせたくない」
「そういうとこ、律儀だよねぇ。私は嫌いじゃないけど」
 小さい頃から、人混みが苦手だ。まあ、人混みが大好きなんていう人間は滅多にいないだろうけど。
「それに、美月とちゃんと話してみたいっていうか。じっくり話すだけの時間って、こういうタイミングがないと取れないし」
「あ、それはそうかも! でも、喫茶店ってお客さんいっぱいいるじゃん。大丈夫なの?」
「そこは心配しないで。マスターとは10年以上の付き合いだけど、俺がいるとき他の客がいるの見たことないし。ただ、マスターに茶化されるのは覚悟してな?」
「えー」と言いながらも、彼女はグーサインを出す。原風景を共有したいという思いが伝わったのかもしれない。こどもの日が俄然楽しみになった。

 それから30分くらい話しただろうか。あらかたの予定を決め終え、あとはその場で対応しようということでまとまった。ハプニングもデートの醍醐味だし、2人なら想定外も楽しめる気がした。
「じゃあ、また明日な。今日はYouTubeたくさん見て、新しい歌の予習しなくちゃ」
「ねえ龍一、ちょっと待って」
「うん?」
「明日から、楽しみだね」
「おう。絶対風邪ひくなよ?」
「当たり前じゃん」
「フリじゃないからな?」
「私、龍一の方が心配なんだけど」
「やっぱり? 実は俺も。昔から、楽しみな出来事が近づくと風邪ひくんだよね」
「そうなんだ」なんだかニヤついている。嫌な予感がした。
「じゃあ、風邪ひかなかったら私と会うのは楽しみじゃなかったってことかー。どんな気持ちで5日間過ごせばいいのかなー」
 ほらきた。
「あなたさ、俺のこといじめて楽しんでるだろ? 強気に出られないのをいいことに」
「あ、バレた? 大丈夫だよ。冗談だから」今度はニヤつくどころじゃない、満面の笑顔だった。いつも「今日こそはキレてやる!」と思うけど、この笑顔を見てしまうと怒りも萎んでいく。
 まったく、惚れた側はこれだから損だよな。それでも今回は「大丈夫の概念!」とツッコむことに成功した。
「何それ! 霜降り明星みたい!」そう言って美月はまた笑う。俺の真意は、いつ伝わることやら。

5月3日 初デート

 俺たちのデートは、始まるまでが面倒くさい。まず、学校に集合しなきゃならないからだ。
 これは俺の問題なんだが、美月と一緒にいるか校内に入るかしないと俺の時間は正常に動かない。そのため待ち合わせ場所が必然的に、美月の家か学校になってしまう。俺としてはまだ告白もしてないわけで、それなのに女子の家で待ち合わせというのはどうしても不純な気がした。美月は「家来ればいいじゃん!」とかなり前のめりだったのだが、「俺の気持ち的に、それはマズいんだ」と言って丁重にお断りした。説得するのが大変だった。
 こういう気持ちって、男子全員が持ってるものじゃないのか? それとも俺が消極的すぎる? もしかして美月に嫌われたかも? そんなことばかり考えていたせいで、道中の会話には全然集中できなかった。
「彼女の家から徒歩圏内の店でお願いします」と恥を忍んでリーダーに頭を下げたのに、無駄になってしまった。
「龍一、着いたよ。ここ、私の元バイト先!」
 彼女の声で意識を現実世界に戻すと、そこには見覚えのある風景が広がっていた。目の前には和菓子屋、隣にはコインランドリー、そしてここから2分ほど歩けば、俺の家がある。
「俺ん家、すぐそこ」驚きすぎて、アンドロイドのような喋り方になる。
「え? じゃあ龍一がよく行ってる本屋さんって、あの遊園地の近くの?」
「そう。ずっとあそこにしか行ってない」
 思わぬ共通点が発覚したことで、徐々に緊張感が薄れてきた。部屋に入ってもしばらく地元トークは止まらず、歌わないまま30分くらい経過していた。
「あのさ、そろそろ歌おうよ。ここ、カラオケだよ?」切り出したのは俺の方だ。このままずっと話していてもよかったけれど、それだとリーダーに申し訳ない気がして、リモコンを取る。
「美月から歌いなよ。俺オープニング飾るの苦手だからさ」
「え〜。人前で歌うの緊張するんだよなぁ」
「なんで俺なんかに緊張してんだよ。じゃあ俺からいこうか? 不本意だけど」
「……やっぱ私から!」
 自画自賛かもしれないが、こういうやり取りも板についてきた気がする。このまま順調にいけば、付き合うなんてことも夢じゃないかも……なんて甘いことを考えていた。だから、美月の選曲には凍りついた。
 イントロもなく始まったその曲は、男性の曲なのにめちゃくちゃキーが高かった。俺なんかは絶対に出せないキーだ。美月は女子なのでさすがに軽々と出してはいるが、最後の方になると少し苦しそうだった。
「これ、なんの曲?」
「結構有名なアニメのオープニングだよ。知らない?」
 そのアニメのタイトル、そしてアーティストの名前くらいまでは聞いたことがあった。
「龍一には、この曲歌えるようになってほしいんだよね」
「こんな讃美歌レベルで高い曲をか! 冗談キツイって」
 半笑いで返したが、彼女は本気の目を向けてきた。聞けば、曲のラストでシャウトする部分があって、そこがどうしても上手くできないのだという。
「だからさ、正解聴かせてよ」
 そういうわけで早くも、近々もう一度カラオケをすることが決まった。
 俺の方はというと、ひたすらに推しの曲を歌い続けた。普段はカッコいいと聴いている歌詞も、女子に向けて歌うんだと思うとかなり緊張した。決め台詞のある曲は、恥ずかしすぎて選べなかった。

「龍一さ、あの時無理してたでしょ?」休憩という名の腹ごしらえをしている時、美月が聞いてきた。その決めつけるような言い方に少しムッとして「あ?」とわざと機嫌の悪い返事をする。
「あの、前に部屋見せてくれた時だよ。本当はバンドなんて興味ないけど、気を遣って買い足したんでしょ?」
 どうやら俺がさっきからアイドルの曲しか歌わなかったのが悪かったようだ。それが分かると、少し笑えてきた。
「俺そんな金持ちじゃねーって。興味ないやつわざわざ買わないよ。まあ、後ろの方にあったやつ引っ張り出してきたことは認めるけど」
「じゃあ、あの辺の曲もいっぱい歌えるの?」
「ああ。歌なんて3、4回聴けばある程度は歌えるだろ。ちょっとふわふわしてるかしらんけど」
「じゃあさ」美月は身を乗り出す。「私がリクエストした曲、いっぱい歌ってくれる?」
 俺の顔の前に、彼女の胸があった。こういう時はえてして、女子側は気づいていないものである。仕方ないから俺も気づいていないフリをして「分かったから座れって」と言った。
「そのかわり、俺のリクエストも聞けよ? 勉強したんだろ俺の趣味」
 そこから4時間は、ずっとデュエットをした。美月も俺も、ラブソングばかりを選んだ。「愛してる」とか「ちゅ❤️」とか台詞のあるやつばっかり。
 ……この話は恥ずかしいからこのくらいで勘弁してくれ。
 それに、今回のメインはこどもの日の話だしな。

5月5日 告白

 この日もまずは校舎前からスタートした。目的地は通い慣れた喫茶店だとはいえ、高校から行ったことはなかった。なので何回か道を間違えそうになり、その度に美月は不安がっていた。最終的に辿り着けたからよかったが、場所選びを間違えたかと途中後悔しかけた。
「マジで申し訳ない。俺も2、3年ぶりなんだよこの店」見覚えありまくりのマスターを見つけられて、少し緊張が和らいだ。
「お、ドラちゃん! ずいぶんと久しぶりじゃねーの」
「ドラちゃん?」美月が今にも吹き出しそうな顔でこちらを見る。
「小さい頃からの俺のあだ名だよ。龍一だからドラゴンで、そこからいつの間にかドラちゃんになった。一時ドラえもんって呼ばれてた時期もあった」
「ドラちゃん、新しい友だちか? それとも……コレとか?」薄ら笑いで小指を立てて見せる。ザ・昭和のおじさんだ。マスターのことは家族以外で一番信頼しているが、こういうところだけは好きになれない。
「ま、当たらずも遠からずってところかな」わざと美月の方を向いて言ってみる。「大事な人なのは間違いない」
「おいおい、オッサンの前でのろけんなよ。うー、寒い寒い」マスターは大げさに震えてみせた。美月の表情を確認すると、顔が真っ赤だった。
「俺はあんたのこと、信頼してんだよ。だから美月をここに連れてきたんだ」
「ほう。美月ちゃんっていうのか。こんな可愛い子がお前の彼女だとはな」言葉は相変わらず軽かったが、彼はもう店を閉める準備をしている。やっぱりこの店を選んでよかったなと思った。その証拠に「お前らのために閉めるんだからな。コーヒー一杯で粘るなよ」と言ったきり奥に引っ込んだ。事前に「メシは食ってくから」と連絡しておいたので、この言葉は彼なりの気遣いだろう。
「いい人そうだね、マスター」
「じゃあそろそろ、今回の本題にいきますかね」彼女はいくらか緊張しているようだった。もちろん俺も緊張している。

「それで、このプログラムはどういう目的なんだ?」コーヒーが来るのを待ってから、俺が切り出した。
「うん。たぶんそういう話だろうなと思って、リーダーから許可はもらってきた。今日はお互い、全部話そう。秘密はなし」俺もそのつもりだった。頷いて、先を促す。
「このプログラムはね」深呼吸が挟まる。「学生の自殺を止めるためのものなんだ。で、私はそれをサポートするためのスタッフ。もちろん、綾ちゃんも」
 そうだろうなとは思っていた。だが、釈然としない部分も多い。なので、まずは彼女の話を全部聞くことにした。質問はそれからでも遅くない。
「最近、学生だったり新社会人の自殺者が増えてることは知ってるよね? この前なんか特集組まれてたでしょ」
 その特集なら俺も見覚えがあった。若者の自殺が増えている。だから一刻も早く原因を突き止めよう、とかそういった類の話だった気がする。
「それでね、原因と思われることをひとつずつ潰していこうって話になって。それで作られたのがSSチーム。私たちが所属しているチームなんだ」
 STOP SUICIDE(自殺を止めよう)でSSチームか。何とも中学生感漂うネーミングだ。
「で、何人か実験を繰り返していく中で、『他者とのコミュニケーション不足』を解消すれば自殺は止められるっていう仮説が立って。今はそれを実験している段階」
 私からは以上です。と彼女は言った。今度は俺のターンだ。ちょうどその時、オムライスが2人前運ばれてきた。
「話がひと段落したようだからさ。あ、俺は何も聞いてないから安心していいよ」マスターは俺たちの顔を交互に見ながら言った。俺が視線だけで感謝を示すと、彼は照れくさそうに笑ってこう続けた。
「美月ちゃん、こいつのことよろしくな。仲良くしろとは言わないから、裏切らないでやってくれ」
 他人を裏切るな、というのは彼の口癖だった。「仲良くしなくていいけど裏切るな」というのは結構難しい注文じゃ……と思ったが、美月は頷いた。「今までもこれからも、龍一くんは私の一番大事な人です」と宣言した。その姿を見たマスターは去り際に「ドラちゃんにはもったいないくらいいい娘だな」と耳元で囁いた。
 いろんな感情が入り混じった結果、少しだけ鳥肌が立った。

 こちらとしてはもう少し真剣な空気を維持したかったのだが、さっきの「一番大事な人です」発言によって、追及する気は失せていた。「どうでもいい」という感情を、前向きに抱くことができるというのはこの時発見したことだ。
 それでも一応、分からなかったことはすべて尋ねた。オムライスを食べながら、雑談程度に。
「俺が被験者に選ばれたってのは、俺が自殺しそうだって周りに思われてたってこと?」
「うん。だって龍一、友だちいないじゃん。それに昔、いじめられてたでしょ?」
「母から全部調査済みってわけだ」

 確かに俺は小学生の頃、いじめられていた。しかも結構陰湿なやつで、靴を隠されたり因縁つけられてボコボコにされたりなんてのは日常茶飯事。
 しかも俺の始末が悪いのは、誰にも相談しなかったこと。
 親にはもちろん、先生やマスターにも言えなかった。
 当時の俺は、いじめられていることを恥ずかしいと考えていた。いじめられるのは自分が弱いからで、それを誰かに訴えるのは自分の恥を晒すのと同じだと。文字通り、孤独だった。
 それでも俺を生きさせていたのは、親やマスターの存在だった。俺が死ねば、悲しむ人がいるし、迷惑もかける。さらに、俺がいじめられているという事実が母を苦しめるんじゃないかとも考えた。生きているだけでも、死ぬよりは他人に迷惑をかけずに済む。だから俺は何も声を上げず、ただ死んだように生きることを選んだ。
 そういうネガティブ思考で、俺は何とか生き続けていた。
 そうやって耐えていたら、高校でいじめはなくなった。代わりに、同級生もいなくなった。

「だから美月が来るまでは、卒業したら自殺しようとマジで考えてた。一人暮らしを始めた後で、誰にも知られず死のうって決めてた。それなのにまさか、母にバレてたとはな。俺も詰めが甘いってことか」
 今までこの話は、誰にもしたことがなかった。美月になら話してもいいと思えたのは何故だろう。それは今でも分からない。ただあの時、胸の支えがとれたような気がした。
 すると彼女は、神妙な面持ちでハンカチを差し出した。夢の国のプリンセスの絵がたくさん書いてあるやつ。俺は一瞬、何が起こっているか理解できなかった。数秒の間があってやっと、自分が泣いているんだと自覚できた。
「そんな可愛いハンカチ、使えるかよ。汚れるだろ」手のひらで涙を拭おうとしたが、美月にその腕を掴まれた。
「私、そんなの気にしないから。龍一が相手なら、なおさらだよ? だって私たち、親友だもん」
 さらっと「親友」という言葉が出たことに俺は驚いた。美月は俺が恥ずかしくてずっと言えなかったことを、躊躇いなく言った。それで俺も、覚悟を決めることができた。
「なあ。俺たち、親友なんだよな?」
「だからそう言ってんじゃん。それとも、この想いは私の一方通行?」
「いや、そうじゃなくて」顔が赤くなり出したのが自分でも分かる。いつもの俺ならここで逃げ出すところだが、今日は絶対に引かない。「もう、親友じゃ満足できないよ」
「え? ちょっとよく分からないんだけど」目の前にいる彼女が、こういう時に俺をからかうような女じゃないことは十分すぎるほど知っている。だからこそもどかしかった。
「美月には、ストレートに伝えなきゃな」素っ頓狂な反応が返ってきたおかげで、幾分冷静になることができていた。「俺は、美月のことが、好きだ。クラスメイトとしてじゃなく、1人の女性として。だから、付き合ってほしい」
 最後に、「返事は今じゃなくていいから」と付け足すのも忘れなかった。我ながら、完璧な告白だったと思う。美月は一瞬、露骨に戸惑っていたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。そして、こう訊いた。
「それは、龍一の本当の気持ち?」
 心外だった。人生で一番緊張しながら、それでも結構した本気の告白を疑われた。
「だってさ」彼女は俯いた。「タイミングが悪すぎるもん。龍一は優しいから、プログラムの成功だけを願って、わざとそういうこと言いかねないもん」よく見ると、目には涙がたまっていた。声も震えている。
「違う!」思わずテーブルを叩いていた。彼女の視線がこちらに向く。
「確かに、タイミングは最悪だったな。それは謝る。あなたの言うことももっともだと思う。だけどさ」息が続かなくなって、水を一口飲んだ。「美月に対する想いは、ずっと前からあったんだ。けど、俺は彼女なんていたこともないし、告白したこともない。だから自信がなかったんだよ。下手に告白して、今の最高の関係が壊れたらどうしようって。それでももう、限界だったんだ。この気持ちを押さえつけるのは。だからさ」もう一度呼吸を整えて、ゆっくりと言葉を出した。
「振ってもいいから、疑うのだけはやめてくれよ」
 自分の言葉に精一杯で、美月の顔は視界に入っていなかった。彼女は泣き笑いで「龍一も涙拭けば?」と呟いた。目線は合わなかったが、向こうもまた泣いていた。
「さっきのお返し」今度は俺が、自分のハンカチを美月に渡す。「これ、返さなくていいから」
 結局その後はろくな会話もできず、2人は喫茶店を出た。そしてそのまま別れた。明日の予定は立てずに、別れた。

5月5日 自宅

 奇妙な現象が起こったのは、この後だった。
 美月の存在を認識できなくなると、いつものように俺の意識は途切れた。しかし次に目覚めた時、俺は学校ではなく自分の部屋にいた。自分の部屋で、スマホを眺めていた。
 どうやら俺はLINEをしていたらしい。そしてその相手は、美月だった。
『今日はありがとうね。楽しかったよ!』というメッセージが来ている。
『楽しかったは嘘だろ。ってかその前に、今俺家にいんだけど』
『だろうね。2人でご飯食べたら解散って話だったじゃん』
『そうだけど、そうじゃなくて! 何で俺、家で普通に美月とLINEできてんの?』
『あ、そういうことかww 私と話してる時だけ、龍一の意識戻してあげて下さいってリーダーに頼んだの。私とのことは、なるべく実感を伴って覚えててほしいからさ?』
 疑問を持たざるを得なかった。そもそも、告白はどうなったんだ? と思い至り、これ以前のやり取りを確認してみる。すると今のやり取りの直前は今朝、美月からの『今、家出たよ!』だった。
 そうしてしばらく考えていると、次のメッセージが来た。
『明日か明後日、もう一回会おうよ。こういう時はちゃんと、お互い顔を見て話そうよ』
『分かった。明日会おう。場所は?』
『私の家でどう? 今日は龍一に案内してもらったから、今度は私が迎えに行くよ!』
『ちょっと待て! 俺、あなたの家族に会うのか? こっちにも心の準備ってもんが』
『SSチームに許可もらってるから大丈夫! 明日は家に誰もいないし。じゃあ、そういうことで。また明日ね!』
「いや、大丈夫の定義!」とツッコミを入れたところで、俺の意識は再び途切れた。

5月6日

 再び意識を取り戻すと、ノックの音が聞こえた。玄関にはもう、美月が待ち構えている。
「ノックされるまで意識なかったでしょ? 今日はとことん付き合ってもらうからね。じゃあ、行こっか!」
 ずっと前から感じていたが、美月は俺に起こる不可解な現象を楽しんでいる気がする。まあ俺の方も「俺をおもちゃにするな!」と怒れないくらいには彼女に惚れているからおあいこというやつか。

 久しぶりに「家から出る」という感覚を思い出した。ここ数日外出は頻繁だったけれど、家を出る時にはまだ意識がない状態だったからだ。
 道中、美月は全く口を利かなかった。それでも不機嫌なわけではなさそうだと想像できたのは、彼女の足取りが軽かったからだ。人はテンションが上がると、本当にスキップをするものらしい。
 そんなことをぼんやり考えているうちに、俺は美月の部屋にいた。意識が飛んでいたわけではないのに、道中の記憶はほぼない。
 あれよあれよという間に、自室へと通される。家族が外出中というのは本当らしい。とはいえ、俺は一刻も早く帰りたかった。
 いかにも女子らしい、少女漫画やそれ系のアニメグッズが大量に並んでいた。俺もアイドルファンを自称する人間なので、気持ちは理解できる。しかし理解できることと、この空間に長居したいかというのは別問題だった。さすがに居心地がよくない。
「ねえ、麦茶しかないけど、いいよね?」お構いなく、と俺は応えた。ここでジュースでも出されようものなら、いくらか緊張も和らいだろうけど、という言葉は飲み込んだ。

「美月、そろそろ本題に入ろうぜ」談笑するような空気でもなかったので、俺から切り出す。少し動揺していた。なにしろ、初めて女性の家にお邪魔しているのだから。
 美月は俺のそういった様子が面白いらしく、「龍一、早く帰りたいって顔に書いてあるよ?」とあの悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「冗談じゃなくてさ」身を乗り出してみる。「俺の告白はどうなったんだよ」
「気になるんだ?」まだ笑みが消えない。ますます緊張してきた。「当たり前だろ。告白だぞ?」
「条件がひとつ」美月は人差し指を立てた。「金輪際、私以外の女の子と口を利かないこと。例外は龍一のお母さんと、綾ちゃんだけ。それを守ってくれるなら、龍一と付き合ってもいいよ?」
 俗に言う束縛のような、携帯を常に監視させてとかいうレベルのやつを覚悟していたので、素直に驚いてしまった。「そんなことでいいのか? 条件として成立してない気がするんだけど」
「いや、そこは普通、『キモい』とか言うところじゃないの? 私以外の女と口利くなって言ってるんだよ?」
「なんでキモいんだよ? 母と田口先生とだけ話せれば、俺の生活に不便はないじゃんか。それに、美月がいるのにわざわざ他の女と話す意味が分からないんだが」
 これは大人になってから理解したことだが、親と彼女以外女性と話せないというルールはかなりキツい。もちろん今だって美月一筋ではあるけれど、女性と話すことを禁じられると仕事すらままならないからだ。彼女の方も、俺が慌てふためくのを期待して冗談のつもりで言ったのだろう。
 それを100%本気で受け入れてしまった当時の俺は、紛れもなくバカだった。でもあの頃は本当に美月が俺のすべてだったから、特に違和感を感じてはいなかった。恋は盲目というが、それを実際に経験したのは初めてだった。
「あなたみたいに優しくて、可愛くて、その上俺のことを大好きでいてくれる女子なんか他にいねーよ。第一、お互いに異性と出会う機会なくね?」
「龍一はそうかもしれないけど、私は分かんないよ?」下を向いて、ボソボソと喋っている。聞き取るのもやっとだった。それでもまだ俺は、ラブアタックを止めなかった。
「その時はその時だよ。もし美月に別に好きな人ができても、俺は止めも怒りもしない。だって、それって俺の責任じゃん? 美月のことを満足させられなかったってことだし。俺はさ、美月のこと好きでいられるだけで、すっげー幸せなんだよ」
「もう分かったから!」彼女はやっと顔を上げた。耳まで真っ赤になっていた。
「龍一が本気だって、ちゃんと分かったから! その代わり、ちゃんと守ってよね。私のこと」
「当たり前だろ。美月は俺の姫なんだから」美月の腕を、少し強く引っ張ってみる。彼女は抵抗しなかった。
 初めてできた彼女を、初めて抱きしめた。美月の身体は温かく、抱きしめているこっちが守られているような気がした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?