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(音楽話)64: 大橋純子 “サファリ・ナイト” (1978)

【荒野】

大橋純子 “サファリ・ナイト” (1978)

https://youtu.be/ATKz66CD_l4?si=EOawGMj5frf3RMiE

音楽の立ち位置が時代によって異なる以上、シンガーもミュージシャンもその力を注ぎ込む場所や方向性は当然異なります。それが歌詞に、サウンドに、歌唱に、アレンジに、表れる。実に興味深く楽しめるわけです。
私は単に、1950-80年代の音楽が特に心地良い。なぜなら、それで幼少期育ったから。今の流行も勿論聴きますが、どうしてもその頃の音楽に強く惹かれます。

こういう話をすると「●●の時代から日本の音楽はダメになった」などと嘆く人がいますが、とても勿体無い嘆き方です。その時々の空気を吸い込んで生み出されてきた音楽は、それぞれの時代を撃ち抜いてきたわけであって、そこに正誤など介在しません。そもそも「ダメ」と考えるから、あなたの手から音楽が益々離れていくのですよ?と言いたくなります。

閑話休題。大橋純子、78年の和製ディスコ・チューン”サファリ・ナイト”。当時彼女は28歳。なんでしょうこの余裕ぶりは。至極軽く歌ってますが、説得力・グルーヴ感・情緒、全く削られていません。要は、巧い。圧倒的にカッコいい。所々の難しい音階のまま音を伸ばす場面であっても、ブレない音程。そもそも都会をサファリに喩えて、ハントする・されるの関係の中「アスファルトに降る雨は すぐに乾く都会の涙」なんてキザですが、その酔ってる世界観もまた美しい。

この動画は当時の「夜ヒット」での歌唱。ステージ、照明、カメラワーク、バックの演奏(多分ギターはあの土屋昌巳。バンドのグルーヴ感がエゲツない)、全てが「この一瞬を刻んでやる」という強烈な覚悟と執念を感じる緊張感とその完成度。届けようと全身全霊。当時の音楽番組の熱量を感じます。

Throw Back Thursday」という言葉が米国にはあります。週末に向けてシンドい木曜を耐え抜くための合言葉。まさに今。コロナ禍もある種そうですよね。踏ん張って、皆で明るい週末を迎えられますように。

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熱い砂煙あげて 走るジープを見たよ
それは恋に疲れた 悲しいハンター
渇いた都会はまるで 草も生えないサバンナ
失くした何かが 目覚める午前零時

サファリ・ナイト 男と女は
サファリ・ナイト 寂しい巡り合わせね
追われる方も 追う方も
傷つけ合わずに 生きて行けないなんて
アスファルトに降る雨は すぐに乾く都会の涙

光るライフル向けて 強く引き金引けば
ビルの隙間狙った あの人はいない
痛み出してから知った 傷の深さが切ない
夜空の星ひとつ 撃ち落とせないまま

サファリ・ナイト 男と女は
サファリ・ナイト 彷徨う悲しい獣
追われる方も 追う方も
愛し合い方を なぜか知らないなんて
アスファルトに降る雨は すぐに消える私の涙

サファリ・ナイト 男と女は
サファリ・ナイト 彷徨う悲しい獣
追われる方も 追う方も
愛し合い方を なぜか知らないなんて
アスファルトに降る雨は すぐに消える私の涙

(大橋純子 “サファリ・ナイト”)

(紹介する全ての音楽およびその動画の著作権・肖像権等は、各権利所有者に帰属いたします。本note掲載内容はあくまで個人の楽しむ範囲のものであって、それらの権利を侵害することを意図していません)

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