生徒に遠慮はいらない
時々レッスン中、特に大人だと、ことあるごとに謝ってくる生徒がいる。間違ったとき、上手く弾けず時間がかかってしまったとき、何度も同じ部分を間違え一向に上達しないように見えるとき。
生徒に謝罪はいらない。1ヶ月月謝が遅れたら、ちょっと謝って欲しいけれど、自分の能力に関しては、ごめんなさいも、すみませんも、いらない。いくらでも間違ってくれて構わない。同じところを間違ったって気にしなくていい。アンサンブルの途中、自分のミスが足を引っ張っていると思って謝ってくれる場合もあるが、先生と生徒の場合は、謝罪なんていらない。どんな状態になっても全部フォローするから大丈夫。何も気にしないで思いっきりやってくれるのが一番上手くなるし、教える方もそれが最も効果的に教えられる。
これは音楽に限ってのことではないと思う。相手がいて初めて成り立つスポーツやペアダンスなどは、より「謝り回数」が増えるのじゃないかな。レッスン費を払って熱心に学んでいる限り、自分の能力不足を教師に謝る必要なんて全くない。教える側は上達させてあげたいと思って教えているのに、謝られると困ってしまう。生徒に遠慮はいらない。大胆に失敗して、先生の情熱を引き出してあげよう。
私はジャンルを問わず学ぶことが大好きだから、生徒の立場になることも多い。ダンスや武術などは普通の習い事の範囲だと思うが、滅多やたらにしないであろう習い事に「操縦」がある。全くの初心者であるにも関わらず、管制圏で、旅客機に混じって操縦の練習をしていたことがあるのだ。初日からよく意味も分からない航空管制の言語を喋らされ、ふらふらしながら飛び立ち、教官に言われるがままにタッチアンドゴーを繰り返した。
私みたいな練習生を相手にして、教官は迷惑に感じるどころか、俄然教えるのにやる気が出た。クラブのメンバーからも、初心者ゆえに疎外されたなんてことは全くなかった。私は初心者らしく、全部教えてもらおうと思って、大胆に熱心に質問し、操縦が滅茶苦茶で余分な燃料を消費していたかもしれないけれど、謝るなんて発想はなかった。超初心者の生徒が間違うのは当たり前だ、何も悪くはない。
新しい技術を習得するには失敗を繰り返すのが最短経路だと思っている。自己修正が出来るというのは、ひとり立ちへの第一歩だからだ。逆に、失敗しないようにということばかり意識すると、最初は上手く出来ているような気がしても、後々自己判断が難しくなったりする。大人になると妙なプライドが育ったり、不要な自己卑下が癖になったりしがちだが、趣味の習い事の時間は、全部置き去りにして、子どもみたいに純粋に楽しむのが良いと思う。これは上達する秘訣でもある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?