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興味を持ち、聴くということ。

今、どんなに未熟でも、「自分は○○だ」という気概を持ちたい。技術やスキルは学んで磨いていくことが出来るものだけど、肝心の「自分は○○だ」というのが弱いと、そもそも自分を磨いていくところにもたどり着けない気がする。大前提として「自分は自分だ」というのがあるけど、その自分を何だと認識するのかという話。

誰かに主張するために、ではなく、自分の生き方として、何を据えるのか。

哲学的な思索をすることもあるし、占い的な手法を用いることもあるし、絵を描くこともあるし、マッサージをすることもあるし、物販もするのだけど。「興味を持って話を聴き、質問をする」ということが自分の仕事なのだろうと思う。それを占い師と呼ぶ場合もあるだろうし、カウンセラーと呼ぶ場合もあるだろうし、セールスでも人の話を聴く力は使うことはあるだろうから、他人から見た切り取られ方はなんでもいいのだけど。資格がどうとか、キャリアがどうとかいうのは後からの話で、自分が何を仕事と認識するのか、ということなのかなと思う。

人にものを教える人が「教員」とは限らないのと同じように、たどり着く社会的な位置づけはあとから付随するものなのに、やたらと肩書きにこだわってしまいがちだなと思う。


「興味を持ち、質問をする」ということが私に出来ることなんだろうと思う。

占いをしていても思うことだけど、みんなそれぞれに「答え」というか、どうしたらいいのかは自分が知ってるんだと思う。だから、私に出来ることは、興味を持って話を聞き、概要を把握し、いくつかの質問をしていくだけなんだけど、ここで私見を挟まずに聴くということが、案外難しいことなんだろうと思う。自分の意見や主張はそこに混ざってはいけない。ついつい、「それはこうすべきだよ」などのアドバイスがしたくなったり、自分の意見を押し付けたりしてしまいがちだけれど、そういうのは一切要らない。当然、「それは社会的におかしい」などというジャッジもしない。自分の思い込みや制限を相手に押し付けることはしなくていい。何かしらの提案はすることがあるけれど、それを絶対の答えとして誘導してはいけないんだと思う。

根底にあるのは、自分と相手への絶対的な「信頼」だと思う。相手は「大丈夫」だし、それを受け入れる自分もまた、「大丈夫」なのだという安心感がないと、これは成立しないのだと思う。常日頃から、そういう安心感を持って生きていたいと思う。



 










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