【ドラゴンのエッセイ】寿命を考える

 最近急速に「自分の死」というものを現実の問題として意識するようになってきた。
 勘違いしないで頂きたいのだが、決して自殺願望があるわけではない。むしろ現在は、24年半生きてきた人生の中で一番楽しいくらいだ。
 ではなぜ、24歳という年齢で自分の死を意識し始めるのか? その答えは「寿命」である。今回は、俺が数年前から密かに悩んできた「寿命」と「死」について綴っていこうと思う。

 ことの発端は、3、4年くらい前。付き合いのあった同窓の先輩(仮にAさんとしておこう)が「話を聞いてほしい」と言ってきたことだ。何だか深刻そうな表情だったのでよく覚えている。
 その話というのが「同級生が亡くなった」というものだった。Aさんは憔悴しきった様子で、とても1人では抱えきれないと言っていた。そして「この先の人生が不安だ」とも。
 もちろん、聞いていて気持ちのいい話ではない。しかし、俺たちが通う特別支援学校ではそれほど珍しい話ではなかった。生まれた瞬間から虚弱体質で人一倍病気になりやすかったり、いくら食べても栄養がスムーズに吸収されなかったりして死に至ってしまうケースは2年に1回くらいのペースである話なのだ。なので俺も、知っている先輩の訃報に接したこともある。
 つまり、俺はAさんの態度に少しの違和感を感じたのだ。同級生が亡くなったというのは確かに悲しいことだが、なぜそれで「不安」になるのか? その答えは、Aさんの次の言葉で明らかになった。
これでもう同級生は全員、この世にいないんだ
 断っておくが、Aさんは当時30歳を迎えたばかり。そしてAさんの同級生は少なくとも20人弱はいたらしい。つまりAさんの同級生のほとんどは20代で亡くなってしまったということだ。そして、次は自分だと不安になっている、ということだ。
 その時は「そこまで悲観しなくても大丈夫ですよ」と慰めたが、嫌な予感がしていた。

 それから数日は、Aさんの話について考えないようにしていた。しかしやはり気になってネットで検索してみたことがある。「脳性麻痺 寿命」というふうに。
 検索結果は「25歳前後」だった。
 理由もいくつか書いてあって、納得できるものが多かった。一番腑に落ちたものとしては、「脳性麻痺の人は緊張が強いため、常に身体が疲弊している状態にある。かといって身体を動かさなくなれば、筋肉がどんどん硬くなって動かなくなるし、身体を動かせば緊張状態を長く続けることになり、結局寿命を縮める」というものだ。緊張が強いというのは、身体の力が抜けにくい、リラックスしにくいというふうに解釈してくれればいい。
 そんな状態が続くわけだから、当然寿命も短くなるだろう。おそらくこれはもう抗いようがない。

 今の俺の年齢は24歳と半年。寿命とされる25歳まであと半年である。最悪の場合、俺は半年後に死に至る。今のところ明確な身体の不調はないが、身体疲労の蓄積というのは時限爆弾のように急に来るらしい。平均寿命が25歳だというのならば、25歳を過ぎたら覚悟しなければいけないということだ。そういうふうに俺は解釈した。いわゆる「余命」のような感覚でいる。

 余命は多くの場合、大病を患った時医者から宣告される。その余命も統計に基づくものであり、必ずしも宣告された通りになるとは限らない。俺も「25歳寿命説」はそれくらいのものとして捉えている。
 しかし、やはり覚悟は必要だと思った。今までもそうだったがこれからはより一層、明日自分の身体がどうなっているか分からない。明日は目が覚めない可能性もあるんだと自覚して生きるのと、そうじゃなく生きるのとでは人生の濃さが違うと思う

 ただ寿命を待つのではなく、しっかりと楽しんで、楽しみきってやろうというのが俺の考えだ。親友と直接会えるようになったのもここ1年くらいのことだし、こんな俺にでも「いつか直接会いたい」と言ってくれているフォロワーさんもいる。フォロワーさんとはまだ誰とも会えていないのに、そう易々と死んでなるものか! と言っている。
 それでもこんな暗い内容の記事を書くことを決めたのは、「読者の皆さんに知っておいてほしいから」というのが大きい。
 現在俺がやっているSNSは3種類。X(旧Twitter)、note、LINEだ。Xは今後の展開次第で止めてしまう可能性があるが、他の2つは死ぬまでやっていこうと思っている。
 しかし先ほどの寿命の話を考えると、皆さんに告知なく更新がストップしてしまう可能性もゼロではないのだ。だからこのタイミングで皆さんにお伝えしようと思った。

読者の皆さん、フォロワーの皆さんへ
 俺は基本、毎日タブレットを開いている。主にnote記事を書いているが、XやLINEも毎日確認して返信している。
 なのでもし、予告なく1週間以上記事の更新が途絶えたり、メッセージへの返信がなかったりしたら俺に何かが起こったと解釈してほしい。いきなりそういうことになって、大切な友人たちを悲しませるのは嫌だ。だからこそ言うのである。
 何度も言うが、ネガティブな理由でこの記事を上げる訳ではない。むしろ「後悔しないように全力で生きるぞ!」という宣言の意味合いが強い。読者の皆さんには、そのように受け取ってほしい。

 今回の記事に関しては、みなさんの意見をたくさんいただきたいです。スキ、コメント、オススメなど、たくさんのご意見と拡散をお待ちしています。

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