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「窮鼠はチーズの夢を見る」感想

先日、映画「窮鼠はチーズの夢を見る」を見てきた。原作未読で見に行き、その後原作も読んだので、ちょっと感想を書き留めておきたい。


※ネタバレあると思いますので、気になる方はお戻りください。あと、あまり好意的ではない部分もありますのでファンの方はご注意ください。


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率直な感想「なんだかよく分からない」

見終わった後の率直な感想は、「なんだかよく分からない」だった。作中、二人の関係は脅しをきっかけにキスだけに始まり、オーラルセックスから徐々に挿入される、するの関係になっていくのだけど、その間も大伴はふらふらと揺らいで誰かに求められるままに女性とも関係を持っていく。無下にできない、拒否できないと言い訳をしながら自分の意思を示さない屑なんだけど、そもそもそんな大伴に惚れる今ヶ瀬もちょっと意味不明だ。

そう、見ていて始終分からなかったのだけど、今ヶ瀬の中に大伴を好きになるような動機がないのだ。きっと今ヶ瀬本人にも分からないのだろう。【恋とはそういうもの】といえば片付いてしまいそうだけど、本当にそうだろうか。それって各々の記憶の中から今ヶ瀬と似たような葛藤をした者は感情移入出来るのかも知れないけど、そうじゃないと何だかただただ空虚な肉体のぶつかり合いと感情の濁流を見せられているだけで終わってしまった感がある。誰かを狂おしく求めることがその相手を愛していることとは限らないんじゃないだろうか。

狂おしく求めることというのはそれこそ単なる執着で、そもそも好きでも何でもなく、自分の未練を果たしただけではないか。今ヶ瀬はずっと過去の満たされなかった思いをぶつけるために大伴を貪るだけで、そもそも一度も今の大伴を好いてはいなかったんじゃないだろうか。今ヶ瀬が追いかけていた大伴は彼の妄想の中の【忘れられない片想いの人】なのだ。偶然再開したことを契機にただ憧れていた大伴への未消化な気持ちを吐き出していただけに過ぎず、二人は一度もお互いを正対して見つめあったことがないのではないだろうか…。映画のラストにようやくこれから正対するであろう兆しがあるけれど。それにしてもそれまでの間のすったもんだは長すぎやしないだろうか。

そもそも人を好きになるってどういうことなんだろう?この二人に、相手を慈しみ思いやるようなところはほとんど感じられない。もちろんそれなりに楽しかったのだろうけど。最終的にやっぱり今ヶ瀬を選ぶほど、大伴が今ヶ瀬に惹かれている部分はあっただろうか。いや、一緒にいるうちに情が移ったと言われればそうなのかも知れないけど。それにしても自分では抗い続け女性と結ばれようとし続けるのも往生際が悪い。

そう。どちらも往生際が悪い。そののたうち回るような葛藤を【恋愛映画】として描写していることに疑問がある。それは恋愛ではなくて葛藤でしたよ。作中、二人は一度も恋愛をしていないというのがむしろいっそ清々しい。もちろん二人の演技はよかったし、SEX描写もチャレンジ精神があったけど、話の筋でいえば、何も進展しない2時間の葛藤と合間に挟まる味気ないSEXを見せられて落としどころが見当たらない。釈然としない。


原作を読み感じる「古さ」

そんな感じで不完全燃焼だったので原作を買いました。なるほど、原作は2004年の作品なのか。それで妙に納得した。多分、恋愛の醍醐味が何なのかという感覚が「古い」のだ。本音を隠して取り繕って駆け引きし葛藤するのが恋愛の醍醐味だった時代なのだ。大伴が原作の中で「男と一緒になるなんて」と葛藤し続ける描写があるのももはやそのLGBTに対する価値観が古臭く感じてしまう。古い価値観を持った人が新しいものをやろうとして空回りしている感がある。



なぜ古いと思うのか。私は「おっさんずラブ」を通ってここまできた。

ここでなぜそのように思うのか考えてみたのだが、とある作品に思い当たった。そう。私は2018年に既に「おっさんずラブ」を通過してきてしまったのだ。地上波で男性同士の恋愛をまっすぐ丁寧に描いたあの名作ドラマを。登場人物の誰一人として、「男性が男性を好きになること」を否定せず、それぞれの想いを尊重し、ひとりの人間として接し、時には女性とも対等なライバルとして戦い、破れたら相手を祝福する。人を愛すること、相手に敬意を払うこととはどういうことなのか、さまざまな関係を通して、人を愛することに向き合い続けた作品だったと思う。もちろんコメディ要素も強かったけど、それでも何をテーマとして描きたかったのか真っ直ぐ伝わる作品だった。


そのようなストレートな作品が地上波で普通に放送され大ヒットする世界線なのだ。2020年の日本は。それなのに「窮鼠」の件の二人はかつての未練に縋り付き、あるいは「男を好きになる」ことを受け入れられずにいる。精神性がまるで別次元だ。これは、15年の間に日本のジェンダー観や恋愛観もそれなりに進化したということなのだろう。まだ、同性同士で結婚は出来ないけど。だけど2つの作品のテーマとメッセージの違いには、大きな開きがある。

少し昔の時代の映画だと思って見ていたらそこまで違和感はなかったのかも知れない、たかが15年、されど15年。世代交代とともに常識のアップデートは進み続けているのだ、多分、今も。


私もきっとこの作品の原作を2004年当時高校生だったころに読んでいたら、今ヶ瀬の切なさに共感し、大伴の葛藤に震え、出口のない迷路にいるような二人を「大人の恋愛をしている」と思って興奮して読んでいたに違いない。だけど、もうそれは大人の恋愛でもなんでもなく、恋愛未満の行いだと分かってしまった。お互いがお互いの承認欲求をぶつけあうだけのごっこ遊び…。まだ正対していない二人は、描かれていないその後の世界でもう少し真摯にお互いに触れ合うことが出来ていたらいいのにね。


あまり好意的な感想ではなくてすみません。その時代の変化に思い至った時、あまりに衝撃だったので勢いで一気に書きました。役者さんの演技やそれぞれの役の持ち味はとても良かっただけに、題材が不明瞭だったのがモヤモヤして、どうしても気になって書いてしまいました。











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