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汐見稔幸インタビュー⑧【21世紀型の保育へ〜学びを実践に変える〜】

大友:保育士がよい保育を学んでも、なかなか現場で実践するのが難しいという声が多くありました。変えていくにはどうしたらいいのでしょう?

汐見:そうですね。ちょっと学んで解った人は、自分は変わる!変えられるってね。でも分からない人がいるのよ〜!と。でもそれは自分が知らないうちに、段差を作ってしまっているかもしれない。知らないうちに外から見たら壁を作ってしまっているということが実はあるんですね。それは人間の性かもしれないんですけどね。自分だってちょっと前まで同じようなことしてたじゃないかと考えたら、申し訳ないことやってた。そういうこと皆んなあるはずなんですね。そのことにどうして(自分が)気が付かなかったのかと考えたら、周りの人がまだ気が付いてないのもごく自然なことなんですね。自分はちょっとこっちへ来たから〝何で分からないのよ!〟っていう風に思うということはしばしばありますよね。でもその態度を続けちゃうと最終的には浮いちゃいますよね。

 保育っていうのは実践であるんだけれども、同時にその実践を支えてる組織だとか、それをか支えてる様々な保護者を含めた人間関係だとか、後ろにそれを応援してくれてる地域だとか、そういうものとの言わば(ゴウリキ?)みたいなもので実際は成り立ってるわけでしょ。それを一つを変えようとしても、ここを変えれば全部変わるわけじゃないですよね。だけどどこかから変えていかなきゃいけないので、始めからすぐ変わるわけじゃないんだっていうある意味では居直りみたいなものもひつyいうですよね。それがないと、これだけ変えなきゃいけないと思っているのにどうして変わらないの!と言っても、苛立ちと虚しさが残るだけじゃないかなっていう気がします。

今の保育者にはあまりそういう経験がないからということあるでしょうね。例えば戦後は社会全体がこう変わろう!ああ変わろう!これからは民主的なんだ!とか、科学は大事なんだ!とか、人権が大事なんだというのがあってむしろ現場の先生方が学びながら追いかけていくっていう時代でした。そういう考え方に沿ったことをやれば、それだけで評価されたって言うそういう時代ですよね。だけど今は全体の上の方がそういうことを全然示せてなくて、こういう社会作ろうよ!なるほど!というのがない。上が混迷しているような感じですよね。政治は裏を隠す事じゃないかとか、色んなことになってしまっていて若い人が見たら政治家になりたいと誰も思わない。いい社会を作ろうとしても誰もイメージを示してくれない。その中でここをこういう風に変えたら保育が良くなるということをだんだんわかってきた人たちだから、まだまだ少数だけどいる。それに勇気付けられて自分の所を変えるんだと言っても全体が変わってないところでここだけを変えるというのは至難の業じゃないですかね。でもそういう形でやっていくしか今はないわけです。上が物凄く良くなるっていう事を期待するというのはなかなか難しい。だから下から上手に変えていくっていうことを我々はチャレンジするしかないんだ
と思うんですね。そこで出ている色んな苛立ちだと思いますね。

大友:学んでも現場に帰るともうひとりぼっちだと、、、。

汐見:そういう人が沢山います。大分県で若い園長がこっちに出てきて勉強をした時にそうだ!と思って、それで地元に帰って変える!と。それから1年経って会った時に、どうだった?と尋ねたら、(うなだれて)「どうしたら上手くいくんですか?僕だけが浮いています。」と。やっぱり上からこう変えるんだ!ああ変えるんだ!と言ったら、今まで一生懸命それなりにやってきた人たちが、頭から否定されてるっていう風になるんじゃないかしらね。こう変えないといけない!それは古いんだ!とか、新しい実践はそうじゃないんだって言えば言うほど〝あなたを否定しますよ〟〝あなたは間違ってんですよ〟って言ってるのとあまり変わらなくなるでしょ。人間は頭ごなしに否定されたり、間違ってると言われて「はいわかりました!」ってなる訳ないんですよ。なにを最近難しいこと言ってるのかしら?って思って逆にそれから遠ざかろうとしてしまう可能性が高いですよね。

 僕が一つ戦略を立てたのは、時代時代で保育のスタイル変わるんだ、変えなきゃいけないという考え方。20世紀の後半に我々の先輩が色んな形を作ってきた。それは20世紀の後半の時代のテーマというものがあったからそれに合うような保育を作り出そうとしていたわけです。まだ社会が混乱している中から保育が作られてきたわけです。その後、経済成長で生産力を上げていくってことが人間の幸せに繋がるんだと皆んな信じてやってきた。ある程度それは当たっていた面もある。そういう時にそういう担い手になっていくという事。大きな企業の中に就職したらその一員になっていくという事が前提となったような教育、保育をやってた。そういう時の保育のやり方っていうのは我々の先輩が身につけたもので、例えば集団をしっかり作っていくのだということ。ところが21世紀になって20世紀の時代の社会歴史のテーマと、21世紀の社会歴史のテーマがもう根本的というくらい変わってきてしまった。簡単に言ったら人類の未来に希望が見えなくなってしまった、深いニヒリズムが覆いかねないような中で人を育てなきゃいけない。しかも今育ててる子どもたちが出ていく未来の社会っていうのは、答えが決まってない問題が充満してる。そして価値観が多様化してるのでこれが正しいと言っても「いや、それは私たちの宗教では違います」となってくる。だから絶対的な正解のない世界で、でもこうしないとみんな幸せならないよねって事を一つ一つ見つけてそれを形にしていくという事。そこに正解はなくて、よりベター解を見つけられるかどうかという事が一番の大事なテーマです。20世紀の方は正解を一生懸命探したような教育で良かったんですね。その正解を覚えておいたらそれでやっていけた。でも21世紀は正解はないかもしれない。それよりもこうした方がいいんじゃないか?ああした方がいいんじゃないか?と一人一人の人間がアイディアを作る能力が必要とされる時代です。昔は親が作ってきたものを一生懸命追いかけて行けば良かった。今は自分たちが足元の世界でもっとこうした方が暖かい社会なるよね、こうやった方があったかい家族だなって言えるよねと。そういうアイデアというのはどこかから貰ってくんじゃなくて自分たちで作っていかなきゃいけない。そういう時代を担う人間を育てるための教育とか保育は必然的に以前とやり方を変えないといけないんだという事。ベテランの先生方は20世紀の時代を担う人間を一生懸命育ててきた。そのノウハウをいっぱい持っていると思います。だからそれを活かしながら、21世紀型の人間を育てていく21世紀型の保育っていうものを作っていくという営みに一緒に参加して下さいませんか?と。20世紀型の保育とちょっと違う21世紀型の保育というのがどういうものか、まだまだ形がはっきりしている訳じゃない。ただ少しずつ出てきている。それを1個1個拾って、じゃあ行事はどうする?とかね。子ども達が自分たちで行事を考えたり工夫したりするっていうのは最高のチャンスなんだから上からこうしなさいって言うよりはみんな作っていく行事の方がいいよねと1個ずつ変えていく。その時にベテランの先生方に「以前はどうしたんですか?活かせるものは何なんですか?」とかそういう形でベテランの先生方も上手に位置づいてもらうのがいいですね。そういう変え方というか。それはね21世紀型の保育っていうものに変えていかなきゃいけないんだ。それには大きな歴史的な背景があって20世紀型の保育を作ってきた先生方にも先頭に立って担っていってもらおうじゃないかって言うかというぐらいの投げかけが良いんじゃないでしょうか?あなた方は古い!僕らは新しいのを知ってるんだ!だから僕らの言うようにやろうよ!なんて言っても誰も喜ばないし、実際それは歴史の認識の仕方としても間違っていますよね。

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 一つは21世紀型の保育っていうのが何かってことを職場の中で(そういう言葉じゃなくてもいいんですけど)これからの時代を担う子ども達って言うのは今までの教育やってても上手く担えないってことが出きているのでそこから議論するということを各職場でやってほしい。これが一つなんですね。


もう一つはね、同じような想いを持っている仲間をどう増やしていくのかっていう事。そういう戦略を立てて変えていくるべきじゃないかと思うんです。例えば、ちょっと勉強して、なるほどそうだと思うんだ!色んな本読んでそうだと思うんだ!ってね。だからと言ってこういう保育に変えようよ!といっても、誰も頭がそうなってないのに急に何を言い出したんだ!って事になりますよね。僕は私はこういう話を聞いたり、こういう本を読んだし普段考えてること繋がったので、こういう風にしたほうがいいと思って言ってもそれと同じように思考回路やってるとは限らない。同じような思いを持ってもらうためには、丁寧にいろんなことを話し合って本当にそうだよね〜って、ゆっくりしっかり変わっていかなきゃダメだと思うんです。それに、何か優れた実践を聞いて感動してそういう風にやろうっていうのは大体うまくいかないんですよ。教育の世界ではね。例えば中学校のいじめ問題なんかあった場合に、いじめって言うのはこうなっちゃうんだって子いじめられた子の作文読んでやるからか聞いてもらって、涙を流してわかったつもりになっても殆ど変わらない。またしばらくしたら元に戻る。つまり興奮して何かしてもね人間はそういう情動的な物に感染してそういう風に気持ちになったり、つもりになるんだけども本当には変わらない。だから冷静に話し合って
やっぱりそうだよなーっていうような時の方が、人間が変わるっていうわけ。だから変えたいと思う人は気持ちは興奮してるんだけども、それで変えようとしてもしそれで気持ちが伝染したとしても変わるとは限らない。だから僕はゆっくりと同じ職場の中に、ゆっくり話したらわかってもらえるんじゃないかという人は絶対一人か二人は見つかると思うんですよね。そういう人を探して一度相談したことがあるので食事行きませんかとか?飲みに行きませんかとか?ってね。実は僕ね私は保育をちょっと変えなきゃいけないと思ってるんだけど、どうやって言ったらいいのか全然わからないし、こんなこと私が言えば生意気と思われるかもしれないしとか。少しずつ悩みとを思いを共有してく。でも園長は絶対に「なにバカな事言ってるんだよ」で終わりだから、園長に想いを伝えるためにはどうしたらいいかみんなで相談して…という形でね。そういう思いを持った人たちを面倒くさいけれども徐々に徐々に広めて、「じゃあ今年はここのところから変えるとこを提案してみようか」とか。そういう風にしてみんなの知恵で変えていくっていうかなり迂遠な道なんだけれど、そういう風にやっていかないと組織というのは変わらない。一挙に上から言われて変わったものなんて対して深くない。そういう思いがあります。だから1つは21世紀型の保育っていうものが必要だという事をみんなで議論してもらう。もう1つは想いを共有してくれる人を丁寧に広げていく。そうすると意外と若い先生が、新しいことを学んできてるから共感してくれるかもしれないし、ベテランの先生方の中に最近の親との対話難しくてわからないけど頭ごなしに最近の親はバカねって言うわけにもいかないしと悩んでいる人がいるかもしれない。そういうベテラン先生の悩みもしかり聴きながら、思いを共有し合うという関係性を広げていく。そういうことをれをやってもらう。

 エデュカーレという雑誌でも、変えたいっていう人たちはある程度組織できてきてるけれど、まだそういう思考になっていない人たちをどう巻き込んでいくのかという事については挑めていないんですよね。だから少なくともとにかく問題意識を上手に共有していくような、そういう場を考える。僕が面白いと思っているある園での試みで、お父さんやお母さんが園の中でもう少し自由にモノが言えるようなそういう場を作るって言う試みです。それは月1回かな、迎えに来たらそのまま帰らないで昼間子ども達が食べていたご飯を一緒に食べませんかと保護者を誘う。安い値段でね。その後テーブルでお酒も出てくるわけ。そこで先生と何組かの親子達が一緒にペチャクチャ喋る。そこでこれから保育どうやっていったらいいかなーっていうことについて話題をする。私たちも勉強してるんですけどねとか。そうすると親の中に、うちの会社も全然違うことをやり始めたとか、もう出勤しなくていいと言われてんですよとか色んなものが出てくるじゃないですか。そういう交流をして社会と意識を共有していく。それは間違いなく保育がやっぱり変わっていかなきゃいけないよねっていう力になっていくはずなんです。まあ色んなところからアプローチをしていく。一生懸命こうやろうとしたけど自分はほんの少数派でと現実を嘆くんじゃなくてね。それはもう現実なんだから。だからそこは上手に振る舞っていく。そういうことが今必要なってるんだっていう事を皆で共有し合うということが今大事なんじゃないですかね。

ゲスト 汐見稔幸 (東京大学名誉教授)
インタビュアー・撮影・編集 大友剛
場所 山梨県北杜市
2020年9月上旬



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