バッハ エピソード33 音楽嫌いなお妃さま
1721年、バッハが再婚した1週間後、君主レオポルト侯(27歳)がアンハルト=ベルンブルク公の公女(19歳)と結婚しました。フリーデリカ・ヘンリエッタというこの侯妃は、芸術や音楽に全く関心を示さず、音楽士など低級な人種だと思っていました。
この音楽嫌いの侯妃は、バッハの音楽やバッハとレオポルト侯の友情に嫉妬していたようです。
そのため、レオポルト侯も次第に音楽に関心をもたなくなり、バッハに対する態度も変わってきてしまったのです。
ケーテンは元々豊かな宮廷ではなかったのですが、そこへ18人もの楽員を揃え、バッハを400ターレルという高給で迎えます。この給料はケーテンの宮廷では2番目に高いものでした。ケーテンの国家予算は、バッハが就任した当時、総額7,600ターレルほどでしたので、この貧乏宮廷は分に余る楽団を抱えていたと言えます。
こうして、1720年頃から徐々にレオポルト侯の音楽に対する出費は減少し、ケーテンの宮廷楽団の規模も縮小されるようになってきました。
また、レオポルト侯の体の具合も心配でした。カールスバート(湯治)に2回、お供したバッハなら感じていたのではないかと思います。
バッハは迷った末に、ケーテン宮廷を去る決心をします。
さて、突然ですが、アンクルバッハからクイズです
Q: ケーテンの当時の人口はどのくらいだったでしょう?
3000人
2万人
答えは 1 の『3000人』です
ケーテンはハレの北方30キロほどの田野の中にある人口3000人の小都市でした。それに比べると、次に赴くライプツィヒは2万人の大都市です。
子供達の教育はもちろん、バッハはトーマスカントル以外の副業も念頭に入れていたのではと思います。