【アーカイヴ】第254回/MGB GTに乗るといふこと[鈴木裕]
オーディオ好きの人はクルマ好きも少なくない。自分もこのふたつは好きで、しかも共通した感覚がある。端的にそれを書くべき話題になってしまった。
2005年8月に熊本のオーナーからMGのMGB GTを譲ってもらった。イギリスのメーカーの往年の(一応)スポーツカーで、初年度登録が1970年の個体だ。当時は飛行機で往復して阿蘇山の雄大なワインディングで試乗した後に帰京して購入を決断。しかるべき日を決め、インチサイズも含む工具や針金、ガムテープなどを持参して、再び飛行機で熊本へ。2泊しつつ東京まで自走してきた。その後に機関の整備をやってもらい、全塗装もしている。塗装と言ってもサビてる部分を板金修理したりと大変な作業で8カ月くらいを要した。そして、2006年の5月くらいからその状態で乗っていたが、2011年夏、友人のO野さんに譲渡した(理由は長くなるのでまた別の機会に)。
それから9年。
BGT(と関係者は呼ぶ)の後はアウディのA4アバント(2002)、そしてBMWの530iツーリング(2007)とドイツの比較的最近の中古車に乗ってきた。今年になってから次のクルマを考えていて、たとえばトヨタの86(2017年の後期モデル)を試乗したりしていた。ところが2月の終わりにO野さんに会った時に、あまりBGTに乗っておらず、特に昨年の11月以降は車検が切れたままシャッター付きのガレージに入れっぱなしになっているという。「乗りますか」と訊かれて「乗りますよ」と即答してしまった。以下、書いていくような思いがきっと自分の中にあったのだろう。譲渡した相手から買い戻す形なので"出戻り"だ。
ちょっとクルマの紹介をしておこう。
オープンカーのMGB(関係者はBと呼ぶ)が登場したのは1962年。この年、イギリスではザ・ビートルズがレコードデビュー。映画版の007シリーズの最初の作品『007 ドクター・ノオ』もこの年の封切りでこのビートルズ、ジェームズ・ボンド、MGBを"62年イギリスで登場した三大B"と勝手に呼んでいる。ビートルズやボンドの映画はともかく、そんなにMGBがスゴいかと言うと、日本のユーノス・ロードスターが登場するまでは世界でもっとも台数が売れたスポーツカーとされている。1965年には固定の屋根のついた仕様がMGB GTとして登場した。
BGT登場の経緯を簡単に書くと、オープンのBをリリースした後、MG社内で屋根付きの仕様の設計をいろいろやったがうまくいかず、イタリアの代表的カロッツェリアであるピニンファリーナに依頼してデザインされたのがBGTだ。そういった事情で、オープンのBに対して登場が3年近く遅れた。イギリスの社内チームが担当した丸みを帯びたベースのデザインに対して、ピニンファリーナがデザインした屋根回りからファストバックのラインなどのパートに直線的な感じが入っていて、イギリスとイタリアの異国情緒の同居がこのBGTの魅力のひとつだと個人的には感じている。
搭載しているBエンジンも魅力だ。排気量が1.8lもあるのに、最高出力としては90~95馬力程度しかない。たとえばフォルクスワーゲンの2009年に登場した3代目ポロGTI。同じ1.8lで192馬力という、リッター100馬力を越えても扱いやすいエンジンが現代だったら作れる。Bエンジンの特徴のひとつは、ノーマル状態では低性能であること。しかも、エンジン自体の重量がヤケに重い。MGBというクルマにはMGB GT V8という、ローヴァー製の3.5lのV型8気筒エンジンを搭載したモデルもあるのだが、倍のシリンダー数で、倍近い排気量があるのにBエンジンと比較して約18kg軽いという。アルミ合金製でなおかつ合理的な設計のためだ。逆に言うとBエンジンは鋳鉄製で、設計は洗練されておらず、やたら頑丈である。
と書くと、なんだかBエンジンが嫌みたいだが、大好きである。このクルマの二つ目の魅力はこのBエンジンの低性能にあると感じている。自分で書いていても「低性能」という言葉に違和感があるが、世の中「高性能」を良しとする場合がほとんどだろう。しかしこの低性能のおかげで、エンジンはけっこう頑丈だ。そもそもMGB自体、基本設計が60年くらいの割にはモノコックのボディで、サスペンション形式、ステアリング機構、ブレーキなど、設計にそれほど無理がなく壊れにくい。ちなみにブレーキはノンサーボ、ステアリングもノンパワーアシストだが、普通に走っている分にはまったく問題がない。
さらにこのBエンジン、中速トルクがしっかりあって40~60km/hくらいの一定速で、のほほんと流している時に走りやすいし、この時のエンジンの鼓動感に最大の魅力を感じる。逆に言うと高回転まで回らないことはないが、エンジン音の大きさとしては3倍くらいになるのに速さとしては1.5倍くらいにしかならない。そのうるさい音もレーシーと言えば言えるのでちょっと楽しくはあるのだが。もちろんさまざまなチューニング方法が確立されていて速くすることはできる。あるいはMGB GT V8のセブリング仕様というのがあって、ブリスターフェンダーでレーシーにモディファイしたものなど武者震いするくらいカッコイイが、自分にとってはノーマルはノーマルでその低性能ながらホロホロとした乗り味で、クルマを"転がす"という感覚が好きだ。
ベースにはMGBに限らず、50年代から60年代のイギリス車の小ささ、プリミティブさがある。そもそも機構がシンプルで、チョークを引いて長めにセルモーターを回して始動。エンジンが暖まるまでは機嫌が悪く、暖まって調子良く走っていても夏の暑い日には水温計の針は高めの右側に傾き、冬の早朝には左に傾き、というような当たり前のことをごく普通に表示してくれる。今のクルマは38度の酷暑であろうが、マイナス10度の雪国であろうが、水温計はいつも真ん中を示していたり、あるいは自分が乗ってきた2007年のBMWの5シリーズだとそもそも水温計がなかったりする。オイルゲージもなくて、オイル量が減ったらウォーニングランプで教えてくれるシステム。オイルの汚れ方とか粘り方とかは「知らんでよろしい」という考え方だ。ちょっとブラックボックス化している。
といったところでオーディオの話。BGTを転がしている時やボンネットを開けて何かいじっている時の気持ちは、アナログプレーヤーをセッティングしたり、レコードを聴いたりしている時の感覚に近い。たとえばカートリッジをヘッドシェルに取りつけていると、ちょっとした角度やネジの締め方で音は変わってくる。そういう、自分で音に触っているという実感がある。原始的な発音原理のオーディオだが、それゆえに自分で鳴らしている満足感が高い気がする。自分にとってBGTは、ある意味昔の家具調のステレオセットのようなゆるい感じを持っていて、ハイパォーマンスじゃないが、走っていてもいじっていても楽しい。
あえて図式化すれば、家では新しめのオーディオでハイファイのハイパフォーマンスをやっているので、それに対してクルマでは60年代の往年のモデルでの、おっとりとした走り。これに辿り着いたという言い方をしてもいいかもしれない。自分の中ではバランスが取れている。
昔のクルマは補機類の少ないエンジン自体が一発ずつガソリン炊いて、ピストン押し下げて、クランクを回しているという実感が高い。クルマなのに生き物と接しているような親しみがあるわけだが、特にノーマルのMGBの場合はサラブレッドじゃなくて、ポニーにたとえられるかもしれない。オートバイの存在に近くて、たとえばハーレーのVツインエンジンのドゥルンドゥルンとか、ホンダのカブやヤマハのSRのようなトコトコ走る感じ。乗ってきたアウディやBMWのようには速くは移動できないけれども、移動自体の楽しさでは負けていない。日本の高速道路の制限速度は昭和30年代の法律の100km/hのままが多いが、BGTで走っているとちょうどそれくらいでいいと思えてくる。しかし、追い越し車線のちょっと速い流れにも無理せずついて行ける程度の性能はある。
『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』はエレック時代の広島フォーク村(含む、吉田拓郎)のアルバムタイトルだが、1970年のクルマをいったいいつまで転がしていけるのか。世の中、COVID-19で大変だが、オーディオにせよクルマにせよ、こういう個人的な楽しみの大事さもあらためて感じている。
(2020年4月30日更新) 第253回に戻る 第255回に進む
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1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。
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