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【初韓国・ソウルの旅】旅に思う-母と私・情勢不安-

初日はこちら。

2日目・3日目はライブへ。

あっ!という間に最終日。

朝6時出発。
宿の人が送ってくれる。

AREXの乗り場に迷う。快速と普通のがある?
普通のに乗って行ったら、またユノとチャンミンのアナウンスが聞けた。

帰りは金浦。
着いたらまずWi-Fiルーターを返却。電池は1日持ったし、繋がりも普通だったと思う。7時前にもかかわらず窓口が開いていて待たずに済んで良かった。

スーツケースを預ける。パスポートを自動で読み取って預かってくれるみたい。
入国審査も最近は自動で認識されるからすごい。
考えてみれば、言葉が分かる人ばかりが渡航するわけでもなく、そういう人たちは私も含めなんとなくで通されちゃうことも多かったはず。
それよりかは指紋と顔写真登録のほうが合理的だよね。

カップ麺はスープの肉類が引っかかるらしいので心配していたが、無事に手荷物として持ち込めた。

金浦は小さな空港で歩かされなくてよい。
無事に搭乗時間まで余裕を持って搭乗ゲートに到着。

免税店でお買い物。
キムチとか買ってみたけど、空港に売られてるのって美味しいのかな。
バナナウユも買った。日本でも売っていればいいのに。

帰りのアシアナは、行きより速く感じた。毛布を借りようとしたら「もう用意してるもの全部なくなった。so sorry.」と残酷な宣告を聞かされる…。
私はめちゃめちゃな寒がりなのだ。パーカーを着ていたもののコノママデハシヌ。ヌノ。アル。私と母が着ていたパジャマがあった。
朝すぐに出られるようにとスーツケースは前日夜に締め切って、パジャマや洗顔グッズ等の朝出た荷物はリュックに入れることにしていたのだ。リュックに布があって助かった。布、大事。

旅が終わった。-母と私-

母とはめったにケンカをしない。だからひとたびケンカ勃発ともなると、非常にこじれる。

普段から言いたいことを言い合う仲だと思っている。でも本当は、そう思っているのも言いたいことを言えているのも私のほうだけ。

母は私のように口が達者でないから、その場ですぐ言い返せないだけで溜め込んでいるにすぎないのだ。

それがまた私には腹が立つ。溜め込んで限界が来たら、突然気が済むまで黙り込むから。

母はすぐになんでもかんでも私に聞いてくる。調べ方を教えてあげてもよく分からないと苛立ち始める。iPhoneの細かな使い方にしろ、パソコンの使い方にしろネットの検索の仕方にしろ、教えるのをやめるのは簡単だ。私だって自分でやってあげてしまったほうが楽だよ。でも自分で考えることをやめないでほしいから、どんなに手間がかかろうともやり方しか教えたくないのだ。脳はどんどん衰えるから。
調べるのが苦手と言われても、私だって時間を考える飛行機の予約とか、数字の混ざることは苦手。でもやったんだよ。
確かに、私の母に対する教え方はキツイと思う。自分でも分かっているが、他人ではないから遠慮が効かないのだ。他人であれば余裕を持って優しく教えてあげられるのに。母相手だと
「さっきも言ったでしょ!」
「なんで分かんないの?」
「どこがどう分からないか、今なんで間違えたのか言葉にできなければ何度でも同じこと繰り返すよ?なんで間違えたと思うの?言ってみて。」
こええな(笑)でも言わんとしていることは通じてほしいんだが(笑)

正直、もう手遅れなのかもしれない、そう思えてくる。

旅行中行きたいところを調べておいてね、と言ったことでケンカになるんだから。

私だけでもQ.O.Lの向上に努めてもいいだろうか。見捨てることになるのか。

ツアー旅行のほうが母には向いているのだろう。それでもあえて誘ったのは束の間でも冒険をしてほしかったから。自分のために考えてどこに行きたいか決めて、自分の欲しいものを買ってほしかった。

私がライブに行っている間、母は一人行動をしていた。心配だから、事前に入念に調べるようにと言ったことで訳が分からなくなってしまった母は、結局ほとんど下調べもせずにソウルタワーに行った。そうしたら予想外の山道を登ることになり、「こんなまさか登山することになるとは思わなかったんだよ…。」とへとへとになって帰ってきた。

明洞でも一人歩いて来たようだ。いつも買い物も管理されているから、私のカードを持たせた。自由に使ってほしかった。私のカードってだけで気を遣うだろうことは分かっていたけれど。
海外で現金を人前で見せることは極力避けたいからなるべくカードで買い物するように話しておいた。
母はきっと自分名義のカードの暗証番号など忘れている。そのことに母が自分で気づいたときには「カード会社に問い合わせれば教えてもらえるけれど最低一週間はかかるからもう諦めて私のカードを使いな。」となることまで想定していた。

まあ、それでも、分かってはいたけれど、母の買ったものって全部人にあげるお土産だけ。

このケンカは根が深い。ただの親子ゲンカであったらどれだけいいだろうか。そもそも本来ケンカをするべきは私と母ではない。
私と母は、ケンカではなく逃げることを考えるべきなのに、母はもう逃げることを考えられずにいる。

私はしょっちゅう「なんで?」と口にするのだが、母にはそれが自分を責め立てられているように聞こえるそうだ。私は8割方、純粋に理由を聞いているのだが。物事には原因・理由・結果があるのだから、理由を考えれば次の行動が見えてくる。必ずしも理由が分からなくてもいい。考えることが大事じゃないのか。

考えるのをやめてほしくない。人間なんだから。

私も母も、思考停止をさせた人間から逃げるべきなのだ。

この旅行は、母にとってどういうものになっただろう。過去の過ちを繰り返したくない気持ちはお互いにあるはずなのに、どうして変われないんだろう。

もう無理なのか。韓国で食べたキムチの味を思い出して泣くことがないように、そんな日は来ないように、ただできることをやっていく。

韓国、また行きたい。-情勢不安-

情勢のことを言ってくる人が本当に多くて、心配してくれてるならまだいいんだけど「こんな時期に行くとかバカじゃないの?」って口に出さないでも言葉の端々に気持ちが露わになっている人もいて、大きなお世話だった。

韓国人が目の前を歩いていたら何かしようと思うの?そういう気持ちになる?
そういう気持ちになる人は一部の極端な思考の持ち主で、過激な人は韓国でなくても日本にも欧米にもどこにでも一定数いる。
それにしても、どうやって国籍で振り分けて接しようと思うのか。国籍ってどういう風に判断するの?生まれた場所?育った地域?
第一、「あの人は何人だ」などと判断しようと思うこと自体が差別に繋がるおこがましい視点だと思う。「国」は一個人が持つ大切なアイデンティティであるから、自ら判断しようとするなんて身勝手じゃないか。
私は一人の人として尊重されたい。だから私も誰かを尊重したい。

今回、韓国で怖いことは何もなかった。日本でも、今日一日何もなく平穏に過ごせた。
たとえ韓国で変な人に出会って何かされたとして、私が日本人で相手が韓国人だからそうなったのか、それとも、私という一人の人と相手という一人の人との間で起こったことなのか、それを考えたいと思うのだ。


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