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(音楽話)24: John Lennon “#9 Dream” (1974)

【夢の夢】

John Lennon “#9 Dream” (1974)

以前も書いたことがありますが、John Lennonは聖人君主でもなんでもありません。どちらかと言うとクズ野郎です。

反戦を歌い、メディアのインタビューで吠え、活動を強力に支援し、「Love and Peace」という言葉が代名詞になったJohn。しかしこのイメージは基本的に彼の死後に形成されたもの。実際の彼は粗暴で口汚く、時に乱暴な人間だった。愛だの平和だの以前に彼はずっと寄り添える存在を求め続け、それがYokoだった。そんな彼女に、常に自分の方を見ていてほしいがために、JohnはYokoの趣味嗜好に感化され、同じ方向を向くようにした。つまり(悪い意味ではなく)JohnはYoko色に染まったわけです。
彼の内面は非常に臆病で、強がった(イキった)態度はその裏返し。相手に飲み込まれないよう、踏み込まれないようビクビクしながら生きていた。彼にとってYokoは、そんな日々を打開してくれた光だったに違いない。最愛の人であり、妻であり、母であり、パートナーであり、最大の理解者ーーーそんな人を手放したくなどなかったはずです。

しかし彼らは73年から1年強、「失われた週末 (the Lost Weekends)」と呼ばれた別居期間を過ごします。Johnの当時の荒れた生活ぶりに辟易としたYokoが別居を言い渡し、Johnは秘書のMay Pangと共にLAに移住。当時の模様はYokoとMayで話が食い違っててなんとも言えませんが、ほぼ間違いないであろうことは「MayをJohnにあてがったのはYoko」。見たらわかりますが、彼女たち、どことなく風貌が似てます。Mayの自伝に詳しく書かれていますが、荒れたJohnが何するかわからないので(あらゆる意味での)お守り役としてMayを帯同させたんだとか。言い換えると、別居は一時的なものとYokoはハナから分かってたかも…「私無くしてJohnは生きられないのよ」という自信すら感じます。

別居中のJohnの生活は相変わらず荒れてましたが、集中的に音楽活動に取り組んだことも事実(レコーディングなんだかパーティなんだか分からない日々だったようですけど)。その日々の中で書かれた曲のひとつがこの”#9 Dream”です(ナンバー・ナイン・ドリーム)。74年のアルバム「Walls and Bridges/心の壁、愛の橋」収録のミディアム・ナンバーで、Johnのマンリーではない面が表れた佳曲。サビの”Ah! böwakawa poussé, poussé”という言葉に別段意味はなく言葉遊び。語呂重視なJohnの作風ならでは。でも耳に残りますよね。美しいメロディと浮遊感あるサウンドも心地良い。「愛と平和の使者」から連想されるJohnとはまた別の、繊細で美しいJohnがそこにいます。

ちなみに…サビ前で”John~~John~~””Noise~~Noise~~”という囁きが聞こえてきますが、Yoko・Mayが共に「これは私の声」と言ってます…彼らの三角関係は非常にセンシティヴで何が真実か不明瞭なままですが、それはそれでいいのでしょう。だいいち、Johnはもういないですし。

1980年12月8日、自宅前で凶弾に倒れそのまま逝ったJohn。それから40年。私は彼にかけられた夢の魔法が解けないまま。一度でいいからライヴ、生で観てみたかったな。

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