公正世界仮説

先日自分が読んだ小説の中に、「公正世界仮説」というとても面白い言葉が出て来ました。
少しWikipediaさんのお力を借りたいと思います。

公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。
引用: Wikipedia

「人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである」そんな世界を、自分達は映画の中や漫画の中などで多く目にしていると思います。そしてたまに、曲の歌詞の中にも見る事があるかもしれません。

例えばあの、ある男女の中身が入れ替わり、頑張ることで結果的に一つの大災害を無かったことにする(歴史を変えてしまう)物語。
あの物語は公正世界仮説に沿っていると、自分が読んだ小説の中で語られていました。
とても大雑把に言えば、頑張ることでちゃんと報われる物語、は基本的に公正世界仮説に沿っていることになると思います。
公正世界仮説に沿った物語は、頑張った結果報われるという気持ちよさがある為、人々が求める物語と一致し、経済的効果を生みやすいとも言えます。

しかし、この「公正世界仮説」に沿った物語を人々が目にしすぎると、ある危険があるそうです。それは、「無意識に人々が、個人に責任を押し付けるようになる」ということです。

何故そのようになってしまうのかと言うと、「世界は、頑張れば報われる公正なもの」であると無意識に信じ込んでしまう事で、
人々は、「努力は報われる」「自分の問題は自分の力でなんとかするものだ」と思い、
さらには、「あなたが不幸せなのはあなたが頑張っていないからだ」「あなたが被害者になっているのは、あなたが罪を犯したからだ。何故なら世界は公正なのだから、そうなったあなた自身が悪いに決まっている」と思うようになってしまうからです。
またそうなってしまうと、個人への責任にばかり目がいき、本来おかしいはずの大きなもの(政治や社会のシステム)への批判の目が少なくなってしまいます。

自分はこの現象を知った時、単純に恐ろしさを感じました。
何故なら、「公正世界仮説」と、「日本人」は、悪い意味で、相性が良すぎる気がしたからです…

二つ前のnoteでの投稿を自分は、「商業ロック」というタイトルで投稿しました。
その時に自分は、全てのアーティストが経済的成功を優先させたら、全ての音楽が均一化し、少なくともロックは死ぬだろう、というような事を書きました。
その、全てが経済第一になり「ロックが死ぬ時」と、「世界が公正世界仮説に取り込まれ、個人へ責任を押し付け、誰も大きなもの(政治や社会のシステム)を批判しなくなった時」は、
大体同じタイミングで起こるのではないかと感じています。
何故なら、ロックバンドの中には、公正世界仮説から無意識に(又は意識して)外れているバンド達が今でもいると感じているからです。

人々に求められるもの(需要に沿ったもの)のみを人々に与えるのは、芸術家やロックバンドのやるべき事ではないと自分は思います。

もちろんロック、を音楽ジャンルとしてやっていて、経済的成功のみを目指している人達を自分は批判しません。なぜなら自分は彼らをロックバンド達ではなく、ビジネスマン達であると認識しているからです。そして当たり前ですが決してそこに上下はありません。

後半は少し熱くなってしまいました笑
ちなみに君の名は。は好きです。天気の子はもっと好きです笑

お読みいただきありがとうございました。



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