名曲539 「五月のバラ」【塚田三喜夫】

ーー選ばれた者しか歌えない伝説の昭和ソングーー

【五月のバラ】

 昭和時代の歌謡曲はいまと違ってまさに「プロ」の歌い手が多く、非常に充実したものが多いと感じる。それはいまのレベルが落ちているというわけでなく、歌声だけで勝負できる存在が減ったということである。逃げも隠れもしない、さまざまな演出や技法に頼らず、己の声だけで人を魅了させる。そんな男らしさがある。

 今回紹介する曲は「五月のバラ」。実はこの曲、多くのアーティストがカバーしている。有名なところだと

 布施明。歌唱力お化けでおなじみ。

 秋川雅史。やっぱり歌唱力お化け。

 尾崎紀世彦。レジェンドだ。

 全員に共通しているのは歌唱力お化けだということ。つまり歌が上手くないとダメなのだ。

 ちなみに元祖は津川晃。1960年代に「フランツ・フリーデル」という名前で活動していたが、改名して再デビューしたのがこの作品だ。元祖は渋さが際立つ。演歌の延長という感じも受ける。声質も上の方々とはどこか少し違う。

 今回は塚田三喜夫バージョンを取り上げることにした。この方は正直なところいままで知らず勉強不足であった。まだまだ昭和の世界は深い。確かな実力者であったが2011年に56歳の若さで亡くなられてしまった。サムネイルの風貌はいかにも昭和なダンディズムを感じる。これはモテただろう。

{忘れないで 忘れないで 時は流れ過ぎても むせび泣いて むせび泣いて 別れる君と僕のために}

 作詞はなかにし礼。ここでは私の見解を書きたい。

 五月のバラとは絶妙な表現である。四月が出発や出会いの季節であれば、五月はまだそのすぐ先であり、引き続き春が続いている。そんなイメージである。

 そこで別れを描写したのがエモい。急なやむを得ない事情があったのだろうか。私のような凡人はせめてといってはなんだが六月にしてしまいそうだ。梅雨と悲しみの表現がマッチするからである。

 バラというチョイスもいい。バラは美しいだけでなく棘を持ち合わせる二面性を持つ。恋人との酸いも甘いもすべて一輪の花に集約されている。

 バラは五月に咲き始めるものが多く、後年になって思わず目にしてしまい、悲しみが浮かんできたのだとも捉えられる。花の咲き始めは普通、ポジティブに描きがちだ。なおさら私だと六月にしたくなる(枯れ始めるからだ)のだが、そこがなかにし礼の表現力の高さ、非凡なところだと思うのである。

 ……長々と書いてしまったが、難しいことは考えず美しい歌声を堪能するだけで十分。塚田三喜夫はもっと評価されるべきだろう。歌唱力はやっぱりお化けだ。五月のいま、天国でも歌っているのかもしれない。

       【今日の名歌詞】

忘れないで 忘れないで 時は流れ過ぎても むせび泣いて むせび泣いて 別れる君と僕のために






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