【ドラゴンのエッセイ】自分の性格の変遷

 今回からスタートした企画「ドラゴンのエッセイ」。今までやってきたエッセイ企画をアップデートし、より出版物に近い形で文章を書きたいという思いからリニューアルした企画だ。なので今まで意識していた読者の皆さまに語りかける文体も改めた。けれどももちろん、読者の皆さまへの敬意と感謝は常に念頭に置いています。なのでこれまで通り、読んだり感想を下さったりすると嬉しいです。

生い立ちと性格形成

 さて、前置きが長くなったが、本題に入る。
 今回は自己紹介も兼ねて、自分の性格というものに本気で向き合ってみる。
 まず大前提として、私は「脳性まひ」という疾患を抱える身体障がい者である。詳しくは以前の自己紹介記事をご覧いただきたい。まあざっくり言うと、「手足の動きが普通の人に比べて極端に悪い」ということ。だから私は自力では立てないし、歩けない。
 普段は車いすを使って移動しているので、他人からネガティブな視線や言葉を浴びせられることもたくさんある。まるで宇宙人でも見るように、上から下まで全身舐め回すような視線を感じるのは日常茶飯事すぎてもう慣れてしまった。
 学校の先生からも「君たちは一般社会から見たら落ちこぼれだよ」と言われ続けて育った。暴言だとか言って問題にしてもよかったのかもしれない。しかし、私にはその言葉が100%事実だと理解できてしまった。「健常者から見たら確かに邪魔かも?」と。子どもの頃からそうやって教えなければ社会の厳しさを知った時辛い思いをすることも、24歳になった今なら分かる。
 だから私は、ネガティブな言葉を浴びせ続けた大人たちを恨んではいない。

 だが、そうやって他人のネガティブばかり感じとっていたせいか、私の性格は若干歪んでしまったと思う。
 自分自身がネガティブモンスターになってしまったのだ。
 思い返せば2、3歳の頃、「君は一生歩けない。訓練をしてもそれは変わらない」と主治医の先生が教えてくれた。その時から私の人生の目標は「向上」ではなく「現状維持」になった。ここから私のネガティブ思考は始まったのかもしれない。
 学校に通い出してからも、私のネガティブ思考は加速した。私は同級生の中で、一番身体の動きが悪かったのだ。他の同級生が全員出来ることを私だけできないということも、当時はたくさんあった。
 そしてそういう時、私は決まって説教を食らった。「何で出来ないの?」と。
 私の同級生は当時十数人いたが、その中で知的障がいが一切ないのは私だけだった。つまり(失礼な言い方であることは承知しているが)、他の同級生は健常者よりも理解力の成長が遅い。なので私は「みんなと違って年齢相応の理解力があるのに、何で出来ないの?」と叱られるわけだ。
 じゃあ、なぜ出来ないのか? 答えは簡単。「身体が、自分の思った通りに動かないから」だ。
 この感覚を世の中の全員に理解してもらおうとは思っていない。土台不可能な話だし。だが、障がい者を専門に教える特別支援学校の教員でさえ、その程度の認識である、ということに絶望した。そしてこの時私は悟ったのだ。
 この先も、実力以上の仕事を求められては失望される。その繰り返しなのだと。そして実際そうだった。
 どう頑張っても自由に動かないものは動かない。「壊れている懐中電灯を点けろ」と言われるようなものである。「スイッチを押せば点くってことは分かってるだろ?」と。「だから壊れてるんだってば!」と必死で訴えても、壊れている可能性など1ミリも考えていないような言い方だ。
 ……と、このように説明したとて理解してもらえるものではないのだということも、24年の人生で分かった。「歩けない」という状態を経験したことがない多くの人は、「歩き方が分かっていても歩けない人もいる」という事実自体、信じがたいものらしい。確かに自分がもし健常者だったら、そんな人がいるなんて思いもよらなかっただろう。
 だから私は、心ない言葉を投げかけられても相手の感情が理解できてしまう。「俺みたいな存在は理解しがたいよな」と。
 そういう考えになってしまったことがきっかけで、親以外の他人とコミュニケーションをとるのがとても嫌になってしまった時期もあった。その頃は親とのコミュニケーションすらまともにはできていなかったかもしれない。「誰かと仲良くなりたくても、俺の状況を知ったらみんな離れていくんだ」とネガティブな決めつけをしていたから。実際、中高と6年間同じクラスだった友人が卒業をきっかけに一切連絡を取ってこなくなった。その友人は大学生で私は就労支援施設に通っているので全く時間が合わないという理由もあるにはあったけれど、それでも寂しかった。俺みたいなやつが友だちなんて作っちゃいけないんだと本気で思った。

Twitter

 考え方を少しずつ変えていくきっかけになったのが、Twitterを始めたこと。元々はある特定の人とやり取りをしたくて始めた。私のツイートを普段から読んで下さっている方はご存知かもしれないが、先日2年ぶりの再会を果たしたあの親友である。
 正直な話、最初はその人とやり取りが続けられさえすればよかった。Twitterを始めた当初の私は、まだ自由に外出できるような精神状態ではなかった(詳しくは次回)。それでも誰かと繋がっているという実感がほしくてTwitterを始めたのだ。
 LINEでもよかったのだが、あれには少々トラウマがある。アカウントの移行に失敗したというトラウマが。写真を撮る趣味もなかったので、インスタも除外。Facebookに関しては、未だによく分からない。

 さて、Twitterを始めてしばらく経っても、やり取りをするフォロワーは親友1人だけだった。もちろん親友と話せるのは嬉しいけれど、向こうだって暇じゃない。というかとても忙しかった。一方こちらはまだ施設に通っていたとはいえ、週末ともなると孤独と闘うことになる。時間が合わないのにメッセージを送り続けても迷惑だし……とずっと考えていた。そんな状態を脱したくて、ジャニーズファンの方にアプローチしてみた。自分が大のジャニーズファンで、どのグループの話でもある程度乗っかれると思ったから。
 やはり好きなことが共通していると、とても話しかけやすかった。最初こそ緊張するものの、一旦ジャニーズトークで盛り上がってしまえば、長年抱えていた女性への苦手意識すら消えていた。
 そしてある時ジャニーズファンのフォロワーさんに「ネガティブな性格直しなよ。私はあなたと友だちになれて嬉しいんだよ!」というようなことを言ってもらった。その人と直接会ったことはないが、私が身体障がい者であることはやり取りを始めた頃に伝えていた。
 見ず知らずの人でさえ、優しくしてくれたり慰めてくれたりする。そして私が障がい者であることを知った上でなお「友だち」と呼んでくれる。メンタルがボロボロだった当時の私には、その事実が何より沁みた。「生きていていいんだ。生きていてほしいって誰かに思われてるんだ」という実感は、私を少しずつポジティブに導いてくれた。

現在

 と言っても、生まれて24年間ネガティブで生きてきた私がそう簡単にポジティブになりきれるわけはない。
 なので今は落ち込んだ時、ネガティブの闇に落ちそうな時はフォロワーさんにすぐ打ち明けることにしている。結構長い付き合いの方もいるし、アカウント開設当初からフォローしてくれている親友だっている。その人たちはちょっとやそっとのことでは私を嫌いにはならない、ということをやっと信じられるようになった。
 そして不思議なことに、誰かに不安や不満を打ち明ければ心は軽くなる。たとえ原因が取り除かれなくても。「俺の言うこと、ちゃんと聞いてくれてる」と思えることが安心に繋がるのだと私は思う。
 だから私はフォロワーさんにいつも「よければあなたの話も聞かせてね!」とメッセージを送っている。どうしようもないことでも、誰かに話すと楽になれることがあることを身をもって知っているからだ。
 ……まあ、まだまだ頼ってもらえることは少ないけど。それでも一生このスタンスは変えないだろう。
 今はこうして自分の考えを発信することも出来ている。ファンの方もついてくれているようだ。私は「事実を受け止める」ことでしか前向きに生きられない。だったら努力を重ねるまでだ。好きなことに向かう努力は楽しい。これからも事実と向き合いながら、毎日を明るく楽しく生きていきたい。
 なのでTwitterやnoteのフォロワーさん、これからもずっと応援よろしくお願いします!

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