【連載小説】スポットライト 第1回


1

 覚悟を決めて、テレビをつける。時間が来るまで見るか悩んでいたが、今夜くらいは泣いても構わないだろう。彼女も怒るまい。
 タイトルは「吉川香凜追悼特番」。この種の番組は結構やっているが、年末のこの時期に特番を放送してもらえるというのは、やっぱり国民的人気の裏付けなのだろう。
 本音を言えば僕はこの番組を見たかったわけじゃない。ただ、今見ておかないともう一生香凜の姿を見られない気がした。それはなんとなく嫌だった。
 思い返せば今年もたくさんの著名人がこの世を去った。最近テレビで見ることは減ったけれど、それぞれの分野ではレジェンドと呼ばれるような人たちの写真が次々に映し出される。
 そのたくさんの写真の中央に、吉川香凜の顔があった。やっぱり一番ショッキングって言ったら香凜だよな、と妙に納得してしまう。22歳で、恋人の前で服毒自殺。ワイドショーにしてみればかなり美味しいネタだ。
 あいつらはあることないこと理不尽に騒ぎ立てる。不謹慎かつ失礼だと怒りたいが、彼らとて仕事の一環で報道しているだけだ。中には原稿を読みながら号泣しているアナウンサーもいて、そういうのを見てしまうと責め立てる気にはなれなかった。それに、自分がこうして当事者になるまでは僕だってこの種のワイドショーの報道を鵜呑みにしていた。
 それに今こうやって、僕も彼らと同じことをしている。
 香凜を死に追いやったのは、おそらく僕だ。一体どこで間違えたんだろう。彼女の死は結局、誰のせいなのだろう。
「あの頃は楽しかったよね」
 無意識に声が出ていた。香凜と綾女と僕。いつも3人一緒だった。そういえばあの一件以来綾女とも連絡をとっていなかった。
 友人を2人同時に失ったという事実が、テレビを通して客観的に突きつけられる。このままだと涙も溢れそうだ。僕は冷蔵庫からビールを出して一気飲みした。そしてテレビの電源を抜いた。

2

 中学の入学祝いだといって、母が買ってくれたのはシャーロックホームズの全巻セットだった。
「浩一はテレビの見過ぎよ。たまには読書でもして、もう少し国語の成績を上げてちょうだい」というのが母の言い分だった。僕としても反論の余地がなかったので、春休みを利用して一気に読んだ。不思議と全く苦にはならなかった。そこで気づいた。「僕は本が好きなのかもしれないぞ」と。それが僕の読書家人生の始まりだった。

 彼女と出会ったのはそれから数年後だった。
 僕の田舎は茨城で、小学校の同級生は3人しかいなかった。同級生どころか、全校生徒ですら普通の学校の1クラス分すらいなかった。
 だからある時、母にわがままを言った。
「東京とまでは言わないから、高校からはもう少しだけ同級生の多いところに行きたい」
 本音は東京がよかった。それを口にしなかったのは、家がそんなに裕福ではないことをなんとなく分かっていたからだ。衣食住、そして本に不自由したことはなかったが、引っ越しというのが莫大なお金がかかる行事だというのを自覚していたというのもある。
 しかし、母がそんな僕の気遣いを見抜けないわけはなかった。「遠慮してんじゃないよ!」と本気で叱られた。
「子どもが親に遠慮するなんて、あってはならないことよ。できることとできないことがあるけど、とりあえず言ってみなさい。そして、東京への引っ越しはできることだから。ただし、大学はいいところに行くこと」
 こうして僕の東京生活が始まったわけだ。

 彼女と出会ったのは入学式の日だった。「桜が咲き誇り云々」という挨拶が通常のはずなのに、僕たちの年だけなぜか雨だった。しかも土砂降り。僕は雨男なのかもしれない。
 最初は、たまたま彼女と隣同士になったんだと思っていた。僕は死ぬほど緊張していた。茨城にいる小学校の同級生というのが、全員男子だったからだ。女子とまともに接するのは、この時が初めてだった。
 彼女は僕を見て、大げさに驚いてみせた。何かやらかしてしまったと思ったが、彼女の第一声は「お! イケメン発見」だった。
「イケメン? どこに?」
「ウケる。君のことなのに」
「は? 僕がイケメン? まさか」
 それが、吉川香凜との初めての会話だった。
「僕なんか、ブサイクの代表でしょ? あなたの方が可愛いよ。めちゃくちゃモテそうだし」
 僕は思っていたことをそのまま言っただけなのに、彼女は少し怒ったようだった。
「そうやって卑屈になるのはよくないよ。自分の魅力には自分で気づいてあげなくちゃ」
「いや、でもやっぱりあなたの方が可愛いよ。僕今まであなたみたいに可愛い女の子見たことない」
「それ、本気で言ってるならめっちゃイタいやつじゃん」体育館中に響くような声で彼女は笑った。おかげで僕たちは全校生徒の注目の的になった。
「なるべく目立ちたくなかったのに、僕の計画が台無しだ」
「それはごめん。私、吉川香凜。君はなんていうの?」
「僕は、吉沢浩一」怒りがあったせいで、自分でも驚くくらい冷たい返事になってしまった。しかし彼女は全く気にならないと言った様子で「あ、だから隣同士なんだね」と僕の方を叩いてきた。そこで初めて、自分たちが出席番号順に並ばされているということに気づく。
 それを彼女に伝えると、「最初に説明受けたじゃん。吉沢くんって話聞くの苦手な人?」と笑われた。確かに緊張しすぎて先生の言葉はほぼ耳に入っていなかったから、僕は素直に謝った。
「吉沢くん初日から謝りすぎだよ」また笑われた。
 それが、僕が人生をかけて愛する女性、吉川香凜との出会いだった。

 僕としては初対面の時に悪い印象になってしまったと思っていたから、彼女のことを避けるつもりだった。それなのに、僕たちはそれから毎日のように一緒にいた。
「吉沢くんおはよう! 昨日の歌番組見た?」
「あっちは録画した。推しが出てたから」
「そうなんだ! ちなみに、吉沢くんの推しって誰?」
「なんでそんなことあなたに教えなくちゃいけないの?」
 こんなふうに冷たくあしらっても、彼女はめげなかった。そこで今度は彼女の言葉を一切無視してみた。
 しかし、この作戦はすぐに断念せざるを得なかった。教室中に香凜の泣き声が響き渡るからだ。
「吉沢くんがいじめる! 無視されちゃうの。私、吉沢くんに何か悪いことしたのかな?」と友人である加藤さんという女子に訴えるのである。
 この加藤さんというのが、まさに僕の苦手なタイプだった。
「吉沢浩一って、お前? ちょっと付き合ってもらうよ」
 初めて会った加藤綾女は眉毛を全部剃っていて、言葉遣いもあって暴走族の恋人なのだろうと思った。
 てっきり体育館の裏にでも呼び出されたのかと思ったけど、連れて行かれたのは屋上だった。緊張しっぱなしの僕に綾女は「とりあえず弁当食えよ。腹が減っては戦はできぬっていうし」と何気ない調子で言った。
 そういえばさっき「付き合ってもらうよ」って言ってたぞ。まさか告白される?
 そんな気持ちだから当然、弁当の味なんか全く分からない。これから戦が待っているのかと思うとそれどころではなかった。
「あんたさ、香凜のことどう思ってるわけ?」綾女は食事が終わるまで待ってはくれなかった。一気に距離を詰められ、堪らず下を向いてしまった。そしてそこには、高校まで女子と接したことがなかった僕には刺激の強すぎるものがあった。
「どう思ってるって、どういうこと?」顔を赤くしながら平静を装うという、なんとも間抜けな状態になってしまう。かなり予想外の展開だ。
「だから、恋愛対象なのかって聞いてんの! 鈍すぎでしょ、あんた」幸い、彼女は気づかなかったようだ。それで僕も落ち着いた。
 失礼な話だけど、僕はこの時笑いを堪えるのに必死だった。綾女は見た目はめちゃくちゃ不良少女なのに、友だちの恋愛について心配している。僕と同じ感性を持った人間だということが分かったからだ。安心と驚きで、笑いが込み上げてきた。
「僕が吉川さんのこと好きだったらダメかな?」
「別にダメとは言ってねーだろ。ただ単純に顔が可愛いからとか、胸が大きいからとかそういう理由で香凜を自分のものにしようとしてるんなら、私はあんたを許さないからね」
 正直に言うと、ものすごく戸惑った。綾女が怖かったというのもあるけれど、僕自身この当時はまだ彼女のことを意識していなかったからだ。加藤さんの言うように、「あの子可愛いな」くらいの認識しかしていなかったのだ。
「それならそうと早く言えよ」必死で弁解する僕を綾女は笑った。
「でも、吉川さんの方から積極的に話しかけてくれるから嬉しいんだよね。だから、友だちになりたい人ではあるかな」
「あれ? 綾女じゃん! 吉沢くんと何話してるの?」
 こういうタイミングでひょっこり現れるのが吉川香凜という女性である。フットワークが軽いというのか、気配を消すのが上手いというのか。綾女も驚いていたから、相当な前科があるのだろう。ちなみに、僕が「綾女」という名前を認識したのはこの時だった。それまでは、女性を名前で呼ぶ必要なんてないと思っていたから苗字しか覚えないようにしていた。
「香凜、私たちの話、いつから聞いてたの?」
「えーっとね、私の名前が出てきたから隠れてずっと聞いてたよ」
 その言葉を聞いた瞬間、僕の顔はどんなに赤くなっただろう。思わず女子2人から顔を背けていた。
「ってか、吉沢くん私と友だちになりたいって、あれどういう意味?」
「……どういう意味も何も、僕なんか話しかけられてもろくに返事できないし、緊張して冷たい態度取っちゃうから嫌われたかなと思ってたんだ。でも吉川さんが優しい人なのはめっちゃよく分かるから、ぜひお友だちになりたいなぁと……」
 僕が最後まで言い終わる前に、綾女が大きな声で笑い始めた。訳が分からず香凜の方を見ると、彼女も訳が分からないという表情をしていた。
「吉沢くんって、私のお友だちじゃなかったの? 初めて喋った日から、もう仲良くなったと思ってたのに」
 すぐには言葉の意味を理解できなかった。耳でははっきり聞き取れているのに、日本語として頭に入ってこなかった。
「吉沢、今、パニクってんだろ? 香凜はこういうやつなんだよ。お前が無駄に構えすぎなの。香凜のお友だちのハードルは、私たちが思ってる以上に低いから」
「じゃあ、僕と吉川さんはもう友だちってこと?」
「当たり前じゃん!」綾女に質問したつもりだったけれど、吉川さんの方が大きく頷いた。「私と綾女と、浩一くん。これからは3人で仲良くしよ?」
 勝手にお友だち認定されていること以上に、いきなり名前呼びになったことに驚いた。香凜はそのままの流れで「LINE交換しよ!」と言った。ほぼ勢いに流されるような感じで、僕は2人とLINEを交換した。
 吉川香凜と、加藤綾女。この2人が、僕の初めての女友だちになった。

3

 そうやってグループLINEに招待された日から、香凜の猛烈アプローチが始まった。
 まずは、全員が名前で呼び合おうという話をされた。確かに、香凜と綾女は出会った当初から名前で呼び合っていた。そこに僕が急に苗字にさん付けで呼んだのでは僕だけ浮いてしまう。仕方がないので、僕も頑張って名前呼びを心がけるようにした。当たり前だけど、女の子を名前で呼ぶのは人生初の経験だった。
 それと同時に、2人との個人LINEも始まった。僕にはいきなり香凜と話すのは刺激が強すぎたから、まずは綾女から攻略することにした。
『お前さ、女子に免疫なさすぎんだろ』
『しょうがないじゃん。僕、今まで女子と話したことなんかないんだよ?』
『じゃあ、なんで私とは普通に会話できるんだよ?』
『うーん……。顔を合わせての会話じゃないからかな?』
 正直、しまったと思った。送信を取り消そうとしたけれど、一瞬で既読がついた。そして僕の想像通り、電話がかかってきた。しかもテレビ電話のお誘いだ。
 自分が招いた事態ではあるけれど、僕にはいざという時の度胸がなかった。あまりにも焦って「どうしよう。マジでどうしよう」と呟いている間に電話が切れた。そしてすぐに怒りのメッセージだ。
『お前、なんで電話出ねーんだよ。そんなんじゃいつまで経っても女子と普通に話せるようにならないぞ? まずは私で練習してみなって。そうすればそのうち、香凜とも普通に話せる日が来るかも』
 ここまで言われて、やっと僕のプライドは目を覚ました。綾女から折り返しが来ないうちに、こっちからかけ直してやったのだ。
「なんだよ浩一。やっぱすげー緊張してんじゃん」彼女はすぐに出た。そして手を叩いて笑っていた。
「綾女さ、僕のことバカにしすぎだよ? 僕がいくら女子に免疫がないって言っても、怒りの感情くらいは普通に持ってるからな!」少し大きな声が出た。すると綾女は笑うのをやめて、真面目な表情になった。「普通に話せるじゃん」
「え?」
「ごめん。今のは私が悪いわ。浩一さ、女子相手でも普通に喋れるんだよ。あんたは『女子相手だ!』っていう意識が強すぎんの。だからわざと怒らせるような態度をとった」
 あまりにも想定外のことを言われ、理解が追いつかなかった。けれどそのおかげで、冷静になって彼女の言葉を噛み砕くことができた。
「つまり、僕は女の子のことを得体の知れない怪獣かなんかだと思ってるからダメだっていうことだよね?」
「まあ、表現の極端さは置いといて、大体の認識は合ってるよ。要するに、香凜とも男友だちと喋るみたいに接すればいいってことだよ」
 僕は思わず唸ってしまった。綾女の言うことはとてもよく分かるし、自分でもそう思う。ただ、僕はそれができないからずっと悩んでいるのだ。
「話題がないってことね。じゃあ、無難な話からいこうよ。例えば、浩一の将来の夢は?」
 ここでも僕は少し言い淀んでしまった。当時の僕にも夢くらいあったが、恥ずかしくて誰にも話したことがなかった。
「言っても笑ったり、バカにしたりしないって約束してくれる?」
「あんたさ、私と香凜のことそんなふうに思ってるわけ? 人の夢を笑うなんて、そんな恥ずかしいことするわけないじゃん」
「じゃあ言うけどさ……」こうして僕はまんまと自分の夢を語る羽目になった。宣言通り綾女は笑わなかった。それどころかその夢を、香凜にも話すべきだとアドバイスをくれるのだった。

4

「綾女から、浩一が話したいことあるから聞いてあげてって言われたんだけど」
 善は急げということで、あれよあれよという間に僕の夢を打ち明ける場が設定された。正直僕としては気乗りしなかったけれど、最終的には承諾した。綾女は行動こそ早かったが面白がっている素振りはなかったし、何よりも綾女が夢を認めてくれて自信がついたのだった。そして、香凜も応援してくれるはずだという気持ちもあった。
「実は、香凜に知っておいてほしいことがあるんだ」
「どうしたの改まって。まさか告白でもする気?」この台詞を無視したからだろう。彼女はふざけるのをやめ、真っ直ぐに俺と目を合わせてきた。
「僕には、夢があるんだ。小さい頃からずっと決めてた夢。香凜と綾女には伝えておきたくて、綾女には先に話してあるんだ」
「その夢ってもしかして」彼女の表情に少しだけ期待が宿った気がした。「人に言ったら笑われそうだから今まで秘密にしてたの?」
「何でそれを」知ってるのと言いかけて、ある可能性が浮かんだ。「もしかして香凜もそうなの? 綾女にだけ自分の夢を打ち明けた」
 香凜はこくりと頷いた。「綾女、笑わなかったでしょ。私の時もそうだったもん」
 そしてこう続けた。「私も絶対笑わないよ」
 正直、僕はまだ不安だった。打ち明けると決めたはずなのに、いざとなったら怖くなっていた。でも今の香凜を見ていたら、そんな迷いは吹っ飛んでいった。
「僕は、将来小説家になりたいんだ。僕の文章で誰かが興奮したり、泣いたり、感情を動かしてもらえるような小説家になりたい」
 小説家志望とは思えないような、ひどく安っぽい言葉だった。それでも香凜は宣言通り、一切笑わなかった。
「いい夢だと思うよ。浩一ならきっと大丈夫。2人で夢が実現できたら、共同作業しようよ」
「共同作業? 香凜の夢って何なの?」
 香凜の返事は、予想の斜め上どころではなかった。
「私はいつか絶対、女優になるの。だからいつか浩一の小説を、私を主演にして映像化してもらう。それが2人の共同作業だよ」
 確かに現実味はない。でも2人なら、僕と香凜なら実現できると思った。ここから、僕たちの長い青春が始まる。

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