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ここは線路の外の風景

ある人が私に何度も言ってくれること。

今までいろいろあったけど、よくここまできたよねー。

最初なんてはたから見ても
「えー、ちょっとそれはやばいんじゃないのー。」
って状況だったのに自分では気づいてなかったじゃない?
そのあと大変だったけど、もんまりさんは必ずよみがえるからすごいよね。

◯◯のときだって人の何倍も時間かかったけど、最後は自分でホテルで缶詰する!って言ってやり遂げたでしょう。

仕事も、人よりも時間をかけたとはいえ、ちゃんと順を追って●●行って、そのあと次は□□だって決めて行って。それで今はそこできちんとこれやりたいってところに安定して落ち着いてるわけで。

あとは今やってるように働き方を模索すれば、もっと安定してくるでしょう。

大多数の人はきっとね、コロコロ変えるだとか転々とするって見方になると思うけど、必ずよみがえってここまで来たっていうのは本当にすごいと思うよ。

これは、10年以上私のそばで支えてくれている人の言葉。
あなたのような人もいるんだね〜という驚きを交えた表情で折にふれ何度も繰り返し伝えてくれる。その貴重な有難さにやっと気がついた。

今回でこれ言われたの四度目ぐらいだと思う。
嘘を言う必要を感じない間柄なので、客観的で、誇張のない、ただ事実だけを見て判断した正当性のある意見だと分かる。分かるのだが、四度目にしてようやく受け入れられた。本当にそう思って言ってくれてると理解できた。

自分の自己肯定感について考えたことはなかったが、おそらく低いのだろう。そのせいで、「そんな大袈裟な。」と、なんだか恥ずかしいし真に受けられなかった。

私は嘘が嫌いでお世辞も嫌い。相手にも自分にも正直なことしか発しない。だから正直すぎて単に自信のない人、との評価を下されてしまうことも多い。反面、これは今までの自分の生きてきた道のりに自負があることにも繋がっていると思う。

10代後半で、初めて普通じゃない道を選んだ。大きな決断だった。周囲からは大反対された。
まだ若くはあったが、自分で考えて出した理由のある選択だったので、説得して行動に移した。それからと言うもの、すべてのターニングポイントで同様に自分で考えて、調べて、相談すべき相手に相談して判断して進んできたので、今となってはもう周囲からは何も言われなくなった。

いつだって自分の中には後悔はない。
まず問題が浮上したら、その原因を考える。どうすればいいか悩む。考える。誰かに聞く。他の人はどうしているか調べる。今いる場で解決できないか、できなければ他の方法を考えるべきなのか。そうして行動に移す理由が生まれる。
実行に移して成功するか失敗するかはやってみないと分からない。失敗してきたこともあるが、長い目で見ればあのときの失敗があったから学ぶことができて今はそれを避けて楽に生きることができている、と思うと失敗であって失敗ではない。ただの失敗で片付けるだけでは短絡的だ。

だから、適当にフラフラしたことは今までにない。

初めての大決断と書いたが、のちのち様々な人と関わるようになって「それぐらい普通じゃない?」と言われることが増えてきた。「なんだ〜もっとなにかやらかしたのかと思った(笑)」と。
若いからこそ自分の世界の狭さに気づかず、大それた決断と思ってしまうこともあるかもしれない。

その時点で属しているコミュニティによって、賛同されたり反対にあったりする。どのコミュニティが良いかなんてのはない。ネット上での関わりを含めて、運だ。

今までも、これからも、自分の性格的にずっとこういうやり方で生きていくと思う。
そろそろこれが慢心となってしまいそうで怖いなと思う。

そして今、また一つ小さいか大きいかも分からない分岐点にいる。
これまでを振り返って「後悔はない!」と書いておきながら、仕事となると「転々とフラフラしてる自分はダメだ」とどこか負い目を持っていたことに気がついた。潜在的によく言われる評価を鵜呑みにしていたみたいだ。
ダメじゃないじゃない。自信あるじゃないか。
今まで専門家とやら周りに言われるがまま隠さなきゃいけないんじゃないかと思ってたことも、全然問題がないように思えてきた。

17歳ぐらいの頃、チャットサイトの友達に言われたことを思い出す。
「自分が楽になるならいいんじゃないかな。でもあえて吹聴する必要はないと思うよ。」
何年経ってもこの言葉を思い返し、このスタンスが一番良いと鑑みる。なにもすべてあけすけに言う必要はないんだ。

人間は生まれたら必ず生きなくてはいけないのだ。だったらなるべく楽にしていたい。
私は、爆弾は必ず一度落として爆発させないとそれが爆弾だと気づかないタイプ。ゆえに回り道が多い。見渡す限り草原の中、線路の外の風景を眺めていることのほうが多い。みゆきさんのこの歌詞そのものなのだ。

長いスパンで見れば首尾一貫としている。それを知ってくれて、気づかせてくれる人がいる。救われる。

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