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(音楽話)93: 吉田拓郎 “人生を語らず” (1974)

叱咤(私のただの書き殴りですすみません)

10代の頃、吉田拓郎はあまり好きになれませんでした。がなり声、粗い歌詞、フォークソングというジャンル…すっと心に入るものではなかったし、メロディが美しいとか、歌詞がカッコいいとかすら思いませんでした。

よく考えるとそれは当時、私になにかを背負っている・担おうとしている気概というか、意識が無かったがゆえ、彼の歌詞が一向に耳から奥へ届かなかったのかもしれません。いやなんか、怒られているみたいな。言われたくないことを言われてしまう気がして、嫌でした。

働き出してかなり年月が経ったある時期、私は精神的に破綻しました。他人から「おまえの味方はしたくない」「自己憐憫だ」「だらしない」と面と向かって言われ、たとえ実直に仕事をしても、都合の良い・受けの良い人間が優先され、簡単に私を斬り刻んで体よく使いたがる、そんな世界に嫌気がさしそれこそ発狂しました。今もどこか壊れたままかもしれません。

正直何度か自死を考えたし、会社の窓の下を見て「ああここから飛び降りれば俺は楽になれる」となんの躊躇もなく考える自分に気づいた時の恐ろしさは、今でも忘れません。
車を運転してアクセルをベタ踏みし、そのまま前方の車に突っ込もうとしましたが、そんな自分の行動を罵る「違う自分」に頭を叩かれ、すんでのところでブレーキを踏んだこともありました。

こんな調子だから、心療内科や精神外来でどうにかなるものではない。医師から精神科病棟に入ることを推奨されました。私は拒みました。世俗から離れてリセットすれば良いと言われはしたけど、一回離れると二度と元に戻れない気がして怖くて仕方なかった。それだけは止めようと。藻掻きながら吐気のする現実世界と折り合いをつけようと、必死にしがみつきました。
要は、心のどこかで生に執着していたのです、自分の人生に過度に期待していたのです。

極度の人間不信、消極性、退廃的、消え去りたいという欲、でもどこかで未来を信じたいと脅迫する自分。そんな時期。外面では極力体裁を整える一方、内面はどんどん荒んでいって、もう内側から爆発する寸前でした。

ふと耳にした曲がありました。

おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも
始発列車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば
傷もいえるし それからでもおそくはない

(吉田拓郎 "人生を語らず"歌詞抜粋)

拓郎は、この歌詞をガナリ声で歌うのです、「アホかお前」と言わんばかりに。この曲を応援歌として捉える人が圧倒的多数でしょうが、私にはただ叱咤でしかなかった。キツいな拓郎、聴かなきゃよかった―。
でもなぜか、いつもの内向きに凹んでいく感覚、世界全部を恨む感情が湧いてきませんでした。

「それでもいいからとにかく生きろ。だが責任は持たないからな、勝手にやれ」

そう聴こえた時、私の中のなにかが崩壊し、嗚咽したことをはっきり覚えています。「それからでもおそくはない」という言葉が、粉々になってしまって再形成することすら危ぶまれた私の心を、どれだけ接着してくれたことか。

1年以上ぶりにこうやって書いているのですから、本来なら曲紹介としてもっと詳しくいろんなことを書き連ねるべきですが、すみません、私を今に繋いでくれた曲、生かしてくれた曲として残しておきたいと思い、今はこんな書き殴りになりました。お許しください。

人生、思う通りになんていきません。幸せに溢れるなんてこともありません。楽しくて仕方ない日々なんて訪れません。そういうことを考えることができる人はきっと、そういうことを見つけ出し程良く摂取することに長けているのだと思います。

そして私にそんな能力はありません。自分の人生も日本も世界も経済も社会も文化も人間も、クソだらけです。でも、それでもいいんです。「それからでもおそくはない」のですから。

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