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バッハ エピソード12 1年で辞表
1707年、アルンシュタットでの色々な事件によって非難をあび、いづらくなったバッハは、聖ブラウジス教会のオルガニストに転職します。
前任地アルンシュタットの小さな教会から、帝国自由都市のミュールハウゼンの主要教会へと出世しました。
「ブクステフーデの教会音楽」を実現するために張り切ります。
オルガンの改造計画も手がけ、大規模な声楽曲にも取り組みます。
しかし、当時の宗教改革運動の影響で、「ブクステフーデの教会音楽」は実現できないと、1708年、1年で辞表を出しました。
※「ブクステフーデの教会音楽」とは
ブクステフーデの音楽は大きく3つで
1オルガン・ソロ
2大規模な声楽曲「夕べの音楽」
3オルガニストと少数のプロ歌手・器楽奏者による
アンサンブル「オルガニストの音楽」
バッハはこの3つを自らも実践したいと取り組みます。
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この時に作曲されたカンタータ第106番は初期カンタータの傑作の一つです。
この曲は「哀悼行事」とも呼ばれ、礼拝用葬送音楽と考えられます。叔父のお葬式用に作曲されたのではとも言われています。
私もフルートの発表会で前奏のみを演奏しましたが、透明感のある、しっとりした始まりの曲です。
カンタータ 神の時は、最上の時 BWV106
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